@句

July 0372009

 長持のやうなものくる蟻の道

                           蝦名石蔵

邨は名所旧跡に案内されると、絶景を見ないで、よくしゃがんで野草や蟻などを見ていたらしい。その場所を歩いた故人や先達に向ける思いも、その地の霊や自然に対する挨拶も、そういう態度が俳句というものの性格の歴史的な成り立ちに関わるという理解は間違ってはいまいが、その名のもとに図式的、通俗的な「挨拶」になっては一個の作品として生きてこない。その地、その場、その瞬間に生きて息づいているもろもろと「私」との一回性の出会が刻印されるのが「挨拶」の本意であろう。いわゆる「蟻」というものではないその日その瞬間に見たただ一個の蟻を通して、作者は他の誰でもない「自分」というものを確認しているのである。『遠望』(2009)所収。(今井 聖)


July 1072009

 もう何もするなと死出の薔薇持たす

                           平畑静塔

書に「三鬼の死に」とある。確かにこういう人はいるな。いつも忙しそうに飛び回って、何か常に画策している。その人の生きる本筋とは無縁のようなことについても懸命にやる。時にフィクサーと呼ばれ、関係のないことにも必ず名前があがる。西東三鬼という人もそうだったのだろう。新興俳句弾圧の折には三鬼スパイ説なんてのもあったし、俳人協会を設立して現代俳句協会から主要俳人を引き抜いたのも三鬼らしい。この人の無頼な生き様は自叙伝『神戸』『続神戸』からもうかがえる。女性関係の奔放さも。静塔と三鬼はいわば盟友。戦後、山口誓子を担いでの「天狼」設立の主要メンバーである。精神科医である静塔は盟友三鬼を「いつも忙しく動いてないでたまにはゆったりしろよ」という眼で見ていたに違いない。こいつ、性分だからしょうがないなという友情で見ていたのかもしれない。もう何もするなと心の中で呼びかけながら棺の中に薔薇を置く。菊ではなくて薔薇というのも三鬼にふさわしい。政治家や芸能人の葬儀でよくある「あの世ではどうぞゆっくりお休みください」というのとは違う。「もう何もするな」の命令調に滲む友情と悲しみ。『現代の俳人101』(2004)所収。(今井 聖)


July 1772009

 客揃ひ団扇二本の余りけり

                           高田風人子

人客が来たかがわからないから団扇を何本用意しておいたのかもわからない。とにかく二本余ったのだ。「揃ひ」は予定通り客が全員来たということ。つまり、迎える側は客の数はわかっているのにそれに合わせて団扇を準備せず、いい加減に揃えて置いた。この句の眼目はそこにある。団扇というものは、まあ、いい加減にざっと用意しておく程度のもの。そう言われてみるとそんな感じもしてくる。団扇の数引く客の数イコール二という連立方程式の片方のような「数の不思議」を見せつつ団扇というものの本意を描く技の句だ。『ホトトギス俳句季題便覧』(2001)所収。(今井 聖)


July 2472009

 投票の帰りの見切苺買ふ

                           岸田稚魚

切苺は言葉の発見。この発見で一句の核は決まる。あとは演出だ。誰かが見切苺をどうするのか。あるいは見切苺自体がどうにかなるのか。主客を決め、場面を設定する。投票を用いたために、見切苺は社会的な寓意を持つに至る。熟し過ぎたかすでに腐敗も始まっているか。結局は食えずに無駄になるかもしれないけれど、それでも俺はあの候補に投票したぞという喩が生じるのである。寓意は最初から意図されると、実るほど頭を垂れる稲穂かなのように実際の稲穂の描写とは離れてまったくの箴言、標語のようになる。この句、庶民の生活の一コマを描写したあとで、じわっと寓意を感じる。その「間」が大切。『負け犬』(1957)所収。(今井 聖)


July 3172009

 残暑とはショートパンツの老人よ

                           星野立子

人にステテコは当たり前だが、ショートパンツとはさすがに客観写生の優等生である。ショートパンツの老人は現在の「花鳥諷詠派」の人たちでは出てこない表現だろう。古い情緒に適合しないからだ。俳句的情緒からいくと老人には着物つまり羅や白地。下着ならステテコや褌と取り合わせる俳人が多い。褌は「たふさぎ」などと古い読みを出してきて俳諧を気取る風潮もある。こんなのはみんな古い風流感の上に乗った陳腐なダンディズムだ。ショートパンツから皺だらけのやつれた肢が出ている。なんともみっともないこの肢こそが残暑の象徴だと作者は言っている。虚子は娘立子の素直さ、屈託の無さを最大限に評価した。意地悪な僕は女性の「育ちの良さ」ポーズや「屈託の無さ」仕種を簡単には信じないが、こんな句を見ると虚子の評価を肯わざるを得ない。『実生』(1957)所収。(今井 聖)


August 0782009

 紙伸ばし水引なほしお中元

                           高浜虚子

まどきのデパート包装のお中元を考えていたものだから、どうして紙は皺になったのか、水引の紐は直さざるを得ない状態になってしまったのかと不思議に思った。運ぶ途中で乱れを生じたと単純に考えればよかった。でも虚子のことだから何かあるなと考えたわけである。これはひょっとしたら人からもらった物を使いまわして誰かに持っていったのかも知れぬ。それなら紙を伸ばし水引をなおす理由があるだろうと。これはきっとそうに違いないと考えて、一晩置いてもう一度この句をみたら、いや、これは単に大切な方にお中元を出すとき失礼のないように整えて出したというだけではないかと思い始めた。つまり日頃の感謝というお中元の本意だ。そう思った途端、自分の想像が恥ずかしくなった。そういう可能性を考えたということは自分の中にそういう気持ちの片鱗があるということだ。ああ、俺はなんてセコイことを考えるんだろうと自己嫌悪に陥ったが、この句、単なる感謝の配慮なら当たり前の季題の本意。どこかで僕の解釈の方が虚子らしいんじゃないかとまだ思っている。『ホトトギス俳句季題便覧』(2001)所収。(今井 聖)


August 1482009

 見られゐて種出しにくき西瓜かな

                           稲畑汀子

かるなあ。西瓜にかぶりついて、ぺっぺと口から種を吐く人。なんとなくあれが西瓜を食べる作法かと思っているが、どうにもそれがうまくできない。技術的に無理なのだが、その風情にもなじめない。フォークで種をほじって出してからかぶりつくが、どうも見た目が悪いし、かぶりついた中にまだ種が残っているとそれはそれで口から吐かねばならない。これもみっともない。先日中国人の友達に、食事中になんでも床に捨てる中国式のマナーにクレームをつけたら、日本人は蕎麦を食うときどうしてあんなに汚い音を平気で立てるのかと逆襲された。食の作法もさまざまである。花鳥諷詠は、作者の「私」が作品に現れないことが多い。また現れないことをもってしてよしとする傾向にあるが、この句は「私」がちゃんと出ている。『ホトトギス季題便覧』(2001)所収。(今井 聖)


August 2182009

 鰯雲「馬鹿」も畑の餉に居たり

                           飯田龍太

でいう知的障害の人を地域がごく自然なあり方で支え共に生きていく。長い間、田舎で暮らした僕には思い当たる風景はいくつもある。畑の餉は昼餉のことだろう。老いも若きも赤ん坊も誰も彼もみんな大地の上で昼餉をとっている。ここにも飯田龍太という俳人のあるがままの肯定すなわち無名の肯定が生きている。馬鹿という言葉はすぐ喩えにとぶ。そうならぬように作者はかぎ括弧でくくった。言葉のイメージが広がって独り歩きせぬように意味を閉じ込めたのだ。『百戸の谿』(1954)所収。(今井 聖)


August 2882009

 子馬が街を走つていたよ夜明けのこと

                           金子兜太

由ということを思った。権力からの自由、反権力からの自由、季語からの、定型からの自由、あらゆる既成のものからの自由。好奇心と走る本能に衝き動かされて夜明けの都市を子馬は歓喜して走る。仔ではなくて子。いたよの「よ」。夜明けのことの「こと」。どれもが素朴荒削りなつくりで、繊細すぎる言葉の配慮を超えたエネルギーが溢れる。子馬が季語か否かなどは要らざる詮索。『日常』(2009)所収。(今井 聖)


September 0492009

 秋風や書かねば言葉消えやすし

                           野見山朱鳥

かれない言葉が消えやすいのは言葉が思いを正しく反映しないからだろう。もやもやした言葉になる以前の混沌をそれでも僕らは言葉にしないと表現できない。加藤楸邨には「黴の中言葉となればもう古し」がある。書かねば消えてしまう言葉だからと、書いたところでそれはもう書かれた瞬間に「もやもやした真実」とは乖離し始める。百万言を費やしたところで、僕らは思いを正確に伝えることは不可能である。不可能と知りつつ僕らは今日も言葉を発し文字を書き記す。言葉が生まれたときから自己表現とはそういうもどかしさを抱え込んでいる。『現代の俳人101』(2004)所載。(今井 聖)


September 1192009

 校門をごろごろ閉ぢて秋の暮

                           本井 英

の句の魅力は一点「ごろごろ」である。秋の暮はもともとは秋季の終わりという意味だが、最近は秋の夕暮という意味に使う例が多いらしい。本井さんは季語の本意に詳しい方なので、前者の意味だと僕は思う。秋も終わりごろの朝の校門の風景。これを暮際だととると下校の指導のあとか、用務担当の仕事になる。やはり朝。登校してくる生徒の服装やら持ち物やらに眼を光らせたあと、教師がごろごろと門を閉じる。重い扉を全力で閉めながら、ときどき教師は「チクショー!」とでも叫び出したくなる。人を教えるという職業の嘘臭さ、いかがわしさ、また無力感が自らを振り返るとき思われる。この「ごろごろ」はそういう音だ。『八月』(2009)所収。(今井 聖)


September 1892009

 満月に落葉を終る欅あり

                           大峯あきら

のように一本の欅が立つ。晩秋になり葉を落してついに最後の一枚まで落ち尽す。そこに葉を脱ぎ捨てた樹の安堵感が見える。氏は虚子門。虚子のいう極楽の文学とはこういう安堵感のことだ。落葉に寂寥を感じたり、老醜や老残を見たりするのは俳句的感性にあらず。俳句が短い詩形でテーマとするに適するのはやすらぎや温かさや希望であるということ。この句がやすらぎになる原点は満月。こういう句を見るとやっぱり俳句は季語、自然描写だねと言われているような気がする。さらにやすらぎを強調しようとすれば、次には神社仏閣が顔を出す。だんだん「個」の内面から俳句が遠ざかっていき、俳句はやすらぎゲームと化する。難しいところだ。『星雲』(2009)所収。(今井 聖)


September 2592009

 遺句集といふうすきもの菌山

                           田中裕明

五中七と下五の関係の距離が波多野爽波さんとその門下の際立った特徴となっている。作者はその距離に「意味」を読み取ろうとする。意味があるから付けているのだと推測するからである。さまざまに考えたあげく読者はそこに自分を納得させる「意味」を見出す。たとえば、遺句集がうすい句集だとすると、菌山もなだらかな低さ薄さだろう。この関係は薄さつながりで成り立っていると。同じ句集にある隣の句「日英に同盟ありし水の秋」も同様。たとえば日英同盟は秋に成立したのではないかと。こういう付け方は実は作者にとっては意味がないのだ。意味がないというよりは読者の解読を助けようとする「意図」がないのだ。関係を意図せず、或いはまったく個人的な思いで付ける。あまりに個人的、感覚的であるために読者はとまどい、自分から無理に歩み寄って勝手にテーマをふくらませてくれる。言ってみれば、これこそが作者の狙いなのだ。花鳥諷詠という方法があまりにも類想的な季語の本意中心の内容しか示せなくなったことへの見直しがこの方法にはある。『先生から手紙』(2002)所収。(今井 聖)


October 02102009

 昨夜夢で逝かしめし妻火吹きおり

                           野宮猛夫

夜夢の中で死なせてしまった妻が今火吹き竹で火を起こしている。夢の中でどんなに悲嘆にくれておろおろしたことだろう。亡骸に向かって、あれもしてやればよかった、これも聞いてやればよかったと後悔ばかりがこみ上げて自分を責めて責めて。それにしてもどうしてあんな夢を見たのだろうか。伴侶への愛情というものが、それを表現する直接的な言葉を用いていないにもかかわらず切々と響いてくる。何より発想が斬新。そういえば私もそんな夢を見たことがあると読者を肯かせながら、それでいて誰もこれまでに詠むことのなかった世界。そんな「詩」の機微はいたるところに転がっているのだ。昨夜は音律本位でいえば「きぞ」と読むべきかもしれないが、日常感覚を重視するという意味でふつうに「さくや」と僕は読みたい。『地吹雪』(1959)所収。(今井 聖)


October 09102009

 無月かな佐助のごときひとが欲し

                           津森延世

まざまな「佐助」がいると思うけど、僕など佐助といえば猿飛佐助しか浮かばない。無月の夜に甲賀忍者佐助を思うのはよくわかる。なんとなく巻物を咥えて出てきそうな雰囲気があるから。しかし、作者がどうして佐助のようなひとが欲しいと思うのかが謎であり、この句の魅力なのだ。作者は女性だから、女として佐助のような男がいたらいいなと思っている。友人としてなんてつまらないから、恋人として。神出鬼没で身がかろやかで、手品どころか忍術を使える男。今でいうとおもしろくて飽きない男を作者はお望みなのだ。佐助より佐助が仕えた真田幸村の方が男としては上ではないかなどと思うが幸村の恋人だといざというとき自刃せねばならない。やっぱり佐助くらいでいい。美人の超人気女優が漫才タレントとくっつくのもその伝かもしれない。『新日本大歳時記』(1999)所収。(今井 聖)


October 16102009

 とぶ意思なきはたはた次は誰と遭ふ

                           津田清子

たはた(ばった)が飛ぶ意思がないとどうしてわかるのか。それは人が近づいても飛ぼうとしないからだ。飛ぼうとしないばったにこれから何人の人が気づくのだろう。広大な世界の中のほんの一点に確かに息づく生命があって、その存在にかかわることなく無数の存在が通りすぎていく。このはたはたは実は作者そのものだ。人間そのものだ。という寓意に入る前に対象そのもののリアルが生かされていることが優れた「詩」の条件だと僕は思う。生て在ること、そのものの途方もないさびしさをこのはたはたが訴えかけている。『新日本大歳時記』(1999)所収。(今井 聖)


October 23102009

 田圃から見ゆる谷中の銀杏かな

                           正岡子規

規が見る景色すなわち子規の作品の中の風景というのは「見ること」「見えること」そのこと自体を目的とする風景のように思えてならない。何を見るのかということや、見て何に感動するということよりも、見るということ自体に意味がある、そんな風景である。たんぼの中から谷中の銀杏の巨木を見ている。子規つまり、内部に「生きている私」を抱えた存在が眼という窓を通して風景を見ている。見ていること自体が存在することなのだ。この句から谷中の下町の風情などを読み取ろうとするのは子規の写生を読み解く本意にあらずと僕は思う。『新日本大歳時記』(1999)所収。(今井 聖)


October 30102009

 集まりて老人ばかり子規祀る

                           深見けん二

人の平均年齢はなぜかくも高いのか。俳人は年寄りばかりで、年寄りになると「花鳥諷詠」が好きなると言って虚子門の人に叱られたことがある。老いて旧守に走るのを予定調和というのだろうか。花鳥諷詠が旧守だといえばまた異論はあることだろう。若い頃は前衛、老いて旧守。もしその逆があればそういう人間には興味が湧くのにと思う。同じ句集にこの句にならんで「新人と呼ばれし日あり獺祭忌」がある。こう詠まれると子規像が俄然青春の趣をもって迫ってくる。どの時代もそこに関わる人の志次第だとこれら二句が主張している。『蝶に会ふ』(2009)所収。(今井 聖)


November 06112009

 雪の降る町といふ唄ありし忘れたり

                           安住 敦

現というものが事実をそのまま写すことは有り得ないことで、俳句もまたノンフィクションであることは自明の理だという一見正しい論法で入ると「写生」蔑視に通じる。水原秋桜子以降の流れはそういう「自明の理」を持ち出す方向だった。「新興俳句」の流れはノンフィクション説を奉じて今日に至っている。ほんとうにそうだろうか。ものを写す、現実、事実をまるごと写せるはずもないのに写そうとすること。それが俳句という詩形を最大限に生かす方法であると子規は直感したのではなかったか。もうひとつ、表現の持つエネルギーに対していわば負のエネルギーが俳句にある。これも詩形から来る俳句の固有のものだ。それは枯淡とか俳諧の笑いとか神社仏閣詠ではなくて、こういう句だ。「忘れたり」の真剣さは大上段の青春性に対抗して、正調「老人文学」の要だろう。技術の確かな、感覚の鋭敏な、博学の若手がどんなに頑張っても及ばない世界だ。作者最晩年の作品。『現代俳句』(1993)所収。(今井 聖)


November 13112009

 大枯野拾へば動く腕時計

                           蜂谷一人

谷一人(はちやはつと)さんの句画展で展示されていた作品。捨てられていた時計を拾うと秒針が動きだした。枯野と腕時計、この大小の対象だけでもひとつの情趣はあるのだが、作者は形の対照とバランスに動きを入れて焦点を転換し生命感を象徴させた。「動く」があるためにこの句は人間の存在の確かさを描き出している。何々すればという条件を述べるのは俳句では成功しがたいと言われている。この句はその定説に挑戦している面もある。(今井 聖)


November 20112009

 冬帽子脱ぎおけば灯にあたたまる

                           上野さち子

光灯でも電球でもいい。最近は暑くならない灯火もあるらしいが、よく知らない。夏は電球の暑さでさえ不愉快だが冬はその温熱で心までほのぼのと感じられる。外を歩いてきてすっかり冷たくなった冬帽が灯火の熱を受けてしだいに暖かくなる。それは体感というより気持ちの問題だろう。作者没年の作品であることを考えると、冷えた冬帽が作者の人生に見えてくる。最後にあたたかさに出会えたやすらぎを思う。「俳句年鑑」(2002)所載。(今井 聖)


November 27112009

 出雲発最終便の咳の人

                           鈴木鷹夫

間では神無月が出雲では神在月。旧暦十月十一日から十七日まで出雲で開かれる会議に出席された神々は十八日に「神等去出」(からさで)祭に送られて元の国々にお帰りになる。咳をしている最終便の人はひょっとしたら最後に帰る神さまかもしれない。「出雲」という地名がどういう効果をもたらすか、作者は十分に計算し尽くして用いている。詩人としての才を感じさせるのはこういうところだ。「俳句研究年鑑」(2003)所載。(今井 聖)


December 04122009

 テレビに映る無人飛行機父なき冬

                           寺山修司

画「網走番外地」は1965年が第一作。この映画が流行った当時世間では学生運動が真っ盛り。高倉健が悪の巣窟に殴りこむ場面では観客から拍手が沸いた。世をすねたやくざ者が義理と人情のしがらみから命を捨てて殴りこむ姿に全共闘の学生たちは自分たちの姿を重ねて共感し熱狂したのである。この映画はシリーズになり18作も撮られた。数年前、監督の石井輝男さんにお話をうかがう機会があった。監督自身の反権力の思いがこの作品に反映している点はありませんかという問に監督はキョトンとした顔で、まったくありません、映画を面白くしようと思っただけですという答が返ってきた。実は「豚と軍艦」の山内久さんや「復讐するは我にあり」の馬場當さんからも同じ質問に同じ答が返ってきた。文学、芸術、自己投影、自己主張というところから離れての娯楽性(エンターテインメント)。良いも悪いもこれを商業性というのか。寺山修司の俳句にも同じ匂いがする。ここにあるのは「演出」の見事さ。作者の「私」を完全に密閉した場所でそれが成功するのは俳句ジャンルでは珍しい。『寺山修司俳句全集』(1986)所収。(今井 聖)


December 11122009

 まつくろに枯れて何かの実なりけり

                           高田正子

七の語句「何かの」の力の抜き加減。「なりけり」の流し方。「枯れて」は状態の知的把握だし季語だから伝統派の立場では、句の大前提のようなものだ。季語に続いている句の後半は力が抜けているので「まつくろ」だけがこの句の眼目。上五だけが強調されることで、句は成功している。副詞が句の中心にすわる珍しい例だ。ところで、「なりけり」は一応断定ということになるのだろうが、それほどの強調的意味を持たないので仮に取ってしまうと「まつくろに枯れて何かの実」。このままで自由律の句になりそうだが、自由律なら「何かの実まつくろに枯れ」くらいにするかもしれない。でもそう考えると「なりけり」の効果が確認できる。やはりあった方がいい。リズム中心の「なりけり」が素朴な眼差しをうしろから支えている。「角川俳句年鑑」(2010年版)所載。(今井 聖)


December 18122009

 天の贅地の贅雪に日が射して

                           津田清子

みぶりがからっとしていて、俳句の臭みのようなものが感じられない。こういう句が誓子文体本流の句である。雪は積雪のこと。一切が雪に覆われた世界に日が射している。空は青空。まさに天の贅地の贅だ。ひいてはこの世の贅、生きて在ることの贅に通じる。誓子が切れ字を嫌ったのは、古い俳句的情緒の臭みを嫌ったから。切れ字を排する代わりに五七五のリズムを一度壊した上で自己にひきつけて新鮮なリズムを構築する。誓子文体の中に、作者によって内容のオリジナルが盛られている。「角川俳句年鑑」(2009)所載。(今井 聖)


December 25122009

 点滴の滴々新年おめでたう

                           川崎展宏

宏さんが亡くなられた。僕は同じ加藤楸邨門下だったので、展宏さんに関する思い出はたくさんあるが、その中のひとつ。展宏さんが楸邨宅を訪ねた折、展宏さんが「僕はどうせ孫弟子ですから」と楸邨の前で少しいじけて見せた。展宏さんは森澄雄の薫陶を受け「杉」誌創刊以来中核の存在であったため、そのことを意識しての言葉だった。それに対し楸邨は「そんなことはありません。直弟子です」と笑って応じたという。酒豪の展宏さんは酔うと必ずこの話をされた。そういえば楸邨に川崎展宏君という前書のある句で「洋梨はうまし芯までありがたう」がある。「おめでたう」と「ありがたう」は呼応している。晩年の病床でのこの句の余裕と呼吸。やはり展宏さんはまぎれもない楸邨の直弟子であった。「角川俳句年鑑」(2009)所載。(今井 聖)




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