ム子句

July 0472009

 洗髪乾きて月見草ひらく

                           松本たかし

の月見草は、黄色いマツヨイグサでなく、うすうす白い本当の月見草だろうか。鎌倉浄明寺のたかしの家は庭が二百坪もあり、草花から梅、松、桜の大樹までさまざまな草木が茂っていたというから、ほとんど現存していないという月見草も、ひっそりと生き延びていたかもしれない。この句につづいて〈洗髪乾きて軽し月見草〉とある。これなら普通に落ちついた句という印象だが、掲出句のような、すっとふきぬける夕風は感じられない。掲出句は、洗髪、乾、月見草、の漢字を、最後の、ひらく、が受けとめて、涼しい風がいつまでも吹く中で、月見草が夕闇にその色をとかしてゆく。句集の序文で虚子は、たかしの句を「詩的」であり「写生句でありながらも、餘程空想化された句のやうに受取れる」と言っている。そういわれると、本来の月見草の持つ儚さが、洗髪が乾くという現実と呼び合って、いっそう幻のようにも思えてくる。『松本たかし句集』(1935・欅発行所)所収。(今井肖子)


July 1172009

 駆け足のはづみに蛇を飛び越えし

                           岩淵喜代子

元の『台湾歳時記』(2003・黄霊之著)。「蛇」は、「長い物」という季語として立っている。傍題は「長い奴」。その解説曰く「蛇の噂をする時、『長い物』と呼び『蛇』とはよばない。蛇が呼ばれたと思い、のこのこ出てくるからだ」。どこの国でも、あまり好かれてはいないらしい。最近蛇を見たのは、とある公園の池、悠々と泳いでいた。それは青白い細めの蛇だったが、子供の頃はしょっちゅう青大将に出くわした。まさに、出くわす、という表現がピッタリで、歩いていると、がさがさと出てきてくねくねっと眼前を横切るが、けっこう素速い。掲出句、走っているのは少女の頃の作者なのか。のんびり歩いていたら、ただ立ちすくむところだが、こちらもそうとうなスピードで走っていて、出会い頭の瞬間、もう少しで踏みそうになりながら勢いで飛び越える。説明とならず一瞬のできごとを鮮やかに切り取っている。子供はそのまま走り去り、蛇は再び草むらへ。あとにはただ炎天下の一本道が白く続く。『嘘のやう影のやう』(2007)所収。(今井肖子)


July 1872009

 踏切を渡れば一気夏の海

                           大輪靖宏

んだか無性に懐かしい光景。水平線と入道雲を見ながら海へ向かう道、できれば少し上り坂がいい。単線の踏切にたどり着くと、目の前に真夏の海がひらける。線路がスタートラインであるかのように海に向かって走った夏。一気、の一語の勢いに、目の前の海から遙かな記憶の海へ、思いが広がってゆく。長く大学で教鞭をとっておられた作者だが、この句集『夏の楽しみ』(2007)のあとがきには「私は昔から夏が好きだったのだ。なにしろ、夏休みであるから働かなくていいのである」。そういえば、第一句集『書斎の四次元ポケット』(2002)に〈トランクをぱたんと閉めて夏終る〉の句があり、いたく共感した覚えがある。楽しい時間は、すぐ終わってしまう。八月になると、あっという間に過ぎる夏休み。今年は暦の関係で、17日に終業式の学校も多かっただろう。子供達も今が一番幸せな時だ。(今井肖子)


July 2572009

 蟻地獄見て光陰をすごしけり

                           川端茅舎

陰とは月日。光は日、陰は月を表すという。光陰をすごす、とは、蟻地獄を見る、ということがらには、幾分大げさな気もするが、蟻が巣から出入りするのを来る日も来る日も見続けて、とうとうほとんどの蟻を区別できるようになってしまった、という逸話もある茅舎のこと。きっとひたすら見続けていたのだろう。蟻地獄の天敵は人間、それも子供というが、そのすり鉢の先はどうなっているのか、つついたり掘り返したりした覚えが確かにある。けれどきっと茅舎はいっさい触れることはなく、朝な夕な、ただ見ていたことだろう。一日のほとんどはただのすり鉢状の砂であるその巣を見続けることは、動き続ける蟻の列に見入っているより退屈とも思えるが、じっと潜むその幼虫の小さな命と語りあっていたのかもしれない。「一般に写生写生といふけれど、皆その物ばかりを見てゐて、天の一方を見ることを忘れてゐる。」という虚子の言葉を受けて茅舎は「写生はどこか天の一方を見るといふやうなゆとりが必要である。」という言葉を残している。(「茅舎に学んだ人々」(1999・鈴木抱風子編著))天の一方を見るゆとり・・・いい言葉だがなんとも難しいことだ。「ホトトギス雑詠選集夏の部」(1987・朝日新聞社)所載。(今井肖子)


August 0182009

 虹立つも消ゆるも音を立てずして

                           山口波津女

東京にいますか、虹が出ています、というメールを、先月19日、近くに住む知人が送ってくれた。残念ながらメールチェックできたのはだいぶ経ってからで、空を見る余裕もなく慌ただしく過ごしていたため虹を見ることはできなかったが、大きくてくっきりした虹だったという、残念。虹が立つ時、空からきらきらしたメロディが降ってきたら確かに気づくのになあ、とこの句を読んで思った。でもそうすると、あ、虹・・・という出会いの感動は薄れてしまうかもしれない。ちょうどその時ふと空を見上げた人だけが共有できる虹との時間。ちょっと目を離していると虹は消え、空はいつもの空に戻って日が差している。そういえば、出てから気づく虹、空を見ていたらそこに虹が現れた、というのを見た経験がない。ふっと現れたのを見た、という人がいたが、消えてゆく時のようにだんだん、ではないのだろうか。この夏、色鮮やかな沈黙に出会わないまま、来週はもう秋が立つ。『図説大歳時記 夏』(1964・角川書店)所載。(今井肖子)


August 0882009

 一本の白樺に秋立ちにけり

                           広渡敬雄

秋、今朝秋、今日の秋。今年は昨日、八月七日だった。手元の歳時記に、鬼貫の「ひとり言」の抜粋が載っている。「秋立朝は、山のすがた、雲のたたずまひ、木草にわたる風のけしきも、きのふには似ず。心よりおもひなせるにはあらで、おのづから情のうごく所なるべし」。今日から暦の上では秋なんだなあ、と思えばそれに沿うように、なんとなくではあるけれど目の前のものも違って見えてくる、ということか。この句の作者は、白樺の木の幹のわずかなかげりか、木洩れ日のささやきか風音か、そこにほんの一瞬、今日の秋を感じたのだろう。一本、が、一瞬、に通じ、すっとさわやかな風が通りすぎる。今日からは残る暑さというわけだが、東京はいまひとつ真夏らしさを実感できないまま、秋が立ってしまった感がある。異常気象とさかんに言われるが、蝉だけは今日もいやというほど鳴いていて、それが妙に安心。「ライカ」(2009)所収。(今井肖子)


August 1582009

 人棲まぬ島にもみ霊敗戦忌

                           松本泊舟

日という日もこの句も、言わずもがな、だろう。棲、という文字が語る、太平洋上の名もない島に眠る戦没者への鎮魂の心は、戦争を体感していない者にも伝わってくる。季題として考える時、終戦の日か敗戦の日か、戦争体験世代の意見はさまざまのようだ。だいたい終戦記念日というのはおかしいのでは、いや後世まで忘れない、という意味で記念なのだからいいのだ等も。この句の場合、敗戦忌。終戦忌、敗戦忌は俳人による造語、というが、掲出句は『文学忌俳句歳時記 大野雑草子編』(2007・博友社)に載っていた。文人の忌日をまとめた歳時記なのだが、そこに、個人の忌日に混ざって、原爆忌(広島忌)、長崎忌(浦上忌)、終戦記念日(終戦忌・敗戦忌)が立てられている。数々の個人の忌日同様、忘れることなく詠み継いでいって欲しい、という編者の祈りにも似た願いが感じられる。(今井肖子)


August 2282009

 裂ける音すこし混じりて西瓜切る

                           齋藤朝比古

つかしい音がする句。今は、大きい西瓜を囲んで、さあ切るよ、ということもほとんどなくなった。母が無類の西瓜好きなので、子供の頃は夏休み中ずっと西瓜を食べていた気がする。西瓜を切った時、この裂ける音の微妙な混ざり具合で、熟れ具合がわかる。まさに、すこし裂ける音も混じりながら、包丁の手応えがある程度しっかりあると、みずみずしくて美味しい。逆に、手応え少なく裂けるものは、ちょっとアワアワになっていて残念なのだった。忘れかけていた感触を思い出しながら、西瓜が食べたくなる。この句は、美味しそうな句が並ぶ「クヒシンバウ」と題された連作中の一句。その中に〈鰻屋の階段軋む涼しさよ〉という句があり惹かれていた。涼しは夏季だが、使いやすいので私もつい安易に使ってしまう。先日参加した吟行句会でも、涼風に始まって、汗涼し、露涼し、会涼し、そして笑顔まで涼し。しかし、涼し、は本来暑さの中にふと感じるもの。炎天下、鰻屋に入りふうと一息、黒光りする階段をのぼりつつ、こんな風に感じるものだろうなと。それにしても、これまた鰻のいい匂いがしてきて食べたくなるのだった。「俳句 唐変木」(2008年4号)所載。(今井肖子)


August 2982009

 噴火口近くて霧が霧雨が

                           藤後左右

棚で見つけた手作り風の本。開くと「句俳勝名新本日」。日本新名勝俳句にまつわる話はなんとなく聞いていた。投票で選ばれた、日本新名勝百三十三景を詠んだ俳句を募集したところ、全国から十万句を越える応募があり、それを虚子が一人で選をした、という。選がホトトギスに偏っていることが問題視されることも多いが、全国規模の大吟行。あちこちの山、川、滝、海岸、渓谷に通っては句作する、当時の俳句愛好家の姿を思い浮かべると、なんだか親しみを感じる。昭和五年のことである。掲出句は、阿蘇山を詠んだ一句で、帝國風景院賞なる、ものものしい賞を受けている。久女、秋桜子、夜半等の代表句が並ぶ中、ひときわ新鮮な左右の句。今そこにある山霧の、濃く薄く流れる様がはっきりと見える。霧が霧雨が、とたたみかけるような叙し方も、近くて、がどうつながっているのか曖昧なところも、当時の句としてはめずらしかっただろうし、句の息づかいは今も褪せない。左右についてあれこれ見ているうち、〈新樹並びなさい写真撮りますよ〉の句を得た時「蟻地獄から這い上がったような気がした」と述べているのを読んで、ここにも独自の俳句を模索する一本の俳句道があるのを感じた。「日本新名勝俳句」(1931・大阪毎日新聞社/東京日日新聞社)所載。(今井肖子)


September 0592009

 食べ方のきれいな男焼秋刀魚

                           二瓶洋子

刀魚、と秋の文字が入っているが、今開いている歳時記の解説によれば、江戸時代には「魚中の下品(げぼん)」と言われ、季題にもされなかったという。子供の頃、七輪を裏庭に出して焼いていると、お約束のように近所の猫がやってきたが、やおら魚をくわえて逃げる、ということはなく、なんとなく一緒に焼けるのを待っていた。妹は特にそれこそ猫跨ぎ、頭と骨だけ矢印のように残して食べたが、そういえば父は食べ方があまりうまくなかったように思う。見るからに器用そうな指をしながら、不器用だからだろうか。魚はきれいに残さず食べる方がいいに違いないけれど、初めて一緒に魚を食べたら思いのほか下手なところが、なんだか好もしく思えたり、あまりに見事に残された骨を見て、その几帳面さがふといやになったり。この句の場合はやはり、食べている男も、食べられている秋刀魚のように、すっきりした男ぶりなのだろうか。『新日本大歳時記 秋』(1999・講談社)所載。(今井肖子)


September 1292009

 野分なか窓にはりつく三姉妹

                           蜂須賀花

に吹く暴風、台風の余波の疾風、というのが野分の本来の意味だが、『源氏物語』の野分の巻にも雨の描写が見られるといい、台風と同じように使われることもあるようだ。それでもやはり、野を分ける、というその言葉は、確実に風のイメージが強い。この句の場合、やはり風だけでなく雨も降っている台風のような状態なのだと思う。でも、台風の、台風や、とすると、激しい風雨というイメージが固定され、窓にはりついている子供達もどこか平凡な風景の中にはまってしまう。野分なか、というと、まず風の音がする。もしかしたらこれは夜で、はりついている窓の外は真っ暗なのかもしれない。さらわれてしまいそうな風音が闇の中に渦巻いて、時折雨を窓に強く打ちつける。恐い物見たさに近い心持ちで、窓から離れることのできない子供達。はりついているのがまた三姉妹なのが、事実なのだろうが、ほどよくかわいい。上智句会句集「すはゑ(漢字で木偏に若)」第7号所載。(今井肖子)


September 1992009

 蚯蚓鳴く六波羅蜜寺しんのやみ

                           川端茅舎

蚓(みみず)は鳴かない、じーと聞こえるのは螻蛄(けら)などが鳴いているのだ、と言われる。だから、蚯蚓鳴く、というのは、要するにそんな気がする秋の感じなのだと。蚯蚓鳴く、が兼題になり、そんな感じと言われても困ったな、と虚子編歳時記を。すると、なにやら解説が異常に長い。いきなり「聲がよくなるといふので煎じてのむことも」とあり、うへ、と思いつつ読んでいくと「腹中泥ばかりの蚯蚓が鳴くともおもはれない」、やはりね。さらに読むと「蚯蚓とけらとを置きかへて見ても詮ないことであらう。すべての動物は皆それぞれの聲を持つてゐるのかもしれない」と続く。蝶も実は高音を発しているらしい、と述べながら、それらの音はヒトには聞きとることができないのだ、と書かれている。土の中で激しく動き回るという蚯蚓が、土中の闇の中で呼び合っているのかもしれない、と思うと、不思議な気持ちになる。茅舎も、自分の瞬きすらあやふやになるような真闇の中で、本来は聞こえるはずのない音無き音を肌で感じとったのだろうか。一字一字確認するような、しんのやみ。『虚子編 新歳時記』(1940・三省堂)所載。(今井肖子)


September 2692009

 秋澄めり父と母との身長差

                           川嶋一美

らしい夏がなかったと言われる今年。秋も短くてすぐ冬になるらしい、などという噂も聞く。それでも、このところ晴れると空が高く、ついぼーっと見上げてしまう。ここ数年、秋晴れの朝の通勤途中、歩きながら車窓の景色を見ながら、この日差しの感じってどう詠めばいいのかな、とずっと思っていた。確かに眩しくて強いのだけれど、どこかすべてが遠い記憶の中のような秋日。その感じを句にしかけるのだが、どうもうまくいかない。そんな時この句に出会った。浮かんだのは、並んで歩く二人の後ろ姿。秋日の中のその姿は、現実なのか、記憶の中なのか。いずれにしても、私の中のもやもやとした秋日のイメージを、身長差、という言葉が鮮やかに立ち上げてくれた。秋澄む、という言葉が、透明感を越えた何かを感じさせてくれたのは、父と母との身長差、の具体性とそこにある作者の確かな視線ゆえなのだろう。「空の素顔」(2009)所収。(今井肖子)


October 03102009

 兵役の無き民族や月の秋

                           石島雉子郎

陽は、すべてを照らすみんなのものという感じだけれど、月は、どうしても一対一でさし向かう気持ちになる。月を見ていながら自分自身と向き合っているような気もして、漠とした寂寥感につつまれる。そしてふと、あの人も同じ月を仰いでいるだろうか、と誰かを思い出したりするのだ。八月の終わりに韓国を旅した時、何気なく見上げた空に半月がうすく滲んでいて、ああ、月だ、と不思議な懐かしさを覚えた。異国の空で仰ぐ月は、郷愁を誘う。今この句を読むと、とりあえずは平和そうに見える日本の空に輝く今日の月が思われる。しかしこの句が詠まれたのは大正三年。作者は朝鮮半島に渡っていて、その頃は今とは逆に徴兵制があったのは日本。そう思って読むと、民族、の一語が重く響く。雉子郎はその後大正十年まで約八年間、救世軍の大尉として力を尽くしたが、大陸での暮らしは苦労も多く、授かった四人の子を次々に亡くしたとも聞いている〈頬凍てし子を子守より奪ひけり〉。今宵十五夜、長期予報は芳しくないけれど月やいかに。「ホトトギス雑詠選集 秋」(1987・朝日新聞社)所載。(今井肖子)


October 10102009

 秋晴や攀ぢ登られて木の気分

                           関田実香

前は体育の日であった十月十日。東京オリンピックの開会式を記念して定められたこの日に結婚した知人の体育教師は、ハッピーマンデー制度で体育の日が毎年変わることになり困惑していたが、月曜に国民の休日がかたよるのもまことに一長一短だ。十月十日は晴の特異日とも言われているが、確かに十月の秋晴の空は、高くて深い。掲出句、よじ登られているのは母であり、よじ登っているのは我が子。〈八月の母に纏はる子は惑星〉と〈秋燈を旨さうに食む赤子かな〉にはさまれているといえばよりはっきりするが、一句だけ読んでも見えるだろう。吸い込まれるような青さに向かって、母のあちこちを掴みながら、その小さい手を空に向かって伸ばす我が子と絡まりながら、ふと木の気分だという。母とは、木のように大地に根を張った存在だ、などというのではなく、まさにそんな気分になったのだ。ただ可愛くてしかたないというだけでない句、作者の天性の感受性の豊かさが、母となってさらに、よい意味でゆとりある個性的な詩を生んでいると感じた。「俳句」(2009年8月号)所載。(今井肖子)


October 17102009

 障子貼る庭の奥まで明るき日

                           荒川ともゑ

子の張り替えは一仕事だけれど、真新しい障子越しの日差しの中で、ぼんやりと達成感を感じている時間は幸せだ。張り替えた障子が日を吸ってだんだんピンとしてなじんでくるのもうれしい。障子貼る、は冬支度ということで晩秋だが、リビングに障子をしつらえていた我が家では、ついつい大掃除の一環で張り替えが年末近くに。水が冷たい上、晴れていても日差しはどこか弱々しく、来年こそと思うのだがなかなか。掲出句のように、濃い秋日がすみずみまで行き渡るような日こそ、障子貼り日和だろう。何気ない句だが、奥まで、という表現に、澄んだ空や少しひんやりとした風、末枯れの始まった草やちらほら紅葉し始めた木々が見えてくる。秋の日差がくまなく行き渡り、形あるものにくっきりとした影をひとつずつ与えている一日である。現在我が家は建て替え中、仮住まいのマンションに障子はない。新しい家にも同じように障子を入れたかったのだが、諸事情により障子紙でなくワーロンという合成紙を使用することになった。張り替えの必要がないのは楽だけれど寂しくもある。「花鳥諷詠」(2009・9月号)所載。(今井肖子)


October 24102009

 この道の富士になり行く芒かな

                           河東碧梧桐

根仙石原の芒野の映像を数日前に観た。千石の米の収穫を願って名付けられたにもかかわらず生えてきたのは芒ばかり、結局芒の名所になったとか。かつて箱根の入口に住んでいたので、この芒原は馴染み深いが、数年前の早春、焼かれたばかりの仙石原を訪れてその起伏にあらためて驚かされた。あのあたりは、かつては芦ノ湖に没していたというが、金色の芒の風に覆われている時には気づかなかった荒々しい大地そのものがそこにあった。この句の芒原は富士の裾野。一読して、広々とした大地を感じる。明治三十四年の虚子の句日記に「七月十七日、河東碧梧桐等と富士山に登る」とある。掲出句は、同年の「ホトトギス」九月号に掲載。虚子二十七歳、碧梧桐二十八歳、子規の亡くなる前年である。富士になり行く、という表現の独創性、芒にいちはやく秋の気配を感じる繊細さ。その直後からの碧梧桐の人生に思いを馳せると、この句の健やかさがいっそうしみてくる。「俳句歳時記第四版 秋」(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


October 31102009

 いゝぎりの実もて真赤な空ありぬ

                           飴山 実

桐(いいぎり)の実は秋季、来週はもう冬が立つ。そんな晩秋の一日、武蔵野市にある井の頭恩賜公園で吟行句会があった。武蔵野丘陵にある広い公園は、都心の芝離宮や小石川後楽園より少し冬に近い気がした。ざわざわと続く雑木林と散り敷く落ち葉、薄く黄葉したメタセコイヤの大木が続く先に、飯桐の木が一本。ひときわ赤い葡萄のような房状の、いかにも美味しそうな実を見上げながら、こんなに小鳥がいても残っているっていうのはあまり美味しくないのかしらね、などと言い合う。鮮やかな実はまさにたわわ、青空に映えていた。帰宅して掲出句を読み、ぱっと浮かんだのは空の青。飯桐の実がそこにあるから空が赤い、といっているだけなのだが、実の赤が広がっていればいるほど、その先の空は高く深く澄んでいる。見たままの風景をいったん心の中に刻んで、それらが語りかけてくる声に耳を澄ませながら、じっと言葉が生まれてくるのを待つ。そんなふうにして詠まれたのかもしれない、と思った。「新日本大歳時記 秋」(1999・講談社)所載。(今井肖子)


November 07112009

 初冬の徐々と来木々に人に町に

                           星野立子

きなり真冬の寒さかと思えば、駅まで足早に歩くと汗ばむほどの日もあり、季節の変わり目とはいえ、めまぐるしい一週間が過ぎて、今日立冬。その間に月は満ちたが、暁の空に浮かぶ満月はすでに透きとおった冬色だった。立子は、冬の気配が近づいてから立冬、初冬と過ぎてゆく十一月を特に好んだという。なつかしい匂いがする、とも。掲出句にあるように、いち早く黄葉して散る桜を初めとして、木々の色の移り変わりにまず冬を感じるのは、都会の街路樹でも同じだろう。落ち葉風にふかれ襟元を閉じて歩く人。そして町全体がだんだん冬めいてくることを、どこか楽しんでいるような作者。「初冬の徐々と来(く)」といったん切って、それから町がじんわり冬になっていく様を詠んでいるが、字余りで、一見盛りだくさんなようだけれど、リズムよく、「徐々」感が伝わってくる。この句に並んで〈柔かな夜につゝまれて初冬かな〉とある。なるほど好きな季節だったのだな、と思った。「立子四季集」(1974・東京美術)所載。(今井肖子)


November 14112009

 三つといふほど良き間合帰り花

                           杉阪大和

り花、とただいえば桜であることが多いというが、いまだ出会ったことがない。上野の絵画展の帰りに、桜並木を見上げて探したこともあるが、立ち止まって一生懸命見つけるというのもなんだか違うかなあ、と思ってやめた。枯れ色の庭園を歩いていて、真っ白なつつじの帰り花がちょこんと載っているのに出会うことはよくある。いかにも、忘れ咲、という風情で、個人的にはあまり好きでないつつじの花にふと愛着の湧く瞬間だ。掲出句の帰り花は、桜なのだろう。花をとらえる視線を思いうかべると、一つだと点、二つだと線、三つになると三角形、つまり面になって、木々全体にふりそそぐ小春の日差が感じられる。確かにそれをこえると、あちらにもこちらにも咲いていてまさに、狂い咲き、の感が強くなりそうだ。以前、俳句の中の数、について話題になった時、蕪村の〈五月雨や大河を前に家二軒〉は、調べの問題だけでなく、一軒ではすぐ流されそうだし、三軒だと間が抜ける、という意見になるほどと思ったことがある。そのあたり、ものによっても人によっても微妙に違いそうだ。「遠蛙」(2009)所収。(今井肖子)


November 21112009

 落葉掃く音の聞こえるお弁当

                           木原佳子

弁当、いい響きの言葉だ。現在、自分で作って勤め先に持っていくお弁当は、何が入っているか当然承知しているから、開ける時のわくわく度はぐっと低いが、それでも、さてお昼にするか、とお弁当箱の蓋を開ける時は、ほんわかとした気持ちになる。この句のお弁当は、どこで食べているのだろう。とある小春日和の公園あたりか。落ち葉は、それこそ散り始めてから散り尽くすまで、ひっきりなしに降り続く。そして落ち葉を掃く音は、少しやわらかく乾いている。ひたすら掃く、ひたすら落ちる、ひたすら掃く。冬を少しづつ引きよせるように続くその音を聞くともなく聞きながら、日溜りで開くお弁当はなんとも美味しそう。省略の効いた一句の中で、お弁当、の一語が、初冬を語って新鮮に感じられた。「俳句同人誌 ありのみ 第二号」(2009)所載。(今井肖子)


November 28112009

 人々をしぐれよ宿は寒くとも

                           松尾芭蕉

日、十一月二十八日は陰暦では十月十二日。ということは芭蕉の忌日、と「芭蕉句集」を読んでみた。初冬の雨ならなんでも時雨というわけではない、高野素十の〈翠黛(すいたい)の時雨いよいよはなやかに〉の句にあるように、降ってはさっと上がり、日が差すこともあるのが時雨、東京では本当の時雨には出会えない、と言われたことがある、え〜そんなと思ったがそうなのだろうか。一方、芭蕉と時雨というと挙げられる、宗祇の〈世にふるもさらにしぐれの宿りかな〉のしぐれは、冷たく降る無情の雨という気がするが、いずれにしても、強く太く降る雨ではないのだろうという気はする。掲出句を読んだ時、寒くてもさらにしぐれよとは、と思ったが、解説には「ここに集まった人々に時雨して、この集いにふさわしい侘しい趣をそえよの意」とある。雨風をしのげれば十分というその頃の宿、寒ければ寒いまま、静かに時雨の音を聞いていたのだろう。「芭蕉句集」(1962・岩波書店)所載。(今井肖子)


December 05122009

 落日の中より湧いて鶴となる

                           坂口麻呂

者は鹿児島在住であった。この句は、鶴の渡来で名高い、出水(いずみ)での一句。鶴が渡ってくると、当地を何回も訪れていた。この日は、昼間どこかに遊びに行った鶴が戻ってくるのを夕方待っていたのだという。西の空をひたすら見つめているうち日も暮れかかり、大きな夕日が沈んでゆく。そろそろかなと思ったその時、赤くゆらめく太陽に、わずかな黒い点点が見えたかと思うと、思いがけないほどの速さで、それらが鶴となって作者に向かって飛来して来たのだ。落日、の一語が、深い日の色と広い空、さらにふりしぼるような鶴唳をも感じさせる。自然の声を聞くために、毎日40分の散歩を欠かさなかったという作者だが、この秋、突然亡くなられた。この句は、南日本新聞の南日俳壇賞受賞句(2003.4.18付)。あっと目を引くというのではないけれど、しっかりとした視線と表現が魅力的な、南日俳壇常連投句作家で、私はファンの一人だった。どちらかというと出不精で、鶴の飛来はもちろん、あれもこれも知らないことの多すぎる自分を反省しつつ、合掌。(今井肖子)


December 12122009

 耳剥ぎに来る風のあり虎落笛

                           加古宗也

これを書いている間もずっと、ヒューという音がし続けている。現在仮住まい中のマンションの五階、南に向いた振り分けの部屋のうち東側の六畳間、他の部屋ではこの音はしない。いろいろ試してみた。サッシを少し開けると、太めに音色が変わり、思いきり開けると音は止む。玄関を始め、家のどこかを開けるとこれまた音は止む。いくらそ〜っとサッシを閉めても、風はうっかり見逃すということはなく、この部屋のサッシのわずかな隙間に気づいて、もの悲しげな音をたて続けるのだ。昼は別の部屋の窓を少し開けておけば音はしないが、寒くなってきたので夜はそうはいかない。目を閉じて聞いていると、虎落笛(もがりぶえ)のようでもある、やや単調だけれど。それにしても、掲出句の、剥(は)ぐ、は強烈だ。「虎」の字とも呼び合って、まさに真冬の烈風を思わせる。それこそ窓をうっかり開けたら、突然恐ろしいものが飛び込んできそうだが、吹き荒れる木枯を聞き恐いものを想像しながら、ぬくぬくと布団をかぶっているのは、これまたちょっと幸せでもある。原句の「剥」は正字。「俳句歳時記 第四版 冬」(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


December 19122009

 限りなく限りなかりし散いてふ

                           榎本好宏

にしても銀杏にしても、その散る姿に惹かれるのはどうしてなのだろう。散ることを儚いと見てそこに無常を感じる心や、確かに続く営みを慈しむ心。ひたすら散ってゆく花や葉にさまざまな心持ちで向き合いながら、今自分はどこにいてこれからどこへ行くのだろう、と不思議な気持ちになることもある。木の葉の命は枝から離れた瞬間に消えるけれど、木々はまた芽吹き静かに命をくり返してゆく。それは永遠ではないにしても、ヒトから見れば途方もない時間であり、星や宇宙から見ればまたほんの一瞬だろう。限りないことが限りなく続く。そう言ってしまうと説明なのだが、限りなく限りなかりし、と十二音で叙すとすっと広がってくる気がする。そんな時空の無限の広がりを感じさせる一句である。「奥会津珊々」(2003)所収。(今井肖子)


December 26122009

 冬木立おとぎの国へ続く道

                           松永静子

しぶりに聞いた言葉だと思った、おとぎの国。ちらりと「ナルニア国物語」の衣装箪笥の中の雪の森が浮かんだりもしたが、ナルニア国は、おとぎの国というにはちょっとハードすぎるかもしれない。枯木立、というと冬ざれた寂寥感が先立つけれど、冬木立、という言葉にはどこかやわらかな響きがあり、うっすら雪に覆われながら明るさの残る木々が思われる。そんな木立の中を歩きながら、冬の匂いを感じた時、ふと見知らぬ何かに見つめられているような気がしたのかもしれない。未知、に通ずる道の余韻が、今年のしめくくりにふさわしいなと思ったこの句は、「船団」第八十四号(2009)の中の、作品五十句の中にあった。公私ともに変化の大きかった今年を思いながら、この句の少し後の〈叱られて来たはずだった春の川〉の省略の効いた表現に、郷愁を感じると共に待春の思いを強くした。(今井肖子)




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