July 082009
朝焼けの溲瓶うつくし持ち去らる
結城昌治
夕焼けに対して朝焼け、いずれも夏の季語。何といっても「朝焼け」と「溲瓶」の取り合わせが尋常ではない。思わず息を_むほどの、とんでもない取り合わせではないか。空っぽの溲瓶ではあるまい。朝焼けをバックにしたガラス瓶のなかの排泄したての尿は、先入観なしに見つめれば、決して汚いものではない。尿の色を「美し」ではなく「うつくし」とソフトに視覚的に受け止めた感性には恐れ入る。「うつくし」いそのものが、さっさと持ち去られたことに対する呆気なさ、口惜しさ――と言ってしまっては大袈裟だろうか。病人が快方に向かいつつある、ある朝の病室のスケッチ。ここで私は、昔のある実景を不意に思い出した。学生時代に、怪我で入院していた同年齢のいとこを見舞ったときのことである。彼はベッドで溲瓶を使い、たっぷり入った尿の表面の泡を「ほら、ほら」と大まじめに口で吹いてみせたから、二人で顔を見合わせて大笑いした。大ジョッキのビールもかくや! 二十二歳の昌治が師事していた病友・石田波郷が主宰する句会での作。二人の病室は隣り合っていた。波郷にも「秋の暮溲罎泉のこゑをなす」という別のときの句がある。こちらは音。私なら昌治の「溲瓶」に点を入れる。まあ、いずれも健康な人には思いもよらない句である。昌治には二冊の句集『歳月』『余色』がある。『俳句は下手でかまわない』という、うれしくもありがたい著作があり、「初蝶や死者運ばれし道をきて」という病中吟もある。江國滋『俳句とあそぶ法』(1984)所載。(八木忠栄)
July 062011
病み臥すや梅雨の満月胸の上
結城昌治
梅雨の晴れ間にのぼった満月を、病床から窓越しに発見した驚きだろうか、あるいは、梅雨明けが近い時季にのぼった満月に驚いたのだろうか。いずれにせよ梅雨のせいでしばらく塞いでいた気持ちが、満月によってパッと息を吹き返したように感じられる。しかも病床にあって、仰向けで見ている窓の彼方に出た満月を眺めている。しばし病いを忘れている。病人は胸をはだけているわけではあるまいが、痩せた胸の上に満月が位置しているように遠く眺められる。満月を気分よくとらえ、今夜は心も癒されているのだろう。清瀬の病院で療養していた昌治は石田波郷によって俳句に目覚め、のめりこんで行った。肺を病み、心臓を病んだ昌治には病中吟が多い。句集は二冊刊行しているし、俳句への造詣も深かったことは知られている。仲間と「口なし句会」を結成もした。「俳句は難解な小理屈をひねくりまわすよりも、下手でかまわない。楽しむことのほうが大事だ」と語っていた。掲句と同じ年の作に「柿食ふやすでに至福の余生かも」がある。波郷の梅雨の句に「梅雨の蝶妻来つつあるやもしれず」がある。第一句集『歳月』(1979)所収。(八木忠栄)
June 052013
緑陰に置かれて空の乳母車
結城昌治
緑が繁った木陰の気持ち良さは格別である。夏の風が涼しく吹き抜けて汗もひっこみ、ホッと生きかえる心地がする。その緑陰に置かれている乳母車。しかも空っぽである。乗せてつれてこられた幼児は今どこにいるのか。あるいは幼児はとっくに成長してしまって、乳母車はずっと空っぽのまま置かれているのか。成長したその子は、今どこでどうしているのだろう? いずれにせよ、心地よいはずの緑陰にポッカリあいたアナである。その空虚感・欠落感は読者の想像力をかきたて、妄想を大きくふくらませてくれる。若い頃、肺結核で肋骨を12本も除去されたという昌治の、それはアナなのかもしれない。藤田貞利は「結城昌治を読む」(「銀化」2013年5月号)で、「昌治の俳句の『暗さ』は昭和という時代と病ゆえである」と指摘する。なるほどそのように思われる。清瀬の結核療養所で石田波郷と出会って、俳句を始めた。波郷の退所送別会のことを、昌治は「みな寒き顔かも病室賑へど」と詠んだ。『定本・歳月』(1987)所収。(八木忠栄)
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