都議選大詰め。各陣営からの電話攻勢も急。電話での運動は禁止すべきだね。(哲




2009ソスN7ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1172009

 駆け足のはづみに蛇を飛び越えし

                           岩淵喜代子

元の『台湾歳時記』(2003・黄霊之著)。「蛇」は、「長い物」という季語として立っている。傍題は「長い奴」。その解説曰く「蛇の噂をする時、『長い物』と呼び『蛇』とはよばない。蛇が呼ばれたと思い、のこのこ出てくるからだ」。どこの国でも、あまり好かれてはいないらしい。最近蛇を見たのは、とある公園の池、悠々と泳いでいた。それは青白い細めの蛇だったが、子供の頃はしょっちゅう青大将に出くわした。まさに、出くわす、という表現がピッタリで、歩いていると、がさがさと出てきてくねくねっと眼前を横切るが、けっこう素速い。掲出句、走っているのは少女の頃の作者なのか。のんびり歩いていたら、ただ立ちすくむところだが、こちらもそうとうなスピードで走っていて、出会い頭の瞬間、もう少しで踏みそうになりながら勢いで飛び越える。説明とならず一瞬のできごとを鮮やかに切り取っている。子供はそのまま走り去り、蛇は再び草むらへ。あとにはただ炎天下の一本道が白く続く。『嘘のやう影のやう』(2007)所収。(今井肖子)


July 1072009

 もう何もするなと死出の薔薇持たす

                           平畑静塔

書に「三鬼の死に」とある。確かにこういう人はいるな。いつも忙しそうに飛び回って、何か常に画策している。その人の生きる本筋とは無縁のようなことについても懸命にやる。時にフィクサーと呼ばれ、関係のないことにも必ず名前があがる。西東三鬼という人もそうだったのだろう。新興俳句弾圧の折には三鬼スパイ説なんてのもあったし、俳人協会を設立して現代俳句協会から主要俳人を引き抜いたのも三鬼らしい。この人の無頼な生き様は自叙伝『神戸』『続神戸』からもうかがえる。女性関係の奔放さも。静塔と三鬼はいわば盟友。戦後、山口誓子を担いでの「天狼」設立の主要メンバーである。精神科医である静塔は盟友三鬼を「いつも忙しく動いてないでたまにはゆったりしろよ」という眼で見ていたに違いない。こいつ、性分だからしょうがないなという友情で見ていたのかもしれない。もう何もするなと心の中で呼びかけながら棺の中に薔薇を置く。菊ではなくて薔薇というのも三鬼にふさわしい。政治家や芸能人の葬儀でよくある「あの世ではどうぞゆっくりお休みください」というのとは違う。「もう何もするな」の命令調に滲む友情と悲しみ。『現代の俳人101』(2004)所収。(今井 聖)


July 0972009

 ちんぐるま眼の奥の涼しかり

                           本郷をさむ

んぐるま(稚児車・イワグルマ)は高さ十センチほどの茎の先に白い五弁花をつける高原の花だそうだ。山道でふと目に留まる花の名前を知りたいと思うけど植物図鑑の付いた電子辞書を持っていてもなかなか調べがつかない。何かいい方法はないだろうか。出会った植物を名前で呼びかけると、格別の親しみを覚えることだろう。岩蔭に咲いている可憐な高山植物を囲んで楽しそうに談笑している一行に「どうぞ、お先に」と道を譲られると、頂上を目指してやっきになっていた気持ちも歩調も緩んでくる。高山では植物が育つのに平地に比べて何倍も時間がかかるという。山頂付近に群生するちんぐるまを見つつ、山の冷涼な空気に触れていると、都会にいるときより自分の眼が澄んできて遠くまで見渡せそうな気分になるのだろう。この「涼し」にそんな清々した気持ちも含まれているように思えた。『物語山』(2008)所収。(三宅やよい)




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