プロ野球ペナントレースはしばらくお休み。暑い夜の楽しみなのに。(哲




2009ソスN7ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2372009

 ベルリンの壁の破片や夏期講座

                           中村鈴子

が小さい頃、ベルリンの壁は冷然と存在していた。家族に会うために壁を越えようと逮捕された話、銃殺された話。壁一枚で祖国分断される理不尽さを社会の授業で何度か聞かされた。ベトナム、朝鮮、ドイツ、第二次大戦から冷戦にいたる分断の構造が続いていた時代、ソ連や東欧諸国がいまのような枠組みになるとは誰も考えていなかっただろう。ベルリンの壁が壊される映像は感動的で新しい時代が来る予感の高まりに誰もが興奮したに違いない。それから20年。すでにベルリンの壁の破片は歴史的遺物になり夏期講座の机の端に置かれている。東西冷戦構造の説明のあと、先生は壁の破片を持ち上げて言うのだろう。「これがベルリンの壁の一部です」受講する生徒たちにとってその破片から当時の世界を想像できるか、夏期講座を受けている今の現実につなげることができるか。あとは生徒たちの想像力次第ということだろう。『ベルリンの壁』(2005)所収。(三宅やよい)


July 2272009

 蝶白く生れて瀑の夜明けかな

                           八十島 稔

(たき)は滝で夏。滝も地形それぞれによってさまざまな形状がある。掲出句の滝は「華厳瀑にて」という詞書があるから、ドードーと長々しくダイナミックに落ちる日光・中禅寺湖から落ちる滝である。私は夜明けの滝をつぶさに見た経験はないけれど、白い帯になって落ちつづける滝のしぶきから、あたかも白い蝶が次々に生まれ出てくるような勢いが感じられるのであろう。あたりを払うようなダイナミズムだけでなく、蝶を登場させたことで可憐な清潔感が強く表現されている。稔は岩佐東一郎や北園克衛らとともに、戦前に俳句を盛んに作っていた詩人の一人であり、句集『柘榴』を「風流陣文学叢書」の一冊として刊行している。同じ華厳滝を詠んだ句「わが胸を二つに断ちて華厳落つ」(福田蓼汀)には、対照的な豪快な調べがあるけれど、掲出句は静けささえ感じさせるきれいな夜明けである。私事になるが、日光の華厳滝はもう二十数年以上見ていない。真冬のそれを見たときには、別な凄まじさで圧倒された。滝の句では、他に中原道夫の「瀧壷に瀧活けてある眺めかな」に悠揚迫らぬ味わいがあって忘れがたい。『柘榴』(1939)所収。(八木忠栄)


July 2172009

 蝉生れ出て七曜のまたたく間

                           伊藤伊那男

曜(しちよう)とは太陽と月、火星、水星、木星、金星、土星をさし、これらを日曜から土曜までの曜日名とした7日間をいう。一ヵ月や一年というくくりがない、7種類の星の繰り返しが全てである七曜は、一週間を意味しながら、太陽系の惑星が連なる果てしない空間も思わせる。七日間といわれる蝉の一生は、もう出会うことのない月曜日、二度とない火曜日、と思うだに切ないが、それが運命というものだろう。何年か前、数日降り通しの雨がようやく上がった深夜の蝉の声に、ぎょっとしたことがある。命の限界を前に、切羽詰まったもの苦しいまでの鳴き声に、単なる憐憫とは異なる、どちらかというと恐怖に近い感情を抱いた。日本人の平均寿命の80年も、巨大な鍾乳洞でいえばわずか1cmにも満たない成長の時間である。それぞれの生の長さは、はたしてどれも一瞬なのだ。ままならぬ「またたく間」を笑ったり泣いたり、じっと辛抱したりしながら、懸命に生きていく。〈ひきがへる跳びて揃はぬ後ろ足〉〈くらければくらきへ鼠花火かな〉『知命なほ』(2009)所収。(土肥あき子)




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