July 292009
夏の月路地裏に匂うわが昭和
斎藤 環
月は本来秋の季語だが、季節を少々早めた「夏の月」には、秋とはちがった風情を思わせるものがある。しかも路地裏で見あげる月である。一日の強い日差しが消えて、ようやく涼しさが多少戻ってきている。しかし、まだ暑熱がうっすらと残っている宵の路地だろうか。「わが昭和」という下五の決め方はどこやら、あやうい「くせもの」といった観なきにしもあらずだが、ホッとして気持ちは迷わず昭和へと遡っている。大胆と言えば大胆。「路地裏」と「わが昭和」をならべると、ある種のセンチメンタリズムが見えてくるし、道具立てがそろいすぎの観も否めないけれど、まあ、よろしいではないか。こんなに味気なくなった平成の御代にあって、路地裏にはまだ、よき昭和の気配がちゃんと残っていたりするし、人の心が濃く匂っていたりする。そこをキャッチした。同じ作者には「大宇宙昭和のおたく「そら」とルビ」という句もある。同じ昭和を詠んでいながら、表情はがらりとちがう。作者は1961年生まれの精神科医。そう言えば、久保田万太郎に「夏の月いま上りたるばかりかな」という傑作があった。『角川春樹句会手帖』(2009)所載。(八木忠栄)
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