広島忌。あのころに生まれた赤ちゃんももう六十代か。NO MORE WAR!(哲




2009ソスN8ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0682009

 蛇口ひねれば黙祷といふテレビ

                           渡辺信子

月六日広島へ原爆投下された朝である。八時十五分の投下時間になると広島の平和の鐘とともに「黙祷」と、祈りが捧げられる。死者を悼むとはどういうことなのだろう。戦後生まれの私にとって戦争はおそろしいという感覚以外、子供の世代に伝えるものを持たなかったように思う。テレビを通じて運ばれてくる「黙祷」の声に何を持って和することができるのか。この時期になるたびに思う。原爆投下で家族を失った義母は追悼番組が始まると「見とうない。」と、テレビを切っていたそうだ。ちょうど朝食の後片付けの時間、蛇口をひねったら聞こえてきたテレビの声に作者は手を止めることなく汚れた皿を洗い続けるのかもしれない。その日常の行為に作者の鎮魂がこめられている。昭和二十年三月十日、義母と同年齢の作者も家族を失った。「私の中で生きつづける母、弟、妹、空襲に遭って東京の下町に消えた近隣の人々、戦場に散った人々、その鎮魂をと祈りつつ生きてまいりました。俳句を作る中で言霊をいただいて歩んでこられたことに、感謝しております。」と帯には作者の言葉が書かれている。『冬銀河』(2009)所収。(三宅やよい)


August 0582009

 たつぷりとたゆたふ蚊帳の中たるみ

                           瀧井孝作

や蚊帳は懐かしい風物詩となってしまった。蚊が減ったとはいえ、いないわけではないが、蚊帳を吊るほど悩まされることはなくなった。蚊取線香やアースノーマットなるもので事足りる。よく「蚊の鳴くような声」と言うけれど、蚊の鳴く声ほど嫌なものはない。パチリと叩きつぶすと掌にべっとり血を残すものもいる。部屋の隅っこから何カ所か紐で吊るすと、蚊帳が大きいほどどうしても中ほどにたるみができる。蚊帳の裾を念入りに払って蒲団に入り、見あげるともなくたるみを気にしているうちに、いつか寝入ってしまったものである。小学生の頃には、切れた電球のなかみを抜き、その夜とった蛍を何匹も入れ、封をして蚊帳のたるみの上にころがして、明滅する蛍の灯をしばし楽しんだこともあった。「たつぷりとたゆたふ」という表現に、そこの住人の鷹揚とした性格までがダブって感じられるではないか。昔の蚊帳は厚手だった。代表作「無限抱擁」のこの作家は、柴折という俳号をもち自由律俳句もつくる俳人としても活躍した。『柴折句集』『浮寝鳥』などの句集があり、全句集もある。蚊帳と言えば、草田男に「蚊帳へくる故郷の町の薄あかり」がある。『滝井孝作全句集』(1974)所収。(八木忠栄)


August 0482009

 蟻を見るみるみる小さくなる大人

                           小枝恵美子

人がしゃがめば子どもの目線になる。それだけで、ぐっと地面が近づいて見えるものだ。蟻を見つめ続けるうちに、みるみる身体が小さくなっていくような掲句は、まるでSF映画のようだが、見方を変えれば、蟻がどんどん大きく見えてくるということでもある。最初、黒い粒の行列にしか見えない姿が、凝視しているうちに、一匹ずつの顎の先に挟んでいるものまではっきりしてくるのだから、だんだんどちらが大きいかなどということがすっかり頭から消えてしまう。画家の熊谷守一は、自宅の庭で熱心に蟻を観察し「地面に頬杖つきながら、蟻の歩き方を幾年もみていてわかったんですが、蟻は左の二番目の足から歩き出すんです」と書く。東京都豊島区にある美術館となっている旧宅の壁には巨大な蟻が描かれている。彼こそ「みるみる小さくなる大人」だったに違いない。『ベイサイド』(2009)所収。(土肥あき子)




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