August 102009
秋日差普通のひとが通りけり
笹尾照子
前書きに「左足骨折入院」とある。このところの私は、いささか歩行に困難を覚えるときがある。腰痛と加齢によるものだろう。時々ふらついてしまう。むろん骨折による歩行不能に比べれば、はるかに軽度な障害だけれども、この句にはしみじみと納得できる。いつか歩行不能の人が「人間には歩ける人と歩けない人の二種類ががいる」と言ったのを覚えているが、これまた納得だ。入院してベッドに縛りつけられた作者は、たまたま窓外を通りかかった人を見て、猛烈な羨望の念にとらわれた。どこの誰とも知らないその人は、ただいつものように歩いているだけなのだが、作者にしてみると、そのこと自体が羨ましくて仕方がない。ふだんなら気にもならない「普通の人」が、こんなにも生き生きとまぶしく写るとは……。「普通の人」という普通の言葉が、それこそこんなにも普通ではなく輝いて見える句も珍しいのではないか。作者の手柄は、この「普通の人」の措辞を発見したところにある。当たり前の言葉のようだが、けっしてそうではない。そしてたまたま秋の入院なのだが、秋の日差しには透明感があり、事物の輪郭をくっきりと描き出す。この「普通の人」もくっきりとした輪郭と影を持ちながら歩いていった。それがまた、作者の羨望の念をいやがうえにも掻き立てたのである。『音階』(2009)所収。(清水哲男)
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