早くも台風シーズンか、各地に大雨の予報。お互いに気をつけましょう。(哲




2009ソスN8ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1082009

 秋日差普通のひとが通りけり

                           笹尾照子

書きに「左足骨折入院」とある。このところの私は、いささか歩行に困難を覚えるときがある。腰痛と加齢によるものだろう。時々ふらついてしまう。むろん骨折による歩行不能に比べれば、はるかに軽度な障害だけれども、この句にはしみじみと納得できる。いつか歩行不能の人が「人間には歩ける人と歩けない人の二種類ががいる」と言ったのを覚えているが、これまた納得だ。入院してベッドに縛りつけられた作者は、たまたま窓外を通りかかった人を見て、猛烈な羨望の念にとらわれた。どこの誰とも知らないその人は、ただいつものように歩いているだけなのだが、作者にしてみると、そのこと自体が羨ましくて仕方がない。ふだんなら気にもならない「普通の人」が、こんなにも生き生きとまぶしく写るとは……。「普通の人」という普通の言葉が、それこそこんなにも普通ではなく輝いて見える句も珍しいのではないか。作者の手柄は、この「普通の人」の措辞を発見したところにある。当たり前の言葉のようだが、けっしてそうではない。そしてたまたま秋の入院なのだが、秋の日差しには透明感があり、事物の輪郭をくっきりと描き出す。この「普通の人」もくっきりとした輪郭と影を持ちながら歩いていった。それがまた、作者の羨望の念をいやがうえにも掻き立てたのである。『音階』(2009)所収。(清水哲男)


August 0982009

 放課後の暗さ台風来つつあり

                           森田 峠

者は学校の先生でしょうか。教室の見回りに歩いているのかもしれません。あるいは何か、授業をした時の忘れものを取りにもどったのでしょう。「放課後」「暗さ」「台風」の3語が、みごとにつりあって、ひとつの世界を作り出しています。湿度の多い暗闇が、句を満遍なく満たしています。教室の引き戸を開けて中に入り、外を見れば、窓のすぐ近くにまで木が鬱蒼と茂っています。その向こうの空には、濃い色の雲が性急に動いているようです。この句に惹かれるのは、おそらく読者一人一人が、昔の学生時代を思い出すからなのです。昼間の、明るい教室に飛び交っていた友人たちの声や、輝かしいまなざしが、ふっと消えたあとの暗闇。一日の終わりとしての暗闇でもあり、学校を卒業したあとの日々をも示す、暗闇でもあるようです。句はひたすらに、事象をあるがままに描きだします。学生が去ったあとを訪れようとしている遠い台風までにも、やさしく懐かしい思いが寄り添います。『合本 俳句歳時記第三版』(2004・角川書店)所載。(松下育男)


August 0882009

 一本の白樺に秋立ちにけり

                           広渡敬雄

秋、今朝秋、今日の秋。今年は昨日、八月七日だった。手元の歳時記に、鬼貫の「ひとり言」の抜粋が載っている。「秋立朝は、山のすがた、雲のたたずまひ、木草にわたる風のけしきも、きのふには似ず。心よりおもひなせるにはあらで、おのづから情のうごく所なるべし」。今日から暦の上では秋なんだなあ、と思えばそれに沿うように、なんとなくではあるけれど目の前のものも違って見えてくる、ということか。この句の作者は、白樺の木の幹のわずかなかげりか、木洩れ日のささやきか風音か、そこにほんの一瞬、今日の秋を感じたのだろう。一本、が、一瞬、に通じ、すっとさわやかな風が通りすぎる。今日からは残る暑さというわけだが、東京はいまひとつ真夏らしさを実感できないまま、秋が立ってしまった感がある。異常気象とさかんに言われるが、蝉だけは今日もいやというほど鳴いていて、それが妙に安心。「ライカ」(2009)所収。(今井肖子)




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