もがいていた阪神にやっと浮上の兆し。今日からの横浜戦が楽しみだ。(哲




2009ソスN8ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2582009

 抱きしめて浮輪の空気抜きにけり

                           山下由理子

休みもそろそろ数えるほどになってきた。小学生時代は、夏休みの間中、子ども部屋の隅にふくらんだままの浮き輪が転がっていたように覚えている。あるいは、使用する都度ふくらまし、遊び終わったら空気を抜き出し入れする几帳面な家庭もあったかと思うが、プールや川に行こうと呼ばれれば、すぐに浮き輪を腰に装着して駆けて行ったのだから、わが家はかなり野放図派であったようだ。ひと夏、息を足しながら使う浮き輪の空気を完全に抜くときは、夏休みの宿題に迫られたこの時期。今年もそろそろ座敷の隅で夏休みを越した浮輪が目障りになってくる頃だろう。ひとたび栓を解き、抱きしめればひと夏の空気が勢いよく噴出し、次第にくたりとなった浮き輪をさらに二つ折りにしたり四つ折りにしたりと、楽しい思い出を畳み込むようにしてぺちゃんこにしていく。安定しない陽気が続き、今年はあまり活躍の場のなかった浮き輪かもしれないが、来年の楽しい夏までしばらくのお別れである。やけに広々と感じられる子ども部屋に、秋の気配が入り込む。『野の花』(2007)所収。(土肥あき子)


August 2482009

 惜しい惜しい惜しい惜しいと法師蝉

                           北 登猛

るほど、法師蝉の鳴き声はそんなふうにも聞こえる。最後は「惜しいよおっ」と駄目押しするようにして飛び去ってゆく。何がそんなに惜しいのか。作者ならずとも、だれにだって「惜しい」ことがらの一つや二つはあるのだから、それぞれの「惜しい」思いで聞くことになる。このように虫や鳥の鳴き声を人間の言葉のように聞くことを「聞きなし」と言うが、有名な例ではウグイスの鳴き声を「法華経」、ホトトギスのそれを「特許許可局」「テッペンカケタカ」などがある。Wikipediaによれば、この「聞きなし」という用語を初めて用いたのは、鳥類研究家の川口孫治郎の著書『飛騨の鳥』(1921年)と『続 飛騨の鳥』(1922年)とされているそうだ。そんなに昔のことじゃない。なかなかにオツなネーミングだと思う。句に戻れば、「惜しい」が四度も繰り返されており、このしつこさがまた残暑厳しき折りの風情を伝えていて秀抜である。今日もまた各地で「惜しい」の連発が聞こえるだろう。あと一週間経って、選挙後に身に沁みて聞きなす候補者もいるだろう。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


August 2382009

 あかえひの尾になる町は鶉かな

                           水間沾徳

かえひは、魚へんに噴の口のない字を書きますが、あいにくここでは表示できません。エイというのですから、扁平、幅広、菱形の、あの独特な形をした魚なのでしょう。その姿を見るにつけ、生き物というのはよくもまあ、可能な限りいろんな形になったものかなと、自分の形を棚に上げて、思いもするわけです。この句に惹かれたのは、「尾になる町」のところでした。『日本名句集成』には、「エイの尾のような町外れになると、深草が繁茂して鶉(うづら)が鳴く」という解説があります。では、「エイの尾のような」というのはどのようなものかと読んでゆくと、「一本道しかない郊外のこと」とあります。つまり郊外の小さな道の、ひなびた様子を、鶉の鳴き声とともに感慨深く詠っているのです。なるほどエイの尾というのは、鞭のように長く一本伸びているのだなと、形状は理解するものの、あれを郊外の一本道に例える想像力に、江戸期の俳人の、今とは違った発想の仕方に驚かされます。とはいうものの、自然の生き物が今よりも身近にうごめいていた当時にあっては、この比喩はそれほどの驚きではなかったのかもしれません。時とともに、句の読まれ方は変わってゆくのは当然のことですが、まさか沾徳(せんとく)も、自分の句が将来PCで、こんな解説が書かれるようになるとは思ってもいなかったでしょう。『日本名句集成』(1992・學燈社)所載。(松下育男)




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