[Mac]に新0Sスノー・レパードを入れた。容量が小さくてありがたい。(哲




2009ソスN8ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 2982009

 噴火口近くて霧が霧雨が

                           藤後左右

棚で見つけた手作り風の本。開くと「句俳勝名新本日」。日本新名勝俳句にまつわる話はなんとなく聞いていた。投票で選ばれた、日本新名勝百三十三景を詠んだ俳句を募集したところ、全国から十万句を越える応募があり、それを虚子が一人で選をした、という。選がホトトギスに偏っていることが問題視されることも多いが、全国規模の大吟行。あちこちの山、川、滝、海岸、渓谷に通っては句作する、当時の俳句愛好家の姿を思い浮かべると、なんだか親しみを感じる。昭和五年のことである。掲出句は、阿蘇山を詠んだ一句で、帝國風景院賞なる、ものものしい賞を受けている。久女、秋桜子、夜半等の代表句が並ぶ中、ひときわ新鮮な左右の句。今そこにある山霧の、濃く薄く流れる様がはっきりと見える。霧が霧雨が、とたたみかけるような叙し方も、近くて、がどうつながっているのか曖昧なところも、当時の句としてはめずらしかっただろうし、句の息づかいは今も褪せない。左右についてあれこれ見ているうち、〈新樹並びなさい写真撮りますよ〉の句を得た時「蟻地獄から這い上がったような気がした」と述べているのを読んで、ここにも独自の俳句を模索する一本の俳句道があるのを感じた。「日本新名勝俳句」(1931・大阪毎日新聞社/東京日日新聞社)所載。(今井肖子)


August 2882009

 子馬が街を走つていたよ夜明けのこと

                           金子兜太

由ということを思った。権力からの自由、反権力からの自由、季語からの、定型からの自由、あらゆる既成のものからの自由。好奇心と走る本能に衝き動かされて夜明けの都市を子馬は歓喜して走る。仔ではなくて子。いたよの「よ」。夜明けのことの「こと」。どれもが素朴荒削りなつくりで、繊細すぎる言葉の配慮を超えたエネルギーが溢れる。子馬が季語か否かなどは要らざる詮索。『日常』(2009)所収。(今井 聖)


August 2782009

 おはようの野菊おかえりの野菊

                           三好万美

七五の定型からは少しはずれる形。八音、八音で対句の構造を持ち、間に時間的空白を挟み込んでいる。朝出かける時、空き地に咲いている野菊に声をかけて出勤する。そして夕方帰るときには同じ野菊に迎えられ、家路をたどる。野菊のリフレインに「おはよう」と「おかえり」の言葉が爽やかに使われていて、日常の何気ない挨拶と飾り気のない野菊の立ち姿が家族のように近しく感じられる。一口に野菊といっても図鑑を見れば沢山種類があるようだ。伊藤左千夫の「野菊の墓」に出てくるのは「ノジギク」のように日本産の可憐なものだろうけど、アメリカ産のアレチノギクのなどは1メートルに及ぶ背丈に鋸状の葉と猛々しい姿をしている。掲句の野菊はうっそうと生い茂った雑草にまじって目立たずに咲いているイメージ。控え目な花のたたずまいがすがすがしい秋の訪れを感じさせる。『満ち潮』(2009)所収。(三宅やよい)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます