2009N9句

September 0192009

 野の花を野にあるやうに挿しにけり

                           杉阪大和

月の声を聞くと、肌に触れる空気にはっきりと秋の存在を感じるようになる。掲句の季題「野の花」は、歳時記「秋草」の傍題に置かれる。同じようではあるが「草の花」よりずっと控えめな、花ともいえぬ花であるような印象を受ける。茶の世界では、千利休の残した七則に「花は野にあるように」と心得があるが、掲句はその教えに沿って茶室に茶花を飾ったということではなく、おそらく野にある花を摘んできてしまった、わずかな後悔がさせた行為であろう。都会のなかで、あらためて手のなかに見る花の姿に、はっとしたのではないか。手折った花へのせめてもの償いとして、野に咲いていた可憐なおもむきを残すように挿しおいた、という作者の純情が静かな寂しさとともに立ち表れてくる。そして、利休の考えた茶室に再現させる自然の景のなかにも、作者が感じた申し訳なさという思いが込められてこそ、「侘び」の心が生まれるのかもしれない、と今さらながら気づいたのだった。『遠蛙』(2009)所収。(土肥あき子)


September 0292009

 稲妻や白き茶わんに白き飯

                           吉川英治

がみのる肝腎な時季に多いのが稲妻(稲光)である。「稲の夫(つま)」の意だと言われる。稲妻がまさか稲をみのらせるわけではあるまいが、雷が多い年は豊作だとも言われる。科学的根拠があるかどうかは詳らかにしない。しかし、稲妻・稲光・雷・雷鳴……これらは一般的に好かれるものではないが、地上では逃がれようがない。稲妻を色彩にたとえるならば、光だからやはり白だろうか。その白と茶わんの白、飯の白が執拗に三つ重ねになっている。しかも、そこには鋭い光の動きも加わっている。中七・下五にはあえて特別な技巧はなく、ありのままの描写だが、むしろ「白」のもつ飾らないありのままの輝きがパワーを発揮している。外では稲妻が盛んに走っているのかもしれないが、食卓では白い茶わんに白いご飯をよそってただ黙々と食べるだけ、という時間がそこにある。ようやく「白き飯」にありつけた戦後の一光景、とまで読みこむ必要はあるまい。特別に何事か構えることなく、しっかり詠いきっている句である。橋本多佳子のかの「いなびかり北よりすれば北を見る」は、あまりにもよく知られているけれど、永井荷風には「稲妻や世をすねて住む竹の奥」という、いかにもと納得できる句がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


September 0392009

 天涯に鳥のかほある桔梗かな

                           高柳克弘

梗は五つに裂けた花びらを持つ青紫色のきりっとした姿の花。秋の深い空のはてを飛行する鳥の嘴を突きだした鋭い横顔はこの花弁のかたちと似通うところがある。鳥が空を渡る様は地上からうかがい知ることはできないが、本能の命じるままに飛び続けるその顔は真剣そのものだろう。眼前に咲く桔梗から天上を渡る鳥の横顔に連想が及ぶところが飛躍であり、その飛躍には端正な色の美しさと鋭い輪郭をイメージの共通項として含んでいる。「枯山に鳥突きあたる夢の後」という藤田湘子の句があるが、モノクロームを思わせる湘子の句では夢から覚めたあと夢の中を飛び続けていた鳥は枯山に突き当たって落下してしまうのかもしれないが、この句の鳥はひたすら紺碧の空を飛び続けるのではないか。そしてそのひたむきな飛行は青春の明るさより、終わりのない孤独を暗示しているようにも思えるのだ。『未踏』(2009)所収。(三宅やよい)


September 0492009

 秋風や書かねば言葉消えやすし

                           野見山朱鳥

かれない言葉が消えやすいのは言葉が思いを正しく反映しないからだろう。もやもやした言葉になる以前の混沌をそれでも僕らは言葉にしないと表現できない。加藤楸邨には「黴の中言葉となればもう古し」がある。書かねば消えてしまう言葉だからと、書いたところでそれはもう書かれた瞬間に「もやもやした真実」とは乖離し始める。百万言を費やしたところで、僕らは思いを正確に伝えることは不可能である。不可能と知りつつ僕らは今日も言葉を発し文字を書き記す。言葉が生まれたときから自己表現とはそういうもどかしさを抱え込んでいる。『現代の俳人101』(2004)所載。(今井 聖)


September 0592009

 食べ方のきれいな男焼秋刀魚

                           二瓶洋子

刀魚、と秋の文字が入っているが、今開いている歳時記の解説によれば、江戸時代には「魚中の下品(げぼん)」と言われ、季題にもされなかったという。子供の頃、七輪を裏庭に出して焼いていると、お約束のように近所の猫がやってきたが、やおら魚をくわえて逃げる、ということはなく、なんとなく一緒に焼けるのを待っていた。妹は特にそれこそ猫跨ぎ、頭と骨だけ矢印のように残して食べたが、そういえば父は食べ方があまりうまくなかったように思う。見るからに器用そうな指をしながら、不器用だからだろうか。魚はきれいに残さず食べる方がいいに違いないけれど、初めて一緒に魚を食べたら思いのほか下手なところが、なんだか好もしく思えたり、あまりに見事に残された骨を見て、その几帳面さがふといやになったり。この句の場合はやはり、食べている男も、食べられている秋刀魚のように、すっきりした男ぶりなのだろうか。『新日本大歳時記 秋』(1999・講談社)所載。(今井肖子)


September 0692009

 こほろぎのこの一徹の貌を見よ

                           山口青邨

かに動物というのは、人のように喜怒哀楽を顔の表情でいちいち表しません。わたしの場合、家に帰れば飼い犬が玄関まで大喜びで出迎えてくれますが、顔がニコニコしているわけではなく、ただ尻尾を小刻みに振り、体をゆすりながらこちらを見上げている様子から、そうと察するだけです。顔は常に普通。驚くほどにまじめです。つまらぬ冗談は通じないし、すべてが一貫しています。気分によってぶれない生き方が、まさに「一徹」な無表情によく現れています。句で詠まれているのはこおろぎ。どんな顔をしていたものやら、こまかいところまでは記憶していませんが、「一徹の貌」といわれれば、大きな目をしっかりと持った、動きのない顔の形を思い浮かべられます。単にこおろぎを詠んだ句ではありますが、どこか、日々の生き方を叱られているような気分になります。『日本名句集成』(1992・學燈社)所載。(松下育男)


September 0792009

 ネクタイをはずせ九月の蝶がいる

                           坪内稔典

便宜上「秋の蝶」に分類しておく。が、九月の蝶はまだ元気だ。元気だが、私たちは蝶がやがて「秋の蝶」と言われる弱々しい存在になっていくことを知っているので、その元気さのなかに、ちらりと宿命の哀しさを嗅ぎ取ってしまう。このときに、例えれば作者もまた「九月の蝶」みたいな存在なのだ。だから、この句は作者自身への呼びかけである。「ネクタイをはずせ」と、自分自身に命令している。ネクタイは男の勤め人のいわば皮膚の一部みたいなものなので、日頃は職場ではずすことなど意識にものぼらない。それが、たまさかの蝶の出現でふと意識にのぼった。と言っても、はずせばただ解放された気分になってセイセイするというものでもないことを、作者は承知している。はずした先は、「秋の蝶」的な弱々しくも不安な気分にもなるであろうからだ。でも、あえて「はずせ」と言ってみる。自分はもはや、そうした年齢にさしかかってきた。はずせと誰に言われなくても、はずすときは確実に訪れてくる。自分の意志からではなく、社会の要請によってである。そんな哀しき現実の到来を前にして、みずからの意思でネクタイをはずしてみようかと、作者は蝶を目で追いながら、なお逡巡しているようにも思えるなと、ネクタイをはずして久しい私には受け取れた。『高三郎と出会った日』(2009)所収。(清水哲男)


September 0892009

 引掻いて洗ふ船底秋没日

                           山西雅子

日「かんかん虫」という言葉を初めて知った。ドック入りした船の腹に付いた錆や貝などををハンマーを使って落す港湾労働者のことを指すのだそうだ。「虫」という呼称に、作業の過酷さや貧しさが表れている。しかし、掲句の船はそれほど大きなものではなく、ひとりで世話ができるほどの丈であるように思う。中勘助の『鳥の物語』に若い海女と都人の悲恋を描く「鵜の話」がある。海女が海底の竜神に捕われ、ある日、なにかの拍子に肩ごしに背中へ手をやると指先がなにかに触れる。「それはまだ柔らかくはあるがまさしく出来かけの二、三枚の鱗だった」という記述は、いつ読んでもぞくっと身の毛のよだつ箇所である。異類の国に住み異類の食を取るようになるうちに、だんだん海のものへとなっていく。掲句の「引掻く」が、まるで船に付いた出来たての鱗のようにも思え、海に帰りたがる船を、陸の世界へと引き戻す作業に見えてくる。〈夜濯のもの吊る下の眠りかな〉〈反らしたる指を離れぬばつたかな〉『沙鴎』(2009)所収。(土肥あき子)


September 0992009

 窓に干す下着に路地の秋は棲む

                           大西信行

り気のないなかに、市民の小さなかけがえのない日常が切りとられている句である。路地を歩いていて、ふと目にしたさりげない光景であろう。秋の涼風に吹かれて心地良さそうに乾いてゆく下着、それが男物であろうと女物であろうと、その光景を想起しただけで、秋を受け入れて気持ちがさわやかに解き放たれてくるようにさえ感じられる。しかも、人通りの少ない路地で風に吹かれながら、下着が秋を独占していると考えれば微笑ましいではないか。人間臭い路地の秋が、きれいに洗濯されて干された下着に集約されて、秋が生き物のようにしばし棲んでいるととらえた。そんなところに思いがけず潜んでいる秋は、ことさら愛しいものに感じられてくる。小さくともこころ惹かれる秋である。信行は劇作家で、俳号は獏十(ばくと)。東京やなぎ句会発足時の十名のメンバーのひとり。(俳号通りの「博徒」でいらっしゃるとか…)他に「石垣の石は語らず年果つる」「心太むかしのままの路地の風」などがある。『五・七・五』(2009)所載。(八木忠栄)


September 1092009

 吾亦紅百年だって待つのにな

                           室田洋子

石の『夢十夜』に「百年、私の墓の傍に座つて待つていて下さい。屹度逢ひに来ますから」と死に際の女が男に言い残すくだりがある。墓のそばで時間の経過もわからなくなるぐらい待ち続けた男のそばで真白な百合がぽっかり咲いたとき「百年はもう来てゐたんだな」と男は気づく。掲句はその場面をふまえて作られているように思う。漱石の夢では女は花になって帰ってきたが、吾亦紅になって愛しい人を待ちたいのは作者自身だろう。待っても、待っても二度と会えないことを知りながら、ああ、それでもあの人に会えるなら百年だって待つのにな、と逆説的に表現している。吾亦紅の花に派手さはないが、赤紫の小さな頭を風に揺らす様子がかわいらしい。子供っぽい口語口調で表現されているが、待っても来ない哀しさをこんな表現に転換できるのはあきらめを知ったおとなの感情だろう。秋の暮れまで野に咲き続ける吾亦紅が少しさびしい。『まひるの食卓』(2009)所収。(三宅やよい)


September 1192009

 校門をごろごろ閉ぢて秋の暮

                           本井 英

の句の魅力は一点「ごろごろ」である。秋の暮はもともとは秋季の終わりという意味だが、最近は秋の夕暮という意味に使う例が多いらしい。本井さんは季語の本意に詳しい方なので、前者の意味だと僕は思う。秋も終わりごろの朝の校門の風景。これを暮際だととると下校の指導のあとか、用務担当の仕事になる。やはり朝。登校してくる生徒の服装やら持ち物やらに眼を光らせたあと、教師がごろごろと門を閉じる。重い扉を全力で閉めながら、ときどき教師は「チクショー!」とでも叫び出したくなる。人を教えるという職業の嘘臭さ、いかがわしさ、また無力感が自らを振り返るとき思われる。この「ごろごろ」はそういう音だ。『八月』(2009)所収。(今井 聖)


September 1292009

 野分なか窓にはりつく三姉妹

                           蜂須賀花

に吹く暴風、台風の余波の疾風、というのが野分の本来の意味だが、『源氏物語』の野分の巻にも雨の描写が見られるといい、台風と同じように使われることもあるようだ。それでもやはり、野を分ける、というその言葉は、確実に風のイメージが強い。この句の場合、やはり風だけでなく雨も降っている台風のような状態なのだと思う。でも、台風の、台風や、とすると、激しい風雨というイメージが固定され、窓にはりついている子供達もどこか平凡な風景の中にはまってしまう。野分なか、というと、まず風の音がする。もしかしたらこれは夜で、はりついている窓の外は真っ暗なのかもしれない。さらわれてしまいそうな風音が闇の中に渦巻いて、時折雨を窓に強く打ちつける。恐い物見たさに近い心持ちで、窓から離れることのできない子供達。はりついているのがまた三姉妹なのが、事実なのだろうが、ほどよくかわいい。上智句会句集「すはゑ(漢字で木偏に若)」第7号所載。(今井肖子)


September 1392009

 二科を見る石段は斜めにのぼる

                           加倉井秋を

語は「二科」、というか美術展覧会一般として秋の季語になっています。たしかに、涼やかな風に吹かれながら絵画を観賞しに行くには、秋が似合っています。かならずしも上野で開催されているわけでもないのでしょうが、斜めにのぼるという言葉から思いつくのは、西郷さんの銅像に行く途中の、京成線ちかくの広い階段です。あのあたりでは実際に絵を描いている人もおり、通りすがりに描きかけの絵を、覗いて見たくもなります。斜めにのぼったのはおそらく、その日、それほどに急いではいなかったからなのでしょう。二科展で絵を楽しむ時間だけでなく、行き帰りの歩行も、それなりに楽しみたかったからなのです。ちょっと子供っぽくもあるこんな動作を、休日にしてみたいと思ったのは、毎日急き立てられるように生きている反動でもあります。帰りにはおいしいコーヒーを飲んで、それからどうしようかと、次の石段に足を持ち上げながら、考えているのでしょうか。『日本名句集成』(1992・學燈社)所載。(松下育男)


September 1492009

 二十世紀ちふ梨や父とうに亡き

                           前田りう

葉県松戸市に住む少年が、裏庭のゴミ捨て場に生えていた小さな梨の木を偶然発見した。それが「二十世紀梨」で、1888年(明治21年)のことだったという。私が子供だったころ、友人とよく「二十一世紀になったら、この名前も変わるのかなあ」などとよく話題になった。しかし現在、名前の変更もなく二十世紀梨は依然として健在である。この句は「二十世紀ちふ梨」の「ちふ」に注目。「と言う」の意味で、発音は「tju:」だ。つまり会話体だ。似たような使われ方の「てふ」があるけれど、こちらは「tjo:」としか読めないから、ふだんの会話で使うことはない。あくまでも書き言葉である。いささか気取った言葉にも感じられ、当今流行の旧かなコスプレ・ファンが好んで使いそうな雰囲気も備えている。「ちふ」の「tju:」は、私の育った山陰地方などでは完全な日常用語だったが、これを女性が使うと、ちょっと伝法な物言いにも聞こえた。ましてや作者は東京在住なので、普通は「te.ju:」だろうから、これは意図的な「ちふ」だ。あるいは父上の口癖だったのかもしれないけれど、それでも女性が句に用いると伝法は伝法である。この伝法な言葉遣いがあるせいで、「とうに」父を亡くした作者の思いがいまさらのように濃密によみがえってくるようだ。この「ちふ」が「てふ」だと、凡句になってしまう。語感によほど敏感なひとでないと、こういう句は詠めないだろう。『がらんどうなるがらんだう』(2009)所収。(清水哲男)


September 1592009

 案外と野分の空を鳥飛べり

                           加藤かな文

五の「案外と」に目を見張った。そう。どんなに激しい風のなかでも、そのあたりに身をひそめればよいようなものを、思いのほか平気で鳥は飛んでいる。どちらかというと、強風になぶられることを楽しんでいるようにさえ見える。上野の森で、羽の目指す方向とはまるきり別の方角へ流されているカラスを、飽きずに眺めていたことがある。カラスは鳴きながら飛んでいたが、なんとなくそれは「助けて〜」より、「見て見て〜」という気楽さがあった。掲句の「案外と」の発見で、鳥たちも家路を急いでいるのでは…、などという人間的な常識を離れ、わりと楽しんでいるのでは、という屈託ない見方ができたのではないか。翼を持つものだけの、秘密の楽しみは、まだまだほかにもあるように思う。〈わが影は人のかたちよ水澄んで〉〈とまりたきもの見つからず赤とんぼ〉『家』(2009)所収。(土肥あき子)


September 1692009

 生きてあることのうれしき新酒哉

                           吉井 勇

米で作られた酒は新酒と呼ばれ、「今年酒」とも「新走(あらばしり)」とも呼ばれる。初ものや新しいものが好きなのは人の常。酒好きの御仁にとって新酒はとりわけたまらない。酒造元の軒先に、昔も今も新酒ができた合図に吊るされる青々とした真新しい杉玉(酒林)は、うれしくも廃れてほしくない風習である。暑さ寒さにかかわりなく年中酒杯を口に運んでいる者にとって、香りの高い新酒はまた格別の逸品である。そのうまさはまさに「生きてあることのうれし」さを、改めて実感させてくれることだろうし、今年もまた新酒を口にできることの感激を味わうことにもなる。勇が掲出句を詠んだ時代は、現在のようにやたらに酒が手に入る時代とはちがっていたはずである。それだけに新酒のうれしさは一入だったにちがいない。逆に現在は、新酒との出会いの感激はそれほどでもなくなったかもしれない。勇は短歌のほかに俳句もたくさん詠んだ。酒を愛した人らしい句に「 またしても尻長酒や雪の客 」もある。中村草田男の新酒の句に「 肘張りて新酒をかばふかに飲むよ 」があって、その様子は目に見えるようだ。10月1日は「日本酒の日」。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


September 1792009

 普段着で猫行く町の秋祭り

                           小西雅子

の間の日曜日犬を連れて公園へ散歩に出かけると、町は祭の最中だった。ああ、そういえば清水さんが増俳に祭りの撮影に行く予定。と書かれていたな、と思い出した。入り組んだ町の路地のあちこちには控所や休憩所らしきものが出来、お神酒や餅がふるまわれていた。髪を明るく染めた女の子が紺の法被にぴったりとした股引をつけきびきびと走り回っている。男も女も額には細く絞った日本手ぬぐいをきりりと巻いて、「いよっ、イナセだね」と声をかけたくなる雰囲気で、町全体が活気づいていた。うちの犬だけでなく、祭の町を連れられてゆく犬はきょろきょろあたりを見回して落ち着きがない。通りをゆく子供もおとなもどこか華やいだ表情をしている。猫は見かけなかったけど、人目を避けて塀沿いを伝い歩きしていたかもしれない。きっとわさわさした町にちろりと視線をくれたきり、素っ気ないようすで通り過ぎていったことだろう。秋祭に浮き立つ町でこころも身体も普段着のまま、過ごしていたのは猫と雀だったかもしれない。『雀食堂』(2009)所収。(三宅やよい)


September 1892009

 満月に落葉を終る欅あり

                           大峯あきら

のように一本の欅が立つ。晩秋になり葉を落してついに最後の一枚まで落ち尽す。そこに葉を脱ぎ捨てた樹の安堵感が見える。氏は虚子門。虚子のいう極楽の文学とはこういう安堵感のことだ。落葉に寂寥を感じたり、老醜や老残を見たりするのは俳句的感性にあらず。俳句が短い詩形でテーマとするに適するのはやすらぎや温かさや希望であるということ。この句がやすらぎになる原点は満月。こういう句を見るとやっぱり俳句は季語、自然描写だねと言われているような気がする。さらにやすらぎを強調しようとすれば、次には神社仏閣が顔を出す。だんだん「個」の内面から俳句が遠ざかっていき、俳句はやすらぎゲームと化する。難しいところだ。『星雲』(2009)所収。(今井 聖)


September 1992009

 蚯蚓鳴く六波羅蜜寺しんのやみ

                           川端茅舎

蚓(みみず)は鳴かない、じーと聞こえるのは螻蛄(けら)などが鳴いているのだ、と言われる。だから、蚯蚓鳴く、というのは、要するにそんな気がする秋の感じなのだと。蚯蚓鳴く、が兼題になり、そんな感じと言われても困ったな、と虚子編歳時記を。すると、なにやら解説が異常に長い。いきなり「聲がよくなるといふので煎じてのむことも」とあり、うへ、と思いつつ読んでいくと「腹中泥ばかりの蚯蚓が鳴くともおもはれない」、やはりね。さらに読むと「蚯蚓とけらとを置きかへて見ても詮ないことであらう。すべての動物は皆それぞれの聲を持つてゐるのかもしれない」と続く。蝶も実は高音を発しているらしい、と述べながら、それらの音はヒトには聞きとることができないのだ、と書かれている。土の中で激しく動き回るという蚯蚓が、土中の闇の中で呼び合っているのかもしれない、と思うと、不思議な気持ちになる。茅舎も、自分の瞬きすらあやふやになるような真闇の中で、本来は聞こえるはずのない音無き音を肌で感じとったのだろうか。一字一字確認するような、しんのやみ。『虚子編 新歳時記』(1940・三省堂)所載。(今井肖子)


September 2092009

 ふと火事に起きて物食ふ夜長哉

                           巌谷小波

語は火事のほうではなく「夜長」で、秋です。なんだかはっきりとしなかった今年の夏も、はっきりとしないまま終わってしまったようで、気がつけば最近は日が暮れるのがずいぶんと早くなってきました。いちにちの内の、夜の占める割合が増えただけ、夜に起きる出来事が増えるのは理屈にあっており、でもいつの季節であっても、火事がおこるのは夜が多いものです。秋ともなれば、そうそうに布団に入ることもあり、深く眠ったその先で、耳から入る消防車の音を、わけもわからず聞いていたものと思われます。いつまでも続く音とともに目が覚めてみれば、そうか遠くで大きな火事があったのだなと、理由はわかったものの、いったん目が覚めてしまったらもう眠れそうもありません。ではと、夕食も早かったし、なにかつまむものはないかと思ったのでしょう。台所へ向かう静かな足音まで聞こえてきそうな、この場の心情にぴたりと嵌る句になっています。火事という、日常とはちょっと違った出来事に遭遇して、心は多少興奮を覚えているのかもしれません。空腹を覚えた、というよりも、心のざわめきを静めるために、少しの食物が必要だったのです。『日本名句集成』(1992・學燈社)所載。(松下育男)


September 2192009

 反逆す敬老の日を出歩きて

                           大川俊江

の句は既に一度取り上げているが、再度付け加えておきたい。作者は「敬老の日」の偽善臭に怒っている。口では「敬老」と言いつつも、本音は老人を疎んじる社会のありようは、年寄りになってみれば誰にもわかることだ。おじいちゃんおばあちゃんと、人としてまともに向き合うのは、いつも幼児だけという現実は哀しい。つい先日も新聞を読んでいたら、こんな記述に出会った。年寄りには「枯れた味」こそが似合うし好ましい。でも、最近は枯れ損なった老人が増えてきた。原因は、このところのギスギスした社会のせいだ‥、と言うのである。一見もっともらしいけれど、「ふざけるな」と私は思った。この記事を書いた記者は、自分が偽善の片棒を担いでいることに気がついていない。あるいは気がついていても、知らん顔をしているのだ。彼が書いているのは「年寄りは年寄りらしく大人しくすっこんでろ」という本音の偽善的表現に他ならないからである。現今の社会の現実がどうであれ、年寄りにこうした杓子定規な価値観を押し付けてきた風潮は、昔からずっと変わっては来なかった。この考えは、明白に姥捨て思想につながっていく。枯れろとか好々爺になれとかなどは、余計なお世話なのである。だから、家族の反対を振り切って「出歩く」気持ちに駆られるのは、理の当然である。むしろ、こうしてささやかに出歩くこと程度が、老人に「反逆」と意識される社会の偽善の厚みこそが問題だろう。今年も「敬老の日」を季題に多くの句が詠まれるのだろうが、ユメユメ「私、枯れてますよ」みたいな句を、わざわざこちらから世間に提供してはなりませぬぞ。自分で自分のクビを締めることになるのですぞ。『新日本大歳時記・秋』(1999)所載。(清水哲男)


September 2292009

 犬の仔の直ぐにおとなや草の花

                           広渡敬雄

に入りのひとコマ漫画に、愛犬の写真を毎年撮ってずらりと飾ってある居間を描いたものがある。一枚目の子犬の他はどれも全部、全く同じ表情の成犬が愛想なく並んでいて、見ている方をクスリと笑わせる。子犬や子猫の時代の可愛らしさは、飼い主の記憶のなかでは、そのいたずらな行為とともに永遠に記憶に刻まれるが、実際の時間としてはまたたく間に過ぎてしまう。拾ってきた当初、ティッシュボックスのなかで眠れるほどの大きさだったわが家の三毛猫も、一歳を迎える前に一夜にして大人びた顔の恋猫になった。そこには、本人(猫だが)も当惑しているような居心地の悪さも見えはしたが、誰に教わることなく、恋猫特有の鳴き声を朗々と披露したのだった。しかして動物たちの成長の勢いは、思春期を思い悩むこともなく、さっさと大人になり、さっさと飼い主の年齢を追い抜いていく。掲句の切れ字「や」により引き出されるわずかな詠嘆が、この愛らしい生きものが人間よりずっと短い寿命を持つことを言外に匂わせている。『ライカ』(2009)所収。(土肥あき子)


September 2392009

 名月や橋の下では敵討ち

                           野坂昭如

やら時代劇映画のワンシーンを思わせる。貼りつけたような名月が耿々と冴える夜の河原で、ススキを背に大刀をかまえるたくましい豪の者に対し、殿か父の仇か知らないが、どこか脆さが見える若者……とまあ、このあたりの空想はきりがない。敵討ちは橋の上ではなく,人けのない橋の下の荒地でということになろう。それが映画であれ、芝居であれ、いかにも絵になる光景である。六、七年前だったか、野坂昭如による正岡子規の俳句についての講演を聴いたことがある。この両者の取り合わせが私には意外だった。四年前に脳梗塞で倒れる以前、文壇句会に常連として招かれると、いつも好成績をあげていたという。掲出句は、元担当編集者だった宮田さんが、脳力アップのためのリハビリとして勧めた《ひとり連句》のうち、「寝床の中の巻」の「月の座」で詠まれた一句であり、(恋)猫の恋にらみは団州仕込みなり、(雑)知らざあ言って聞かせやしょう、を受けたもの。それまでの歌舞伎調の流れを受けての連想らしい。「チャンバラ映画の撮影でもいい」というのが自註。連句のこむずかしい約束事に拘泥することなく、自在に言葉遊びを楽しんでいる点がすばらしい。『ひとり連句春秋』(2009)所収。(八木忠栄)


September 2492009

 あの頃へ行こう蜻蛉が水叩く

                           坪内稔典

の頃っていつだろう。枝の先っちょに止まった蜻蛉を捕まえようとぐるぐる人差し指を回した子供のころか、いつもの通学路に群れをなして赤蜻蛉が飛んでいるのを見てふと秋を感じた高校生の頃なのか。今、ここではない別の場所、別の時間へ読み手を誘う魅力的な呼びかけだ。その言葉に「汽車に乗って/あいるらんどのような田舎へ行こう/ひとびとが祭の日傘をくるくるまわし/日が照りながら雨のふる/あいるらんどのような田舎へ行こう」という丸山薫の「汽車にのって」という詩の一節を思い出した。掲句には、この詩同様ノスタルジックな味わいがある。あいるらんどのような田舎に蜻蛉は飛んでいるだろうか。汽車に乗らなくとも川原の蜻蛉がお尻を振って何度か水を叩くのをじっと見つめれば、誰でもギンヤンマやシオカラトンボを夢中になって追いかけた少年の心持ちになって、それぞれの「あの頃」へ戻れるかもしれない。『水のかたまり』(2009)所収。(三宅やよい)


September 2592009

 遺句集といふうすきもの菌山

                           田中裕明

五中七と下五の関係の距離が波多野爽波さんとその門下の際立った特徴となっている。作者はその距離に「意味」を読み取ろうとする。意味があるから付けているのだと推測するからである。さまざまに考えたあげく読者はそこに自分を納得させる「意味」を見出す。たとえば、遺句集がうすい句集だとすると、菌山もなだらかな低さ薄さだろう。この関係は薄さつながりで成り立っていると。同じ句集にある隣の句「日英に同盟ありし水の秋」も同様。たとえば日英同盟は秋に成立したのではないかと。こういう付け方は実は作者にとっては意味がないのだ。意味がないというよりは読者の解読を助けようとする「意図」がないのだ。関係を意図せず、或いはまったく個人的な思いで付ける。あまりに個人的、感覚的であるために読者はとまどい、自分から無理に歩み寄って勝手にテーマをふくらませてくれる。言ってみれば、これこそが作者の狙いなのだ。花鳥諷詠という方法があまりにも類想的な季語の本意中心の内容しか示せなくなったことへの見直しがこの方法にはある。『先生から手紙』(2002)所収。(今井 聖)


September 2692009

 秋澄めり父と母との身長差

                           川嶋一美

らしい夏がなかったと言われる今年。秋も短くてすぐ冬になるらしい、などという噂も聞く。それでも、このところ晴れると空が高く、ついぼーっと見上げてしまう。ここ数年、秋晴れの朝の通勤途中、歩きながら車窓の景色を見ながら、この日差しの感じってどう詠めばいいのかな、とずっと思っていた。確かに眩しくて強いのだけれど、どこかすべてが遠い記憶の中のような秋日。その感じを句にしかけるのだが、どうもうまくいかない。そんな時この句に出会った。浮かんだのは、並んで歩く二人の後ろ姿。秋日の中のその姿は、現実なのか、記憶の中なのか。いずれにしても、私の中のもやもやとした秋日のイメージを、身長差、という言葉が鮮やかに立ち上げてくれた。秋澄む、という言葉が、透明感を越えた何かを感じさせてくれたのは、父と母との身長差、の具体性とそこにある作者の確かな視線ゆえなのだろう。「空の素顔」(2009)所収。(今井肖子)


September 2792009

 水澄むや日記に書かぬこともあり

                           杉田菜穂

語は「水澄む」。こうして読んでみるとこの季語は、「日記」という語によく似合います。水が澄んでいるかどうかを確かめるために水面にかぶせた顔と、日記を書くために過ぎた一日にかぶせた顔が、どこか重なってきます。大串章さんはこの句の選評で、「日記に書かれないのは、忘れたいためか、それとも秘密にしておきたいためか」と書いています。どちらにしても、読者の想像は心地よい刺激を受けます。でも、どちらかというと秘密のほうなのかなと、ぼくは思います。自分のほかにはだれも読むことのない日記の中にさえ、明かしたくないことがあるなんて。そんなに秘めやかなことがあるんだなと、それだけで感心してしまいます。なんだか日記が、旧来の友人ででもあるかのように感じられ、静かな呼吸をしながら、秘密をいつ明かしてくれるのかをそばで待っているようです。昨今の、未知の人にさえ公開して、コメントを待っているブログ日記とは、なんと大きな隔たりがあることかと、思われるわけです。『朝日俳壇』(朝日新聞・2009年9月21日付)所載。(松下育男)


September 2892009

 予備校に通ひし兄や秋深し

                           大崎結香

串章から、彼も選考委員のひとりである「神奈川大学全国高校生俳句大賞」のアンソロジーをもらった。最近の高校生は、どんなセンスをしているのか。好奇心を抱いて読んでみたが、意外にみんな大人しくて真面目だった。もっともみな選者の目を通ってきた句なので、選者のセンスが現れてもいるのだろうが、もっと大きいのはやはり俳句様式そのものの力によるセンスの発現のさせ方なんだろうなと思ったことだった。高校生くらいでは、なかなか型破りな句は難しいようである。ただ掲句のように、さすがに素材的には大人とは違うところに目が行っている。当たり前と言えばそれまでだけど、これが新鮮で面白かった。作者は大阪の高校二年生。そろそろ大学受験が気になる時期である。よほどの秀才でないかぎりは、気になりだすと不安が次々にわいてくる。そんなときに、かつて受験に失敗した兄が予備校に通っていたことを思い出した。そのころの作者は、兄の予備校通いなんて、ほとんど無関心だったのだろう。だが、秋も深まってきたいまは違う。無関心どころか、他人事とは思えなくなってきたのである。当時の兄の苦しそうな心の内までが見えてくるようだ。いまのうちから計画を立て、一生懸命に勉強しておかないと、私もまた……。老年に入った私のような読者が読んでも、何だかはらはらさせられる句だ。さきほどの俳句様式ではないが、受験体制がもたらすパワーもまた、世代を選ばず人を圧し律してくるものなのだろう。『17音の青春 2009』所載。(清水哲男)


September 2992009

 密密と隙間締め出しゆく葡萄

                           中原道夫

一度通う職場への途中に葡萄棚を持つお宅がある。特別収穫を気にする様子もなく、袋掛けもされない幾房かの固くしまった青い葡萄を毎年楽しみに眺めている。可愛らしいフルーツにはさくらんぼをはじめ、苺や桃など次々名を挙げることができるが、美しいフルーツとなるとなにをおいても葡萄だと思う。たわわに下がる果実、果実を守る手のひらを思わせる大きな葉、日に踊る螺旋の蔓の先など、どれをとっても際立って美しく、古来より豊かさの象徴とされ、神殿の彫刻にも多く刻まれているそれは、時代を越え、愛され続けてきたモチーフである。なにより美酒になることも大きな魅力で、酒神ディオニソス(バッカス)が描かれるとき、かならずその美しい果実が寄り添っている。掲句の下すぼまりの語感の固い感触に、育ちゆく葡萄の若々しい姿と、締め出した隙間に充実する果実に内包される豊かな果汁が想像される。サニールージュ、ヴィーナス、ユニコーン、涼玉、マニキュアフィンガー、これらはどれも葡萄の品種。それぞれに美を連想させる名称である。『緑廊』(2009)所収。(土肥あき子)


September 3092009

 池よりも低きに聞こゆ虫の声

                           源氏鶏太

の際、「鳴いている虫は何か?」と虫の種類に特にこだわる必要はあるまい。リーンリーンでもスイッチョンでもガチャガチャでもかまわない。通りかかった池のほとりの草むらで、まめに鳴いている虫の声にふと耳をかたむける。地中からわきあがってくるようなきれいな声が、あたかも静かな池の水底から聞こえてくるように感じられたのである。「池よりも低き」に想定して聞いたところに、この句の趣きがある。しかも「池」の水の連想からゆえに、虫の声が格別澄んできれいなものであるかのように思われる。たしかに虫の声が実際は足元からであるにしても、もっと低いところからわいてくるように感じられても不思議はない。詠われてみれば当たり前のことだが、ふと耳をかたむけた作者の細やかな感性が、静けさのなかに働いている。ただ漠然と「ああ、草むらで虫が鳴いているなあ」では、そこに俳句も詩も生まれてくる余地はない。鶏太には晩秋の句「障子洗ふ川面に夕日あかあかと」がある。また、久米正雄の虫の句には「われは守るわれの歩度なり虫の声」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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