September 232009
名月や橋の下では敵討ち
野坂昭如
何やら時代劇映画のワンシーンを思わせる。貼りつけたような名月が耿々と冴える夜の河原で、ススキを背に大刀をかまえるたくましい豪の者に対し、殿か父の仇か知らないが、どこか脆さが見える若者……とまあ、このあたりの空想はきりがない。敵討ちは橋の上ではなく,人けのない橋の下の荒地でということになろう。それが映画であれ、芝居であれ、いかにも絵になる光景である。六、七年前だったか、野坂昭如による正岡子規の俳句についての講演を聴いたことがある。この両者の取り合わせが私には意外だった。四年前に脳梗塞で倒れる以前、文壇句会に常連として招かれると、いつも好成績をあげていたという。掲出句は、元担当編集者だった宮田さんが、脳力アップのためのリハビリとして勧めた《ひとり連句》のうち、「寝床の中の巻」の「月の座」で詠まれた一句であり、(恋)猫の恋にらみは団州仕込みなり、(雑)知らざあ言って聞かせやしょう、を受けたもの。それまでの歌舞伎調の流れを受けての連想らしい。「チャンバラ映画の撮影でもいい」というのが自註。連句のこむずかしい約束事に拘泥することなく、自在に言葉遊びを楽しんでいる点がすばらしい。『ひとり連句春秋』(2009)所収。(八木忠栄)
April 132016
うつむいて歩けば桜盛りなり
野坂昭如
満開の桜をひたすら見上げて歩ける人は、幸いなるかな。人にはそれぞれ事情があって、そうはいかないケースもある。花の下でおいしいお酒を心ゆくまで浴びられる人は、幸いなるかな。大好きだったお酒を今はとめられている人もある。せっかくの桜の下であっても、心ならずそれに背を向け、うつむいて歩く……。昭如は2003年に脳梗塞で倒れてから、夫人の手を借りた口述筆記で作家活動を亡くなるまでつづけた。浴びるほど飲んでいたお酒もぴたりとやめ、食事の際の誤嚥に留意しながら生きて、2015年12月に急逝した。編集者時代、私は一度だけ昭如氏に連れられて四人で、銀座の“姫”でご馳走になったことがある。後年、講演会で正岡子規について、昭如の詳しい話を聞いて驚いたことがあった。脳力アップのための『ひとり連句春秋』は忘れがたい一冊だった。2009年4月某日の日記に記述はなく、掲出句だけが記されている。その前の4月某日には「春らしい朝だ。桜の様子を観に外へ出る」と書き出され、神田川沿いの満開の桜を観ての帰り、「歩いてきた分、帰らなければならない。帰りは桜を観るゆとりもなく、ひたすら地面を見て歩くのみ。云々」とある。日記の最後は亡くなる日であり、「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう。」で終わっている。『絶筆』(2016)所載。(八木忠栄)
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