桜の紅葉は早い。ご近所の樹からはすでに葉が落ちはじめています。(哲




2009ソスN9ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2892009

 予備校に通ひし兄や秋深し

                           大崎結香

串章から、彼も選考委員のひとりである「神奈川大学全国高校生俳句大賞」のアンソロジーをもらった。最近の高校生は、どんなセンスをしているのか。好奇心を抱いて読んでみたが、意外にみんな大人しくて真面目だった。もっともみな選者の目を通ってきた句なので、選者のセンスが現れてもいるのだろうが、もっと大きいのはやはり俳句様式そのものの力によるセンスの発現のさせ方なんだろうなと思ったことだった。高校生くらいでは、なかなか型破りな句は難しいようである。ただ掲句のように、さすがに素材的には大人とは違うところに目が行っている。当たり前と言えばそれまでだけど、これが新鮮で面白かった。作者は大阪の高校二年生。そろそろ大学受験が気になる時期である。よほどの秀才でないかぎりは、気になりだすと不安が次々にわいてくる。そんなときに、かつて受験に失敗した兄が予備校に通っていたことを思い出した。そのころの作者は、兄の予備校通いなんて、ほとんど無関心だったのだろう。だが、秋も深まってきたいまは違う。無関心どころか、他人事とは思えなくなってきたのである。当時の兄の苦しそうな心の内までが見えてくるようだ。いまのうちから計画を立て、一生懸命に勉強しておかないと、私もまた……。老年に入った私のような読者が読んでも、何だかはらはらさせられる句だ。さきほどの俳句様式ではないが、受験体制がもたらすパワーもまた、世代を選ばず人を圧し律してくるものなのだろう。『17音の青春 2009』所載。(清水哲男)


September 2792009

 水澄むや日記に書かぬこともあり

                           杉田菜穂

語は「水澄む」。こうして読んでみるとこの季語は、「日記」という語によく似合います。水が澄んでいるかどうかを確かめるために水面にかぶせた顔と、日記を書くために過ぎた一日にかぶせた顔が、どこか重なってきます。大串章さんはこの句の選評で、「日記に書かれないのは、忘れたいためか、それとも秘密にしておきたいためか」と書いています。どちらにしても、読者の想像は心地よい刺激を受けます。でも、どちらかというと秘密のほうなのかなと、ぼくは思います。自分のほかにはだれも読むことのない日記の中にさえ、明かしたくないことがあるなんて。そんなに秘めやかなことがあるんだなと、それだけで感心してしまいます。なんだか日記が、旧来の友人ででもあるかのように感じられ、静かな呼吸をしながら、秘密をいつ明かしてくれるのかをそばで待っているようです。昨今の、未知の人にさえ公開して、コメントを待っているブログ日記とは、なんと大きな隔たりがあることかと、思われるわけです。『朝日俳壇』(朝日新聞・2009年9月21日付)所載。(松下育男)


September 2692009

 秋澄めり父と母との身長差

                           川嶋一美

らしい夏がなかったと言われる今年。秋も短くてすぐ冬になるらしい、などという噂も聞く。それでも、このところ晴れると空が高く、ついぼーっと見上げてしまう。ここ数年、秋晴れの朝の通勤途中、歩きながら車窓の景色を見ながら、この日差しの感じってどう詠めばいいのかな、とずっと思っていた。確かに眩しくて強いのだけれど、どこかすべてが遠い記憶の中のような秋日。その感じを句にしかけるのだが、どうもうまくいかない。そんな時この句に出会った。浮かんだのは、並んで歩く二人の後ろ姿。秋日の中のその姿は、現実なのか、記憶の中なのか。いずれにしても、私の中のもやもやとした秋日のイメージを、身長差、という言葉が鮮やかに立ち上げてくれた。秋澄む、という言葉が、透明感を越えた何かを感じさせてくれたのは、父と母との身長差、の具体性とそこにある作者の確かな視線ゆえなのだろう。「空の素顔」(2009)所収。(今井肖子)




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