さよなら、多摩テック。最初にコピーライターの仕事をした会社だった。(哲




2009ソスN9ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 3092009

 池よりも低きに聞こゆ虫の声

                           源氏鶏太

の際、「鳴いている虫は何か?」と虫の種類に特にこだわる必要はあるまい。リーンリーンでもスイッチョンでもガチャガチャでもかまわない。通りかかった池のほとりの草むらで、まめに鳴いている虫の声にふと耳をかたむける。地中からわきあがってくるようなきれいな声が、あたかも静かな池の水底から聞こえてくるように感じられたのである。「池よりも低き」に想定して聞いたところに、この句の趣きがある。しかも「池」の水の連想からゆえに、虫の声が格別澄んできれいなものであるかのように思われる。たしかに虫の声が実際は足元からであるにしても、もっと低いところからわいてくるように感じられても不思議はない。詠われてみれば当たり前のことだが、ふと耳をかたむけた作者の細やかな感性が、静けさのなかに働いている。ただ漠然と「ああ、草むらで虫が鳴いているなあ」では、そこに俳句も詩も生まれてくる余地はない。鶏太には晩秋の句「障子洗ふ川面に夕日あかあかと」がある。また、久米正雄の虫の句には「われは守るわれの歩度なり虫の声」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


September 2992009

 密密と隙間締め出しゆく葡萄

                           中原道夫

一度通う職場への途中に葡萄棚を持つお宅がある。特別収穫を気にする様子もなく、袋掛けもされない幾房かの固くしまった青い葡萄を毎年楽しみに眺めている。可愛らしいフルーツにはさくらんぼをはじめ、苺や桃など次々名を挙げることができるが、美しいフルーツとなるとなにをおいても葡萄だと思う。たわわに下がる果実、果実を守る手のひらを思わせる大きな葉、日に踊る螺旋の蔓の先など、どれをとっても際立って美しく、古来より豊かさの象徴とされ、神殿の彫刻にも多く刻まれているそれは、時代を越え、愛され続けてきたモチーフである。なにより美酒になることも大きな魅力で、酒神ディオニソス(バッカス)が描かれるとき、かならずその美しい果実が寄り添っている。掲句の下すぼまりの語感の固い感触に、育ちゆく葡萄の若々しい姿と、締め出した隙間に充実する果実に内包される豊かな果汁が想像される。サニールージュ、ヴィーナス、ユニコーン、涼玉、マニキュアフィンガー、これらはどれも葡萄の品種。それぞれに美を連想させる名称である。『緑廊』(2009)所収。(土肥あき子)


September 2892009

 予備校に通ひし兄や秋深し

                           大崎結香

串章から、彼も選考委員のひとりである「神奈川大学全国高校生俳句大賞」のアンソロジーをもらった。最近の高校生は、どんなセンスをしているのか。好奇心を抱いて読んでみたが、意外にみんな大人しくて真面目だった。もっともみな選者の目を通ってきた句なので、選者のセンスが現れてもいるのだろうが、もっと大きいのはやはり俳句様式そのものの力によるセンスの発現のさせ方なんだろうなと思ったことだった。高校生くらいでは、なかなか型破りな句は難しいようである。ただ掲句のように、さすがに素材的には大人とは違うところに目が行っている。当たり前と言えばそれまでだけど、これが新鮮で面白かった。作者は大阪の高校二年生。そろそろ大学受験が気になる時期である。よほどの秀才でないかぎりは、気になりだすと不安が次々にわいてくる。そんなときに、かつて受験に失敗した兄が予備校に通っていたことを思い出した。そのころの作者は、兄の予備校通いなんて、ほとんど無関心だったのだろう。だが、秋も深まってきたいまは違う。無関心どころか、他人事とは思えなくなってきたのである。当時の兄の苦しそうな心の内までが見えてくるようだ。いまのうちから計画を立て、一生懸命に勉強しておかないと、私もまた……。老年に入った私のような読者が読んでも、何だかはらはらさせられる句だ。さきほどの俳句様式ではないが、受験体制がもたらすパワーもまた、世代を選ばず人を圧し律してくるものなのだろう。『17音の青春 2009』所載。(清水哲男)




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