October 032009
兵役の無き民族や月の秋
石島雉子郎
太陽は、すべてを照らすみんなのものという感じだけれど、月は、どうしても一対一でさし向かう気持ちになる。月を見ていながら自分自身と向き合っているような気もして、漠とした寂寥感につつまれる。そしてふと、あの人も同じ月を仰いでいるだろうか、と誰かを思い出したりするのだ。八月の終わりに韓国を旅した時、何気なく見上げた空に半月がうすく滲んでいて、ああ、月だ、と不思議な懐かしさを覚えた。異国の空で仰ぐ月は、郷愁を誘う。今この句を読むと、とりあえずは平和そうに見える日本の空に輝く今日の月が思われる。しかしこの句が詠まれたのは大正三年。作者は朝鮮半島に渡っていて、その頃は今とは逆に徴兵制があったのは日本。そう思って読むと、民族、の一語が重く響く。雉子郎はその後大正十年まで約八年間、救世軍の大尉として力を尽くしたが、大陸での暮らしは苦労も多く、授かった四人の子を次々に亡くしたとも聞いている〈頬凍てし子を子守より奪ひけり〉。今宵十五夜、長期予報は芳しくないけれど月やいかに。「ホトトギス雑詠選集 秋」(1987・朝日新聞社)所載。(今井肖子)
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