16年五輪、東京落選。これも良し。もうシャカリキになるのは止めよう。(哲




2009ソスN10ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 03102009

 兵役の無き民族や月の秋

                           石島雉子郎

陽は、すべてを照らすみんなのものという感じだけれど、月は、どうしても一対一でさし向かう気持ちになる。月を見ていながら自分自身と向き合っているような気もして、漠とした寂寥感につつまれる。そしてふと、あの人も同じ月を仰いでいるだろうか、と誰かを思い出したりするのだ。八月の終わりに韓国を旅した時、何気なく見上げた空に半月がうすく滲んでいて、ああ、月だ、と不思議な懐かしさを覚えた。異国の空で仰ぐ月は、郷愁を誘う。今この句を読むと、とりあえずは平和そうに見える日本の空に輝く今日の月が思われる。しかしこの句が詠まれたのは大正三年。作者は朝鮮半島に渡っていて、その頃は今とは逆に徴兵制があったのは日本。そう思って読むと、民族、の一語が重く響く。雉子郎はその後大正十年まで約八年間、救世軍の大尉として力を尽くしたが、大陸での暮らしは苦労も多く、授かった四人の子を次々に亡くしたとも聞いている〈頬凍てし子を子守より奪ひけり〉。今宵十五夜、長期予報は芳しくないけれど月やいかに。「ホトトギス雑詠選集 秋」(1987・朝日新聞社)所載。(今井肖子)


October 02102009

 昨夜夢で逝かしめし妻火吹きおり

                           野宮猛夫

夜夢の中で死なせてしまった妻が今火吹き竹で火を起こしている。夢の中でどんなに悲嘆にくれておろおろしたことだろう。亡骸に向かって、あれもしてやればよかった、これも聞いてやればよかったと後悔ばかりがこみ上げて自分を責めて責めて。それにしてもどうしてあんな夢を見たのだろうか。伴侶への愛情というものが、それを表現する直接的な言葉を用いていないにもかかわらず切々と響いてくる。何より発想が斬新。そういえば私もそんな夢を見たことがあると読者を肯かせながら、それでいて誰もこれまでに詠むことのなかった世界。そんな「詩」の機微はいたるところに転がっているのだ。昨夜は音律本位でいえば「きぞ」と読むべきかもしれないが、日常感覚を重視するという意味でふつうに「さくや」と僕は読みたい。『地吹雪』(1959)所収。(今井 聖)


October 01102009

 名月やうっかり情死したりする

                           中山美樹

年の中秋の名月はこの土曜日。東京のあちこちでお月見の会が催されるようである。仲秋の名月ならずとも、秋の月は水のように澄み切った夜空にこうこうと明るく、月を秋とした昔の人の心がしのばれる。今頃でも「情死」という言葉は生きているのだろうか。許されぬ恋、禁断の恋、成就できない恋は周囲の反対や世間という壁があってこその修羅。簡単に出会いや別れを繰り返す昨今の風潮にはちと不似合いな言葉に思える。それを逆手にとっての掲句の「うっかり」で、「情死」という重さが苦いおかしみを含んだ言葉に転化されている。ふたりで名月を見つめるうちに何となく気持ちがなだれこんで「死のうか」とうなずき合ってしまったのだろうか。霜田あゆ美の絵に素敵に彩られた句集は絵本のような明るさだけど、そこに盛り込まれた恋句はせつなく、淋しい味わいがある。「こいびとはすねてひかりになっている」「かなかなかな別れるときにくれるガム」『LOVERS』(2009)所収。(三宅やよい)




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