10時に寝て3時には起きて、明るいうちのどこかで少し寝て。夏の名残り。(哲




2009ソスN10ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 06102009

 電球のやうにぷつくら茶の蕾

                           本井 英

う40年近い過去になるが、生まれ育った静岡市内では、通学路の右に左に茶畑があった。社会科実習では茶摘みを体験した覚えもあるが、茶畑といえば身をかがめて畝から畝へ移動する下校のかくれんぼを思い出す。ランドセルが茶の木から飛び出さないように、腹に抱えるのが鉄則だった。柔らかな葉に縁取られたときも、葉の刈り込まれた坊主頭も、ぼさぼさの冬の時代も全部知っている兄弟のような木に、花が咲くことを知ったのはいつ頃だろうか。身をかがめた下枝のあたりに、目立たない白い花を見つけたときには、そっと触れずにはいられない嬉しさを感じたものだ。掲句の見立ては、蕾の愛らしいかたちとともに、ぽっと灯るような静かなたたずまいを思わせる。茶の花は桜のような満開にならないと思っていたが、茶畑の茶の木は葉の育成のため、あまり花を咲かせないように過剰に栄養を与えているという。吉野弘の「茶の花おぼえがき」という散文詩に、「長い間、肥料を吸収しつづけた茶の木が老化して、もはや吸収力をも失ってしまったとき、一斉に花を咲き揃えます。花とは何かを、これ以上鮮烈に語ることができるでしょうか」という忘れられない文章がある。長い長い詩のほんの一部分である。『八月』(2009)所収。(土肥あき子)


October 05102009

 さんま食いたしされどさんまは空を泳ぐ

                           橋本夢道

えを詠んだ句を、私は贔屓せずにはいられない。あれは心底つらい。いまでも鮮明に覚えているが、敗戦直後は三度の食事もままならず、やっと粥が出てきたと思ったら、湯の中に米が数十粒ほど浮かんでいるという代物だった。これでは腹一杯になるはずもないと、食べる前から絶望していた記憶。いつか丼一杯の白飯を食べてみたいというのが人生最大の夢だった記憶。掲句は有名な「無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ」を第一句とする連作のうちの一句だ。「さんま」が食いたくて、矢も盾もたまらない。今日の読者の多くは、空を泳ぐさんまの姿を手の届かぬ高価な魚の比喩として理解し、たいした句ではないと思うかもしれない。無理もない。無理もないのだけれど、この解釈はかなり違う。なぜなら、この空のさんまは、作者には本当に見えているのだからだ。飢えが進行すると、一種の幻覚状態に入る。ときには陶酔感までを伴って、飢えていなければ見えないものが実際に見えてくるものだ。子供が白い雲を砂糖と思うのは幻覚ではなく知的作業の作るイメージだが、これを白米と思ったり、形状からさんまに見えたりするのは実際である。元来作者はイメージで句作するひとではないし、句は(糞)リアリズム句の一貫なのだ。つまり壮絶な飢えの句だ。いまの日本にも、こんなふうに空にさんまを見る人は少なくないだろう。今日の空にも、たくさんのさんまが泳いでいるのだろう。それがいまや全く見えなくなっている私を、私は幸福だと言うべきなのか。言うべきなのだろう。新装版『無禮なる妻』(2009・未来社)所収。(清水哲男)


October 04102009

 街燈は夜霧にぬれるためにある

                           渡辺白泉

の句、どう考えてもまっすぐに詠まれたようには思われません。おちょくっているのではないのでしょうか。おちょくられているのは、もちろん歌のありかた。固定的、画一的な抒情と言い換えてもいいかもしれません。「夜霧」といえば「哀愁」ときて、どうしても椎名誠の「哀愁の町に霧が降るのだ」を思い出してしまいます。本日の句の「ためにある」のところは、そのまま「降るのだ」にあたり、それまでまじめな顔をしていたものが、一気に崩れてしまうことの滑稽さがおり込まれています。まじめに書かれていないものを、まじめに読む必要はないのかもしれませんが、それでもまじめに考えてみる価値はありそうです。とはいうものの、考えるよりも先に、パターン化された抒情に未だぐっときてしまうわたしなどには、わたし自身がおちょくられているような気にもなってしまいます。人になんと言われようと、慕情やブルースという言葉の響きが好きだし、波止場やマドロスの詩だって、もっと読みたいと思ってしまうものは、しかたがありません。『日本名句集成』(1992・學燈社)所載。(松下育男)




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