首を長く伸ばして咲く熱帯の睡蓮。東京・神代植物公園温室で見られます。(哲




2009ソスN10ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 24102009

 この道の富士になり行く芒かな

                           河東碧梧桐

根仙石原の芒野の映像を数日前に観た。千石の米の収穫を願って名付けられたにもかかわらず生えてきたのは芒ばかり、結局芒の名所になったとか。かつて箱根の入口に住んでいたので、この芒原は馴染み深いが、数年前の早春、焼かれたばかりの仙石原を訪れてその起伏にあらためて驚かされた。あのあたりは、かつては芦ノ湖に没していたというが、金色の芒の風に覆われている時には気づかなかった荒々しい大地そのものがそこにあった。この句の芒原は富士の裾野。一読して、広々とした大地を感じる。明治三十四年の虚子の句日記に「七月十七日、河東碧梧桐等と富士山に登る」とある。掲出句は、同年の「ホトトギス」九月号に掲載。虚子二十七歳、碧梧桐二十八歳、子規の亡くなる前年である。富士になり行く、という表現の独創性、芒にいちはやく秋の気配を感じる繊細さ。その直後からの碧梧桐の人生に思いを馳せると、この句の健やかさがいっそうしみてくる。「俳句歳時記第四版 秋」(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


October 23102009

 田圃から見ゆる谷中の銀杏かな

                           正岡子規

規が見る景色すなわち子規の作品の中の風景というのは「見ること」「見えること」そのこと自体を目的とする風景のように思えてならない。何を見るのかということや、見て何に感動するということよりも、見るということ自体に意味がある、そんな風景である。たんぼの中から谷中の銀杏の巨木を見ている。子規つまり、内部に「生きている私」を抱えた存在が眼という窓を通して風景を見ている。見ていること自体が存在することなのだ。この句から谷中の下町の風情などを読み取ろうとするのは子規の写生を読み解く本意にあらずと僕は思う。『新日本大歳時記』(1999)所収。(今井 聖)


October 22102009

 棒切れで打つ三塁打柿熟るる

                           ふけとしこ

さい頃は近所の友だちとよく野球のまねごとをした。まずは男の子に混じって、庭先や路地の奥でささくれのないすべすべの木切れを探す。なかなか好条件の棒切れに出合えず折れ釘で手を引っ掻いたり、指に棘が立つのはしょっちゅうだった。小遣いで買ったゴムボールはあたればあっというまに塀を越してホームラン。そのたびごとにチャイムをならしてボールを探させてもらった。打つ順番はなかなかこなくって外野でぼんやり眺めているとたちまちにボールは後ろに飛び去っていく。走者にボールを当てればアウトとか、あの木まで飛べば三塁打とか、そのときの人数や場所のサイズに合わせてルールを決めていたっけ。たわわに熟れる柿と三角ベース、そんな光景もセピア色の思い出になってしまったが、さて今の子供たちはこの気持ちのよい季節にどんな遊びを記憶に残すのだろう。『インコに肩を』(2009)所収。(三宅やよい)




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