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2009ソスN10ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 25102009

 一つぶの葡萄の甘さ死の重さ

                           稲垣 長

週に続いて葡萄の句です。先週の葡萄は手のひらに乗せられていましたが、今週の葡萄は、薄い皮をめくられ、静かに口の中に入れられています。思えば時代と共に、葡萄にも改良が重ねられてきたようで、わたしが子供の頃に食べたものは、粒も小さく、中には大きな種が入っていて、種の周りはひどくすっぱかった記憶があります。だから梨とか桃のように、全体がまるごと甘い果物ほどには、ひかれることはありませんでした。しかし今では、粒も見事に大きく、種もなく、どうだといわんばかりの見事な果物になりました。ここに描かれている「一つぶ」も、現代の見事な姿の葡萄なのでしょう。人として生れ出て、なすべきことはたくさんありますが、日々、ひたすらに食べ続けることが、比喩でもなんでもなく、そのまま生きていることの証になっています。だからなのでしょうか。球形の見事な形と、とても甘い味をした、命の美しさそのもののような葡萄を、生死の秤の片方に置いてみたくなる感覚は、よくわかります『朝日俳壇』(朝日新聞・2009年10月19日付)所載。(松下育男)


October 24102009

 この道の富士になり行く芒かな

                           河東碧梧桐

根仙石原の芒野の映像を数日前に観た。千石の米の収穫を願って名付けられたにもかかわらず生えてきたのは芒ばかり、結局芒の名所になったとか。かつて箱根の入口に住んでいたので、この芒原は馴染み深いが、数年前の早春、焼かれたばかりの仙石原を訪れてその起伏にあらためて驚かされた。あのあたりは、かつては芦ノ湖に没していたというが、金色の芒の風に覆われている時には気づかなかった荒々しい大地そのものがそこにあった。この句の芒原は富士の裾野。一読して、広々とした大地を感じる。明治三十四年の虚子の句日記に「七月十七日、河東碧梧桐等と富士山に登る」とある。掲出句は、同年の「ホトトギス」九月号に掲載。虚子二十七歳、碧梧桐二十八歳、子規の亡くなる前年である。富士になり行く、という表現の独創性、芒にいちはやく秋の気配を感じる繊細さ。その直後からの碧梧桐の人生に思いを馳せると、この句の健やかさがいっそうしみてくる。「俳句歳時記第四版 秋」(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)


October 23102009

 田圃から見ゆる谷中の銀杏かな

                           正岡子規

規が見る景色すなわち子規の作品の中の風景というのは「見ること」「見えること」そのこと自体を目的とする風景のように思えてならない。何を見るのかということや、見て何に感動するということよりも、見るということ自体に意味がある、そんな風景である。たんぼの中から谷中の銀杏の巨木を見ている。子規つまり、内部に「生きている私」を抱えた存在が眼という窓を通して風景を見ている。見ていること自体が存在することなのだ。この句から谷中の下町の風情などを読み取ろうとするのは子規の写生を読み解く本意にあらずと僕は思う。『新日本大歳時記』(1999)所収。(今井 聖)




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