暖房は我慢したが、昨日の東京は寒かった。十一月下旬並みの気温だとか。(哲




2009ソスN10ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 26102009

 ペンダントの透明な赤秋惜しむ

                           伊関葉子

に見しょとて紅鉄漿(べにかね)つきょぞ……。唄の文句じゃないけれど、女性のお洒落は要するに異性を惹きつけるためなんだろう。学生時代、クラスの女性にづけづけと言ったら、たちどころに切り返された。それもある、否定はしない。でも、お洒落の最大の効用は、その時々の気持ちの表現手段になることであり、気分をコントロールできるることだ。つまり、ほとんどは自分のためなのよ。彼女の言外には、年中学生服で通しているカラスみたいなあんたには所詮わからないでしょうけどねと、そんなニュアンスがあった。言った当人はもうすっかり忘れているだろうが、私はいまだにちゃんと覚えている。社会人になってネクタイに凝ったりしたこともあり、そのときにも彼女の言を思い出していた。なかなかの名言だなと思う。回り道になったけれど、掲句のペンダントにしても気分のコントロールから、透明な赤を着けているのだろう。装身具によるお洒落は、必要不可欠というわけではないだけに、余計に気分に左右されるはずである。いろいろの色彩を考えてみたが、物寂しい晩秋には、やはり赤がいちばんしっくりとくるような気がする。それも、澄んだ大気に呼応する透明な赤色。着けていてときどき目の端に入るその色を意識すると、行く秋への思いもいちだんと深まってくるようだ。そして、句自体にも、この赤色が清潔な透明感を与えている。このところ気温もだいぶ低くなってきて、来週には暦の上の冬が控えている。まさに「秋惜しむ」の感。なお、さきほどの唄は「京鹿子娘道成寺」の一節。「みんな主への心中だて」とつづく。意味不明のまま、小学生の頃に覚えた。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


October 25102009

 一つぶの葡萄の甘さ死の重さ

                           稲垣 長

週に続いて葡萄の句です。先週の葡萄は手のひらに乗せられていましたが、今週の葡萄は、薄い皮をめくられ、静かに口の中に入れられています。思えば時代と共に、葡萄にも改良が重ねられてきたようで、わたしが子供の頃に食べたものは、粒も小さく、中には大きな種が入っていて、種の周りはひどくすっぱかった記憶があります。だから梨とか桃のように、全体がまるごと甘い果物ほどには、ひかれることはありませんでした。しかし今では、粒も見事に大きく、種もなく、どうだといわんばかりの見事な果物になりました。ここに描かれている「一つぶ」も、現代の見事な姿の葡萄なのでしょう。人として生れ出て、なすべきことはたくさんありますが、日々、ひたすらに食べ続けることが、比喩でもなんでもなく、そのまま生きていることの証になっています。だからなのでしょうか。球形の見事な形と、とても甘い味をした、命の美しさそのもののような葡萄を、生死の秤の片方に置いてみたくなる感覚は、よくわかります『朝日俳壇』(朝日新聞・2009年10月19日付)所載。(松下育男)


October 24102009

 この道の富士になり行く芒かな

                           河東碧梧桐

根仙石原の芒野の映像を数日前に観た。千石の米の収穫を願って名付けられたにもかかわらず生えてきたのは芒ばかり、結局芒の名所になったとか。かつて箱根の入口に住んでいたので、この芒原は馴染み深いが、数年前の早春、焼かれたばかりの仙石原を訪れてその起伏にあらためて驚かされた。あのあたりは、かつては芦ノ湖に没していたというが、金色の芒の風に覆われている時には気づかなかった荒々しい大地そのものがそこにあった。この句の芒原は富士の裾野。一読して、広々とした大地を感じる。明治三十四年の虚子の句日記に「七月十七日、河東碧梧桐等と富士山に登る」とある。掲出句は、同年の「ホトトギス」九月号に掲載。虚子二十七歳、碧梧桐二十八歳、子規の亡くなる前年である。富士になり行く、という表現の独創性、芒にいちはやく秋の気配を感じる繊細さ。その直後からの碧梧桐の人生に思いを馳せると、この句の健やかさがいっそうしみてくる。「俳句歳時記第四版 秋」(2007・角川学芸出版)所載。(今井肖子)




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