何が「現代」かと思ったら、演歌で踊るのね。久しぶりに「夢芝居」を聞く。(哲




2009ソスN11ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 11112009

 憎まるゝ役をふられし小春かな

                           伊志井寛

一月に入って寒さは、やはり厳しくなってきたけれど、思いがけない暖気になって戸惑ってしまう日もあったりする。そんな時はうれしいようでありながら、あわててしまうことにもなってしまう。「小春」は「小六月」とも「小春日和」とも呼ばれる。日本語には「小正月」「小股」「小姑」など、「小…」と表現する言葉があってなかなか奥床しい。伊志井寛は新派のスターとして舞台にテレビに活躍した。この句の場合、どんな芝居のどんな役柄なのかはわからないけれど、この名優にして「憎まるゝ役」をふられたことに対する当惑と、小春日和に対する戸惑いが、期せずしてマッチしてしまった妙味が感じられて、どこか微笑ましさも感じられる。役者にとっては憎まれ役だからいやとか、良い役だからうれしいとか、そんな単純な反応はあるまい。憎まれ役だからこそむずかしく、レベルの高い演技が必要とされて、やりがいがある場合もあるだろう。そこに役者冥利といったものが生じてくる。「厳冬」でも「炎暑」でもなく、穏やかな「小春」ゆえに「憎まるゝ役」も喜ばしいものに感じられてくるわけだ。松本たかしの句に「玉の如き小春日和を授かりし」がある。平井照敏編『新歳時記』(1989)所収。(八木忠栄)


November 10112009

 焼き上がる鯛焼きのみなこちら向き

                           小川春休

前の蕎麦屋はたい焼きも販売するが、夏の間はずっと休みである。そしてある日「たい焼き始めました」の看板が出ると、風がぐっと冷たくなったことに気づく。久しぶりに再会するたい焼きは鉄板の上でほかほかと休んでいた。鉄板には、ずらりといっぺんに焼けるタイプと、一尾ずつ焼くタイプがあり、たい焼き通は前者を養殖もの、後者を天然ものと呼び分けているらしい。一尾ずつの焼き型は、くるくるとひっくり返す把手側が口先となっており、掲句の通り、焼き手に向かって焼き上がる格好となる。とはいえ、客の視線で、店先のウインドウに全員口先を並べているという姿を想像するのも、今まさにこちら側に飛び出しそうな勢いがあってなんとも楽しい。ところで、たい焼きはどこから食べるか。このたびわたしはこちら向きにしたたい焼きをまじまじと見つめ、とってもセクシーなくちびるに気づき、思わずぱくっと頭から食べた。そののちたい焼きの心理テストなるものを見つけた。頭派か尻尾派の二者択一と決め込んでいたが、背びれや腹びれから食べる人もいるそうで、さらには半分に割って尻尾から、などと、きわめて少数派の意見まで網羅され、あまりにも無責任な解説ながら大いに笑ってしまった。頭派は行動力はあるがやり方が雑…。おそらくいつも頭から食べているのだと確信した。『銀の泡』(2009)所収。(土肥あき子)


November 09112009

 小春日の子らの遊びは地より暮れ

                           若林卓宣

の情景は、もうセピア色の世界になってしまった。日暮れ時に限らず、いまどき外で遊ぶ子らの姿はめったに見られない。ましてや「ご飯ですよおっ、いい加減に帰ってらっしゃい」なんて母親の呼び声は、とっくのとうに消滅してしまった。実際に暗くなるまで夢中になって遊んだ子供時代を持たない人には、この句の味はわかるまい。そうだった。「地より暮れて」くるのだった。遊び道具などなかった私の子供のころに流行ったのは「釘倒し」だ。たいていの家には転がっていた五寸釘を持ち出して、まず一人がそれを地面に投げつけて突き立てる。次の順番の子が、それを目がけて釘を打ちつけ、倒せば勝ちという単純な遊びだ。やり方は単純だけれど、なかなかに技術も必要で、物すごく面白い。みんな止められずに、もう一回もう一回と遊んでいるうちにだんだんと暗くなってくる。そしてこの遊びの醍醐味は、日暮れとともにやってくるのである。釘と釘が衝突すると、明るいうちには見えなかった火花の散る様子が見えてくるからだ。動物は火を見ると興奮するそうだが、ヒトの子とて例外ではない。暮れた地に火花を散らしているうちに、誰もがエクスタシーめいた感覚にとらわれる。こうなるともう止められないが、そこに無情な母親の声。一人減り二人減りして、止むを得ずゲームは終了となるのだった。懐かしいなあ、みんな貧しかったが、あの頃が人生の黄金時代だったと今にして思う。昭和二十年代の話である。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)




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