この子らはどんな人生を送るのだろう。子供を見ると、いつもそんな思いが。(哲




2009ソスN11ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 13112009

 大枯野拾へば動く腕時計

                           蜂谷一人

谷一人(はちやはつと)さんの句画展で展示されていた作品。捨てられていた時計を拾うと秒針が動きだした。枯野と腕時計、この大小の対象だけでもひとつの情趣はあるのだが、作者は形の対照とバランスに動きを入れて焦点を転換し生命感を象徴させた。「動く」があるためにこの句は人間の存在の確かさを描き出している。何々すればという条件を述べるのは俳句では成功しがたいと言われている。この句はその定説に挑戦している面もある。(今井 聖)


November 12112009

 拾ひたる温き土くれ七五三

                           山西雅子

うすぐ七五三。近くの神社で晴れやかな着物にぼっくり下駄で歩く女の子や、ちっちゃな背広に臙脂のネクタイをしめた男の子と会えるかもしれない。普段は身軽な格好であちこちを飛び回っている子供たち、最初は嬉しくても着なれない衣装の窮屈さにだんだん不機嫌になることも多い。神主さんのお祓いまでの順番待ちや記念撮影の準備など、こうした祝い事には待ち時間がつきものだ。晴れ着を着た子が手持無沙汰に日向にかがみこんで足元の土を手でいじっている。おとなに手をひかれあちこち歩いて草臥れてしまったのだろうか。七五三と言えば、晴れ着姿や千歳飴に目がいきがちだけど、日溜りにしゃがみこんだ子供が手にすくった土くれの温もりは何気ない動作を背後から見守るやさしい親のまなざしにも通じる。神社に降り注ぐ小春の日差しに佇む親とその膝元にしゃがむ幼子。子の成長を寿ぐ特別な日の親子のひとときが映像となって浮かびあがってくる。『沙鴎』(2009)所収。(三宅やよい)


November 11112009

 憎まるゝ役をふられし小春かな

                           伊志井寛

一月に入って寒さは、やはり厳しくなってきたけれど、思いがけない暖気になって戸惑ってしまう日もあったりする。そんな時はうれしいようでありながら、あわててしまうことにもなってしまう。「小春」は「小六月」とも「小春日和」とも呼ばれる。日本語には「小正月」「小股」「小姑」など、「小…」と表現する言葉があってなかなか奥床しい。伊志井寛は新派のスターとして舞台にテレビに活躍した。この句の場合、どんな芝居のどんな役柄なのかはわからないけれど、この名優にして「憎まるゝ役」をふられたことに対する当惑と、小春日和に対する戸惑いが、期せずしてマッチしてしまった妙味が感じられて、どこか微笑ましさも感じられる。役者にとっては憎まれ役だからいやとか、良い役だからうれしいとか、そんな単純な反応はあるまい。憎まれ役だからこそむずかしく、レベルの高い演技が必要とされて、やりがいがある場合もあるだろう。そこに役者冥利といったものが生じてくる。「厳冬」でも「炎暑」でもなく、穏やかな「小春」ゆえに「憎まるゝ役」も喜ばしいものに感じられてくるわけだ。松本たかしの句に「玉の如き小春日和を授かりし」がある。平井照敏編『新歳時記』(1989)所収。(八木忠栄)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます