水の江滝子逝く、94歳。楽屋口水の江滝子ジャケツきて(星野立子・昭9)。(哲




2009ソスN11ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 22112009

 くさめして我はふたりに分れけり

                           阿部青鞋

あ、こういう見方もあるんだなと、感心しながら本日の句を読んでいました。クシャミというもの、あらためて考えてみれば、たしかに奇妙なものです。体を二つに折り曲げて、自分が破裂するように出てくるものなんて、ほかには思いあたりません。だからでしょうか、俳句だけではなく、現代詩の中でも時折登場します。長い詩の最後に、大きな空の下でクシュンとすれば、不思議な余韻が生み出され、どことなく孤独感や切なさをかもし出します。今日の句も、なかなか印象的です。クシャミの衝撃で、自分が二人にはがれたと書いてあります。アップルパイでもあるまいに、クシャミひとつでそう簡単にはがれてはたまりませんが、もちろんここは理屈ではなく。分かれたふたりが、あわててひとつに戻る姿でも思い浮かべながら、楽しく読んでいればよいのでしょう。『日本名句集成』(1992・學燈社)所載。(松下育男)


November 21112009

 落葉掃く音の聞こえるお弁当

                           木原佳子

弁当、いい響きの言葉だ。現在、自分で作って勤め先に持っていくお弁当は、何が入っているか当然承知しているから、開ける時のわくわく度はぐっと低いが、それでも、さてお昼にするか、とお弁当箱の蓋を開ける時は、ほんわかとした気持ちになる。この句のお弁当は、どこで食べているのだろう。とある小春日和の公園あたりか。落ち葉は、それこそ散り始めてから散り尽くすまで、ひっきりなしに降り続く。そして落ち葉を掃く音は、少しやわらかく乾いている。ひたすら掃く、ひたすら落ちる、ひたすら掃く。冬を少しづつ引きよせるように続くその音を聞くともなく聞きながら、日溜りで開くお弁当はなんとも美味しそう。省略の効いた一句の中で、お弁当、の一語が、初冬を語って新鮮に感じられた。「俳句同人誌 ありのみ 第二号」(2009)所載。(今井肖子)


November 20112009

 冬帽子脱ぎおけば灯にあたたまる

                           上野さち子

光灯でも電球でもいい。最近は暑くならない灯火もあるらしいが、よく知らない。夏は電球の暑さでさえ不愉快だが冬はその温熱で心までほのぼのと感じられる。外を歩いてきてすっかり冷たくなった冬帽が灯火の熱を受けてしだいに暖かくなる。それは体感というより気持ちの問題だろう。作者没年の作品であることを考えると、冷えた冬帽が作者の人生に見えてくる。最後にあたたかさに出会えたやすらぎを思う。「俳句年鑑」(2002)所載。(今井 聖)




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