さすがに冬の季語と感心してしまうほど火事が多い。お互いに用心用心。(哲




2009ソスN11ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 25112009

 枯菊や日々に覚めゆく憤り

                           萩原朔太郎

かなる植物も、特に花を咲かすものは盛りを過ぎたら、その枯れた姿はひときわ無惨に映る。殊に菊は秋に多くの鑑賞者を感嘆させただけに、枯れた姿との落差は大きいものがある。しかも季節は冬に移っているから、いっそう寒々しい。目を向ける人もいなくなる。掲出句には「我が齢すでに知命を過ぎぬ」とあるのだが、自分も、知命=天命を知る五十歳を過ぎて老齢に向かっている。そのことを枯菊に重ねて感慨を深くしているのだろう。若い頃の熱い憤りにくらべ、加齢とともにそうした心の熱さ、心の波立ちといったものがあっさりと覚めていってしまうのは、朔太郎に限ったことではない。朔太郎は昭和十年に五十歳をむかえている。この年に『純正詩論』『絶望の逃走』『猫町』等を刊行している。前年には『氷島』を、翌年には『定本青猫』を刊行している。知命を過ぎてから、この句がいつ書かれたのかという正確な時期は研究者にお任せするしかないが、朔太郎が五十一歳になっていた昭和十一年二月に「二・二六事件」が起きている。事件の推移を佐藤惣之助らとラジオで聴いて、こう記している。「二月二十六日の事件に関しては、僕はただ『漠然たる憤り』を感じてゐる。これ以上に言ふことも出来ないし、深く解明することもできない。云々」(伊藤信吉・年譜)。その「憤り」だったかどうか? 他に「笹鳴や日脚のおそき縁の先」がある。平井照敏『新歳時記』(1989)所収。(八木忠栄)


November 24112009

 地下鉄に息つぎありぬ冬銀河

                           小嶋洋子

下鉄というものは新しいものほど深いという。一番最近開通した近所を走る「副都心線雑司が谷駅」など、地上から約35mとあり、その深さをビルに換算すると…。想像するだに息苦しくなる。ここまで深いと、始発駅から終点まで地上に出ることなく黙々と地下を行き来するのみだが、古株の「丸ノ内線」になると時折地上駅がある。ことに東京ドームを横目にする後楽園駅のあたりは、どこか遊園地の続きめいた気持ちにさせる区間だ。おそらく電車も地下から地上へ視界が開ける瞬間に息つぎをして、また地下へと潜っているのではないか、という掲句の気分もよく分かる。東京の地下鉄の深さを比較するのにたいへん便利な東京地下鉄深度図を見つけた。まだ副都心線が網羅されていないのが惜しいが、前述の「雑司が谷駅」付近はほとんど「永田町駅」クラスの深海ならぬ深都市層を走っていることとなる。眺めているうちに、息つぎを知らない不憫な副都心線の一台一台をつまみあげて、冬の夜空を走らせてあげたい気持ちになってきた。〈跳箱の布の手ざはり冬旱〉〈地球史の先端にゐる寒さかな〉『泡の音色』(2009)所収。(土肥あき子)


November 23112009

 吊革に双手勤労感謝の日

                           長田和江

人の様子ではなく、自分のことを詠んだと見るほうが味わい深い。作者は女性だ。女性が双手(両手)で吊革につかまる姿はあまり見かけない。よほど疲れているのだろう。サービス業なのだろうか。とにかく祝日でも休めない職に就いている。今朝もいつもの時刻に出勤のため、電車に乗っている。いつもとは違って車内はだいぶ空いており、双手で吊革につかまるほどの余裕はある。そこで思わずも自然に双手で吊革をつかんでいる自分に、気がついた。あらためて、疲労している自分を確認した。周囲には行楽地に向かうとおぼしき家族連れなどもいて、ああ休みたいなと思う気持ちが込み上げてくる。そういえば、吊革にすがっている自分の姿は、そんな気持ちを天に向かって祈りを捧げているようではないか。微苦笑している作者の顔が目に浮かぶ。まったくもって同情したくなってくるけれど、しかしこの不景気、この就職難時代のことを思えば、作者はまだまだ幸せなほうである。いま「勤労感謝の日」という言葉が最も身にしみているのは、ただいま失職中の人たちなのではなかろうか。働きたくても働けない。一日も早く、そんな状況が消えてなくなりますように。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)




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