そろそろ年賀状を仕入れねば。年末ジャンボも。今年もあと二十日少々。(哲




2009ソスN12ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 09122009

 悪性の風邪こじらせて談志きく

                           高田文夫

型インフルエンザの蔓延で、ワクチンの製造が追いつかない昨今、病院も学校も電車でもマスク姿があふれかえっている。学校の学級閉鎖も深刻だ。例年インフルエンザでなくとも、風邪がはやる冬場。まして暮れのあわただしい時季に風邪をこじらせてしまってはたまらない。文夫はくっきりした口跡の持ち主だが、悪性の風邪をこじらせても、贔屓の立川談志の高座は聴きに出かけなくてはならない。つらい状況の句だけれど、「談志きく」の下五で救われて笑いさえ感じられる。談志の声は美声ではない。あの声だ。数年前「立川流二十周年」の会で、志の輔の後に高座にあがった談志が、開口一番「こんなに声の悪いやつがつづいていいのかね」と真顔で呟いて、客席をひっくり返したことがあった。志の輔は「談志の声は悪くない」と言っているが、まあ、ふたりともガラガラ声だ。どちらかと言えば「悪い声」ということになるだろう。もっとも芸人の場合、いわゆる美声が必ずしもプラスになるとは限らない。風邪をこじらせれば熱も出るだろうし、のどをやられればガラガラ声にだってなる。そんな状態でも、談志のガラガラ声を聴きに出かけるというブラック・ユーモアに、文夫らしさがにじんでいる。ちなみに文夫は立川流Bコース(著名人)の真打で、高座名は「立川藤(とう)志楼」。本格的に高座で落語を演じることも珍しくない。文夫の風邪の句に「風邪ひとつひいて女郎の冬支度」がある。『平成大句会』(1994)所収。(八木忠栄)


December 08122009

 生年を西暦でいふちやんちやんこ

                           上原恒子

裁が良かろうと悪かろうと、一度身につけたらなかなか手放せないのがちゃんちゃんこ。最新のヒートテックインナーも、あったかフリースもよいけれど、背中からじんわりあためてくれる中綿の感触は、なにものにも代え難い。掲句の「生年を西暦」に、昭和と西暦の関係は25を足したり引いたり、などと考えながら巻末を見れば作者は1924年生まれ、和暦で大正13年生まれである。作品の若々しさから、もっとずっと若い方を想像していたが、たしかに〈子が産んで子が子を産んで月の海〉などからは、子が生む子がまた生む子という長い時間が描かれている。それにしても、便利ではあるが、なにもかも西暦にしてしまうことには、違和感も抵抗もささやかながらあるものだ。掲句の西暦で言う理由には、「どうせ年齢を計算するんだったら、分かりやすいほうで…」なのか、または「大正って言うのはちょっと…」なのかは分からないが、わずかな逡巡が胸に生まれたため「西暦で言った」ことが作品になったのだろう。そして、西暦を使いこなすことによって、下五のちゃんちゃんこが年寄りめいて見えない。ちゃんちゃんこはベスト型の袖のないものをいうが、ここには「ものごとを手際よく(ちゃんちゃんと)行うことができることから」という意味があるという。あくまでも機能的にアクティブなファッションなのだ。ところで、西暦は下2桁のみ答えることも多く、たとえば1963年生れを単に63年と省略したときに、昭和63年もあるのだから分かりにくい、と言われたことを、ふと思い出した。お若く見える皆さま、お気をつけくださいませ。〈睡蓮は水のリボンでありにけり〉〈げんまんは小指の仕事さくら咲く〉『水のリボン』(2009)所収。(土肥あき子)


December 07122009

 残像なお増殖止まず開戦日

                           的野 雄

日12月8日(1941年・日本時間)は大東亜戦争(当時の日本政府による呼び方)の開戦日。「ああ」と感慨を抱くのは、既に物心のついていた七十代半ば以降の人たちだろう。私はまだ三歳だったので、何も覚えてはいない。この日から、日本は、いや世界は、泥沼の道に入った。作者の脳裏に去来する「残像」はどんなものなのだろうか。むろん、一言では尽くせまい。大きく変わった身内の運命。知り合いの人の運命。なによりも口惜しいのは、戦争さえなければ死ななくてもよかった人たちの死である。若く元気だった人たちの顔が、いまでも目に浮かぶ。同時に、当時の暮らしぶりや山川の風景、そしてその後の自身を含めて翻弄されつづけた生活のありようなど。残像はとめどなく明滅し、止むことがない。言っても甲斐なきことなどは承知でも、なおこう詠まずにはいられない作者の気持ちが、私などにはよくわかる。現在沖縄基地問題をめぐって、鳩山政権が苦しがっているようだ。しかし、そんな苦しみは、あの日を生身で体験した人々のそれに比べれば屁みたいなものである。たとえ無責任なマスコミに八方美人的と言われようとも、問題解決を焦ることはない。じっくりと腰をすえて、百年の大計を練るべきである。『円宙』(2009)所収。(清水哲男)




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