December 152009
燃やすもの無くなつて来し焚火かな
森加名恵
もう都会では楽しむことも叶わなくなった焚火だが、わたしの幼い頃は庭で不要品を燃やすことも年末行事のひとつだった。子供はおねしょをするからと、じっと焚火を見つめているだけだったが、青々と澄む冬空へ溶けていくような煙や、思い思いの方向に舞う火の粉など、かつての体験は感触や匂いを伴ってよみがえってくる。掲句もおそらく不要品や落葉などを燃やすための焚火だったのだろうが、そろそろおしまいというところで、なんとなく物足りない気持ちが頭をもたげているのだろう。本来なら掃除といえば、完了というのは喜ばしい限りなのだが、ここには火が消えてしまうというさみしさが生まれている。獣たちが怖れる炎を、いつしか利用するようになり、人間は文明を持ち得たのだという。焚火という火そのものの形を目にしたことで、何千本もの手から手へ伝えられてきた人間と火の関係を作者は見つめ、名残惜しんでいるのだろう。〈かなかなと我が名呼びつつ暮れにけり〉〈ふる里は母居るところ日向ぼこ〉『家族』(2009)所収。(土肥あき子)
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