TOKYO-FMに貼ってあった桑田佳祐。カメラマンとの呼吸がぴったり。(哲




2009ソスN12ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 18122009

 天の贅地の贅雪に日が射して

                           津田清子

みぶりがからっとしていて、俳句の臭みのようなものが感じられない。こういう句が誓子文体本流の句である。雪は積雪のこと。一切が雪に覆われた世界に日が射している。空は青空。まさに天の贅地の贅だ。ひいてはこの世の贅、生きて在ることの贅に通じる。誓子が切れ字を嫌ったのは、古い俳句的情緒の臭みを嫌ったから。切れ字を排する代わりに五七五のリズムを一度壊した上で自己にひきつけて新鮮なリズムを構築する。誓子文体の中に、作者によって内容のオリジナルが盛られている。「角川俳句年鑑」(2009)所載。(今井 聖)


December 17122009

 毛糸編む母の周りに集まりぬ

                           後閑達雄

車の座席や病院の待合室で編みかけのものを袋から取り出してせっせと編み針を動かす姿をこの頃はとんと見かけなくなってしまった。今迄毛糸編みに見向きもしなかった女の子が編み針と毛糸を購入してマフラーを編み始めたらボーイフレンドが出来たものと相場が決まっていたが、この頃はどうなのだろう。昔のお母さんは古くなったチョッキやセーターをほどいた毛糸を蒸気でのばし、違うものに再生させていた。せっせと編み針を動かすお母さんのまわりに子供たちが集まって、学校のこと、友達のことなどしきりに話しかける。お母さんはふんふんと頷きながら手は休ませない。手編みのせーターもあまり着ることのなくなった昨今、このような牧歌的風景は少なくなったことだろう。だからこそ昔はありふれていたこんな光景が懐かしい。ゆったり流れる冬の夜の時間。母を囲んで丸く集まった家族の温もりが毛糸の暖かさをともに伝わってくる句である。『卵』(2009)所収。(三宅やよい)


December 16122009

 湯豆腐の小踊りするや夜の酌

                           玉村豊男

頃は忘年会の連続で、にぎやかな酒にも海山のご馳走にも食傷気味か? そんな夜には、家でそっとあっさりした湯豆腐でもゆっくりつつきたい――そんな御仁が多いかもしれない。湯豆腐は手間がかからなくて温まるうれしい鍋料理。豆腐が煮えてきて鍋の表面に浮いてくる寸前を掬って食べる、それがいちばんおいしいと言われる。「小踊りする」のだから、まさに掬って食べるタイミングを言っている。表面で踊り狂うようになってしまっては、もはやいけません。掲出句は食べるタイミングだけ言っているのではなく、湯豆腐を囲んでいる面々の話題も楽しくはずんでいる様子まで感じさせてくれる。「小踊り」で決まった句である。古くは「酌は髱(たぼ)」と言われたけれど、ご婦人に限らず誰の酌であるにせよ、この酒席が盛りあがっていることは、湯豆腐の「小踊り」からも推察される。酒席はつねにそうでありたいものである。万太郎の名句「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」にくらべて、親しみとユーモアがほのぼのと感じられる。湯豆腐の句は数あるようだが、意外とそうでもないようだ。三橋敏雄に「脆き湯豆腐人工衛星など語るな」がある。なるほど。豊男には他に「天の寒地に堕ちて白き柱かな」がある。『平成大句会』(1994)所載。(八木忠栄)




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