冬の水着専門店。客はいないし店員も?いない。マネキンもがっくり。(哲




2009ソスN12ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 20122009

 一年早く辞める話も出て熱燗

                           柏倉ただを

の句を読んで感慨にふけってしまったのは、わたしの個人的な理由によるものなのかもしれません。というのも、今年でわたしは59歳になり、あと一年で定年を迎えることになっています。「一年早く」というのは、定年を迎えようとするその一年前ということなので、まさにわたしの年齢を指しています。この厳しい経済状況の中で、定年近くの勤め人は、多かれ少なかれ会社の中でつらい立場に追い込まれています。この句の人は、早期退職を勧められでもしているのでしょうか。あるいは、わたしの同僚にも何人かいましたが、30年以上も働き続けてきたものの、あと一年がどうにも辛抱がならず、みずから辞めてゆくということもあるようです。ゴールが見えてきて、年金の額もおおよそ決まってしまえば、さらにあと一年を早起きして、毎日へいこらすることが耐えられなくなってくるというのは、心情としてはよくわかります。この句では、同僚と熱燗を酌み交わして、しみじみとそんな愚痴をこぼしあっているようです。わたしにはそんな仲の同僚はいませんので、一人さびしくビールを注ぎながら、自分にむかってつぶやくだけです。『朝日俳壇』(朝日新聞・2009年12月13日付)所載。(松下育男)


December 19122009

 限りなく限りなかりし散いてふ

                           榎本好宏

にしても銀杏にしても、その散る姿に惹かれるのはどうしてなのだろう。散ることを儚いと見てそこに無常を感じる心や、確かに続く営みを慈しむ心。ひたすら散ってゆく花や葉にさまざまな心持ちで向き合いながら、今自分はどこにいてこれからどこへ行くのだろう、と不思議な気持ちになることもある。木の葉の命は枝から離れた瞬間に消えるけれど、木々はまた芽吹き静かに命をくり返してゆく。それは永遠ではないにしても、ヒトから見れば途方もない時間であり、星や宇宙から見ればまたほんの一瞬だろう。限りないことが限りなく続く。そう言ってしまうと説明なのだが、限りなく限りなかりし、と十二音で叙すとすっと広がってくる気がする。そんな時空の無限の広がりを感じさせる一句である。「奥会津珊々」(2003)所収。(今井肖子)


December 18122009

 天の贅地の贅雪に日が射して

                           津田清子

みぶりがからっとしていて、俳句の臭みのようなものが感じられない。こういう句が誓子文体本流の句である。雪は積雪のこと。一切が雪に覆われた世界に日が射している。空は青空。まさに天の贅地の贅だ。ひいてはこの世の贅、生きて在ることの贅に通じる。誓子が切れ字を嫌ったのは、古い俳句的情緒の臭みを嫌ったから。切れ字を排する代わりに五七五のリズムを一度壊した上で自己にひきつけて新鮮なリズムを構築する。誓子文体の中に、作者によって内容のオリジナルが盛られている。「角川俳句年鑑」(2009)所載。(今井 聖)




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