鳩山内閣支持率急落。他人のことは言えないが、日本人はせっかちだね。(哲




2009ソスN12ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 22122009

 山中に沈む鐘の音師走空

                           井田良江

ろそろ年末もはっきり来週に迫り、いよいよやらねばならぬことの数々に気持ちばかりが焦っている。そんな時でも梵鐘の腹の底にこたえるような低音から、長く尾を引く余韻に包まれると、常にない荘厳な気持ちになるのだから不思議だ。良い鐘とは「一里鳴って、二里響き、三里渡る」のだという。実際どこまで聞こえるかは、都会と山里ではもちろん違うだろうが、どこであっても鐘の音色はブーメランのような形をした物体がゆるいカーブを描いて、そして掲句の通り、向こうの山の彼方へ沈み込むような消え方をする。三浦哲郎の『ユタとふしぎな仲間たち』に出てくる座敷わらしたちの「乗り合いバス」は、鐘の音の輪っかに飛び乗ることだった。小説にはコバルト色の薄べったい虹のようなものとあり、たしかに鐘の音の軌跡は空よりひと色濃い青色の帯のようだ、と合点したものだ。どこからか響く鐘の音のなかで目を凝らせば、コバルト色のブーメランに乗った座敷わらしたちが、せわしない師走の町を見下ろしているかもしれない。〈冬麗や卍と抜けるビルの谷〉〈ひかるものなべてひからせ年惜しむ〉『書屋の灯』(2009)所収。(土肥あき子)


December 21122009

 昭和の空に残されている寒鴉

                           木村和也

和も遠くなりにけり。年が明ければ、もう二十二年以上も前の昔の時代である。昨今のジャーナリズムが盛んに回顧しているのもうなずけるが、しかし昭和はずいぶん長かったので、一口に回顧するといっても、その感慨はさまざまであるはずだ。反射的に思い出す時期も、大きく分ければ戦前の昭和もあれば戦後のそれもある。でも、ジャーナリズムが好んで採り上げたがるのが三十年代の昭和であることに、私は不満を抱いてきた。戦禍からたくましく蘇った日本人、いろんな奴がいたけれどみんなが苦労をわかちあい助け合った時代、往時の小学一年生の教科書みたいに「おはなをかざる、みんないいこ」の大合唱……にはうんざりさせられる。「三丁目の夕日」に代表されるノスタルジックな世界は、表層的な回顧の、ほんの一面であるにすぎない。そんな馬鹿なと、私などはそれこそ回顧する。心をじっと沈めてみれば、あの時代も含めて、昭和はロクでもない時代だったと思う。だから私は「夕日」よりも掲句の「寒鴉」に象徴されるあれこれのほうが、口惜しい話ではあるけれど、的を射ていると思われるのだ。二十年以上も経ているというのに、なお昭和の空には孤独な姿の鴉が残されてあると写る作者の目は健全と言うべきだろう。嫌なことは忘れたいと思うのは人情だが、その反動で夕日を情緒的に美化しすぎる目は逆に病的だと言わざるをえない。この句は多くの支持を得られないかもしれないが、私はあくまでも怜悧である作者の感覚を信頼する。この鴉は決して亡霊などではなく、まぎれもなく昭和の私たちや時代の姿を象徴していると読んだ。『新鬼』(2009)所収。(清水哲男)


December 20122009

 一年早く辞める話も出て熱燗

                           柏倉ただを

の句を読んで感慨にふけってしまったのは、わたしの個人的な理由によるものなのかもしれません。というのも、今年でわたしは59歳になり、あと一年で定年を迎えることになっています。「一年早く」というのは、定年を迎えようとするその一年前ということなので、まさにわたしの年齢を指しています。この厳しい経済状況の中で、定年近くの勤め人は、多かれ少なかれ会社の中でつらい立場に追い込まれています。この句の人は、早期退職を勧められでもしているのでしょうか。あるいは、わたしの同僚にも何人かいましたが、30年以上も働き続けてきたものの、あと一年がどうにも辛抱がならず、みずから辞めてゆくということもあるようです。ゴールが見えてきて、年金の額もおおよそ決まってしまえば、さらにあと一年を早起きして、毎日へいこらすることが耐えられなくなってくるというのは、心情としてはよくわかります。この句では、同僚と熱燗を酌み交わして、しみじみとそんな愚痴をこぼしあっているようです。わたしにはそんな仲の同僚はいませんので、一人さびしくビールを注ぎながら、自分にむかってつぶやくだけです。『朝日俳壇』(朝日新聞・2009年12月13日付)所載。(松下育男)




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