もはや定番のクリスマス・ソング。いささか楽天的ではあるけれど。(哲




2009ソスN12ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 24122009

 雪が来るコントラバスに君はなれ

                           坪内稔典

ントラバスはチェロよりも大きく、ジャズの演奏にはベースとして登場する。低音の暖かい音色が魅力の楽器である。チェロよりはややロマンチックでないかもしれないが、ボンボンと響くその音が楽曲の全体をおおらかにひき締める大切な役柄を担っている。真っ黒な雪催いの空が西から近づいてきて、今夜は吹雪くかもしれない。その時は僕がしっかり両腕で受けとめてあげるから君はコントラバスになりなさい。やさしい言葉だけどしっかりした命令形が頼もしい。これは最高に素敵な求愛の言葉。二人だけの夜にこんな言葉をささやかれたら女性はすぐに頷いてしまうだろう。世の男性たちも自分の心持ちをお洒落に表現する言葉の使い手になってひそかに思いを寄せる女性たちを口説いてほしい。今夜はクリスマスイブ、雪と求愛が一年で一番似合う夜が訪れる。『水のかたまり』(2009)所収。(三宅やよい)


December 23122009

 志ん生を偲ぶふぐちり煮えにけり

                           戸板康二

ぐ、あんこう、いのしし、石狩……「鍋」と聞くだけでうれしくなる季節である。寒い夜には、あちこちで鍋奉行たちがご活躍でしょう。志ん生の長女・美津子さんの『志ん生の食卓』(2008)によると、志ん生は納豆と豆腐が大好きだったという。同書にふぐ料理のことは出てこないが、森下の老舗「みの家」へはよく通って桜鍋を食べたらしい。志ん生を贔屓にしていた康二は、おそらく一緒にふぐちりをつついた思い出があったにちがいない。志ん生亡き後、ふぐちりを前にしたおりにそのことを懐かしく思い出したのである。同時に、あの愛すべきぞろっぺえな高座の芸も。赤貧洗う時代を過ごした志ん生も、後年はご贔屓とふぐちりを囲む機会はあったはずである。また、酒を飲んだ後に丼を食べるとき、少し残しておいた酒を丼にかけて食べるという妙な習慣があったらしい。「ふぐ鍋」という落語がある。ふぐをもらった旦那が毒が怖いので、まず出入りの男に持たせた。別状がないようなので安心して自分も食べた。出入りの男は旦那の無事を確認してから、「私も帰って食べましょう」。それにしても、誰と囲むにせよ鍋が煮えてくるまでの間というのは、期待でワクワクする時間である。蕪村の句に「逢はぬ恋おもひ切る夜やふぐと汁」がある。『良夜』など三冊の句集のある康二には「少女には少女の夢のかるたかな」という句もある。『戸板康二句集』(2000)所収。(八木忠栄)


December 22122009

 山中に沈む鐘の音師走空

                           井田良江

ろそろ年末もはっきり来週に迫り、いよいよやらねばならぬことの数々に気持ちばかりが焦っている。そんな時でも梵鐘の腹の底にこたえるような低音から、長く尾を引く余韻に包まれると、常にない荘厳な気持ちになるのだから不思議だ。良い鐘とは「一里鳴って、二里響き、三里渡る」のだという。実際どこまで聞こえるかは、都会と山里ではもちろん違うだろうが、どこであっても鐘の音色はブーメランのような形をした物体がゆるいカーブを描いて、そして掲句の通り、向こうの山の彼方へ沈み込むような消え方をする。三浦哲郎の『ユタとふしぎな仲間たち』に出てくる座敷わらしたちの「乗り合いバス」は、鐘の音の輪っかに飛び乗ることだった。小説にはコバルト色の薄べったい虹のようなものとあり、たしかに鐘の音の軌跡は空よりひと色濃い青色の帯のようだ、と合点したものだ。どこからか響く鐘の音のなかで目を凝らせば、コバルト色のブーメランに乗った座敷わらしたちが、せわしない師走の町を見下ろしているかもしれない。〈冬麗や卍と抜けるビルの谷〉〈ひかるものなべてひからせ年惜しむ〉『書屋の灯』(2009)所収。(土肥あき子)




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