December 272009
ふゆの夜や針うしなうておそろしき
桜井梅室
クリスマスとお正月の間に位置する数日は、むかしはただ、お正月まではあと何日と数えられるだけの日々でした。しかし、町にイブのイルミネーションが輝きだした昨今は、二つのお祝い事の中間にある、中途半端に晴れやかな、両側を見上げる谷底のような日々になりました。そんな派手やかな出来事からは遠く、今日の句は江戸後期の俳人の、地味でしっとりとした味わいのある作品です。おそろしいのはもちろん、「針うしなうて」のところ。「針」の一語が、おのずと皮膚を破って内側へ入り込む痛さを連想させますし、「うしなう」という行為が、自身の感覚ではコントロールできないものに対する恐怖を表しているようです。昔、母親が繕い物をしているときには、大きな針山がいつもそばに置いてあって、たくさんの針がそこに刺さっていました。それを見るたびに、子供心にも、あれだけ針があるのだから、1本や2本なくなってもだれにもわからないのだろうなと、妙にいやな思いをしたものです。ということは、失われた針にいつ足裏を踏み抜くかも知れず、針山を見たあとしばらくは、おそるおそる畳の上を歩いていたように思い出します。冬の夜の心細さと、皮膚に感じる痛さが相俟って、たしかにおそろしい句になっています。『日本名句集成』(1992・學燈社)所載。(松下育男)
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