未回答アンケートが何通も。もう、いいや。来年に持ち越しだ。(哲




2009ソスN12ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 29122009

 熱燗や無頼の記憶うすれたる

                           大竹多可志

事納めもとともに、忘年会続きのハードな日々も落ち着き、29日は年末とはいえ、ぎりぎりの普通の日。押し詰まる今年と、迫り来る来年に挟まれた不思議な一日である。ぽかんと空いたひとりの夜に、熱燗の盃を手にすれば、湧きあがるように昔のことなども甦ってくるものだろう。作者は昭和23年生まれ。一般に「団塊の世代」と呼ばれるこの世代といえば「戦後復興経済とともに成長し、大学紛争で大暴れ」といったステレオタイプが強調されることもあり、掲句の「無頼の記憶」もまた、すごぶる武勇伝が潜んでいそうだが、その向こう見ずな時代を熱く語る頃を過ぎたのだという。しかし「うすれた」と「忘れた」とは大きく違う。忘れたくない気持ちが「うすれた」ことを悲しませているのだ。分別を身につけた現在のおのれにわずかに違和を感じつつ、まぎれもなく自分そのものであった無頼時代の無茶のあれこれが、他人事のように浮かんでは消えていく冬の夜である。〈冬の午後会話つまれば眼鏡拭く〉〈団塊の世代はいつも冬帽子〉『水母の骨』(2009)所収。(土肥あき子)


December 28122009

 老一日ただうろうろと師走街

                           田村松江

い頃から、雑踏を「ただうろうろと」するのが好きだった。雑踏など望むべくもない山奥で育ったせいかもしれない。とくに師走の街の慌ただしい活気のある通りが良い。普段とは違い、人の流れがスムーズではないからだ。あちこちで人にぶつかりそうになっては身を翻し、それぞれに工夫をこらした商店を覗いてまわる。べつに買いたいものがあるわけじゃないが、こんなところにこんな店があったのかなどと、日頃は見過ごしている情景にぶつかると、なんとなく嬉しくなったりもする。他愛のない楽しみだが、それが腰を悪くした今年は、そうぶらぶらともできないのが悲しい。ぶらぶらと歩いているようでも、内心では転ばないようにと緊張しているのが老人である。のろのろ歩くのも、ひとつにはそんな心配があるからだ。作者は年用意のために街に出かけたのだろうが、帰ってきてみれば、一日中ただうろうろとしただけだったという思いが強く残った。せっかく出かけたというのに、用事の半分くらいしかこなせなかったのかもしれない。とにかく肝心の用事をすませるつもりが、若い時のようには運ばなかったのだ。なんということもない句ではあるけれど、私のような年代になると、とてもよくわかるし、つくづくと身にしみてくる。さて、本日もまた「うろうろ」してきますかな。『冬麗』(2009)所収。(清水哲男)


December 27122009

 ふゆの夜や針うしなうておそろしき

                           桜井梅室

リスマスとお正月の間に位置する数日は、むかしはただ、お正月まではあと何日と数えられるだけの日々でした。しかし、町にイブのイルミネーションが輝きだした昨今は、二つのお祝い事の中間にある、中途半端に晴れやかな、両側を見上げる谷底のような日々になりました。そんな派手やかな出来事からは遠く、今日の句は江戸後期の俳人の、地味でしっとりとした味わいのある作品です。おそろしいのはもちろん、「針うしなうて」のところ。「針」の一語が、おのずと皮膚を破って内側へ入り込む痛さを連想させますし、「うしなう」という行為が、自身の感覚ではコントロールできないものに対する恐怖を表しているようです。昔、母親が繕い物をしているときには、大きな針山がいつもそばに置いてあって、たくさんの針がそこに刺さっていました。それを見るたびに、子供心にも、あれだけ針があるのだから、1本や2本なくなってもだれにもわからないのだろうなと、妙にいやな思いをしたものです。ということは、失われた針にいつ足裏を踏み抜くかも知れず、針山を見たあとしばらくは、おそるおそる畳の上を歩いていたように思い出します。冬の夜の心細さと、皮膚に感じる痛さが相俟って、たしかにおそろしい句になっています。『日本名句集成』(1992・學燈社)所載。(松下育男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます