あと二日。そこで今年の目標。とにかく転ばないこと。(哲




2009ソスN12ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 30122009

 大年や沖遥かなる波しぶき

                           新藤凉子

うとう今年も、今日を入れて二日を残すのみとはなりにけり――である。大年(おおとし)とは十二月三十一日のこと。山本健吉の『季寄せ』では、こう説明されている。「年越と同じく、除夜から元旦への一年の境を言う。正月十四日夜の小年(こどし)にたいする言葉。だが大晦日そのものをも言う。大年越」。さらには「大三十日」「おほつごもり」とも呼ばれる。今日三十日は「つごもり」。年も押し詰まったある日、はるか海上を見渡せば、沖合にいつもと変わりなく白い波しぶきがあがっている。一年のどん詰まりとはるかなる沖合(まさに時間と空間)の対比が、句に勢いを加えている。大きさとこまやかさ。数年前の夏のある日、友人たちと熱海にある凉子のマンションに招かれたことがあった。ビールを飲んでは、見晴らしのいい大きなガラス窓から、海上はるかに浮かぶ初島を飽かず眺望していた。もしかして、作者はあの島を眺めていて、波しぶきを発見したのかもしれない。大晦日になって、妙にこせこせ、せかせかしないおおらかな句である。いかにも凉子の人柄が感じられる。ほかに「冬帽子母のまなざし蘇る」というこまやかな句もある。正岡子規には「漱石が来て虚子が来て大三十日」というゼイタクな句もある。『平成大句会』(1994)所載。(八木忠栄)


December 29122009

 熱燗や無頼の記憶うすれたる

                           大竹多可志

事納めもとともに、忘年会続きのハードな日々も落ち着き、29日は年末とはいえ、ぎりぎりの普通の日。押し詰まる今年と、迫り来る来年に挟まれた不思議な一日である。ぽかんと空いたひとりの夜に、熱燗の盃を手にすれば、湧きあがるように昔のことなども甦ってくるものだろう。作者は昭和23年生まれ。一般に「団塊の世代」と呼ばれるこの世代といえば「戦後復興経済とともに成長し、大学紛争で大暴れ」といったステレオタイプが強調されることもあり、掲句の「無頼の記憶」もまた、すごぶる武勇伝が潜んでいそうだが、その向こう見ずな時代を熱く語る頃を過ぎたのだという。しかし「うすれた」と「忘れた」とは大きく違う。忘れたくない気持ちが「うすれた」ことを悲しませているのだ。分別を身につけた現在のおのれにわずかに違和を感じつつ、まぎれもなく自分そのものであった無頼時代の無茶のあれこれが、他人事のように浮かんでは消えていく冬の夜である。〈冬の午後会話つまれば眼鏡拭く〉〈団塊の世代はいつも冬帽子〉『水母の骨』(2009)所収。(土肥あき子)


December 28122009

 老一日ただうろうろと師走街

                           田村松江

い頃から、雑踏を「ただうろうろと」するのが好きだった。雑踏など望むべくもない山奥で育ったせいかもしれない。とくに師走の街の慌ただしい活気のある通りが良い。普段とは違い、人の流れがスムーズではないからだ。あちこちで人にぶつかりそうになっては身を翻し、それぞれに工夫をこらした商店を覗いてまわる。べつに買いたいものがあるわけじゃないが、こんなところにこんな店があったのかなどと、日頃は見過ごしている情景にぶつかると、なんとなく嬉しくなったりもする。他愛のない楽しみだが、それが腰を悪くした今年は、そうぶらぶらともできないのが悲しい。ぶらぶらと歩いているようでも、内心では転ばないようにと緊張しているのが老人である。のろのろ歩くのも、ひとつにはそんな心配があるからだ。作者は年用意のために街に出かけたのだろうが、帰ってきてみれば、一日中ただうろうろとしただけだったという思いが強く残った。せっかく出かけたというのに、用事の半分くらいしかこなせなかったのかもしれない。とにかく肝心の用事をすませるつもりが、若い時のようには運ばなかったのだ。なんということもない句ではあるけれど、私のような年代になると、とてもよくわかるし、つくづくと身にしみてくる。さて、本日もまた「うろうろ」してきますかな。『冬麗』(2009)所収。(清水哲男)




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