@句

January 0112010

 夜番の柝ひとの年譜の三十路の頃

                           田川飛旅子

旅子はひりょしと読む。ひとの年譜を見ていた。ふうん、この人、三十代の頃はこんなことしてたんだ、と思っていたら、カチカチと火の用心の柝の音がした。テーマは「時間」、あるいは「時間の過ぎる速さ」だろう。そういえば俺は三十代の頃何をしてたかなと読者は考える。僕の場合は、もう三十になってしまったという焦りが先に立ったのを憶えている。もうすぐ還暦を迎えようとしている身からすると可笑しな気がするが、十年も経ったら、(生きていたら)今を振り返ってあの頃は若かったと思うんだろうな。田川さんには「桐咲くやあつと言ふ間の晩年なり」「祝辞みな未来のことや植樹祭」「クリスマス自由に死ねと定年来」など、時間というものの残酷さやかけがえのなさを感じさせる秀句が多い。定年になったら暇になって楽ができると思っていたら、こんなに忙しいとは思わなかったとエッセーに書いておられた。その田川さんが85歳で亡くなられてもう十年が過ぎた。『花文字』(1955)所収。(今井 聖)


January 0812010

 冬灯金芝河の妻のまろき額

                           山下知津子

書きに、金芝河(キム・ジハ)初来日記念公演 パンソリ「五賊」、とある。「五賊」は金氏が1970年に当時の韓国の朴正熙大統領を風刺して書いた長編詩。金氏はこの詩がもとで反共法分子として逮捕される。その後も一貫して反政府運動をつづけ、一時は死刑判決を受けるが屈せず国際的な政府非難の中で釈放を勝ち取る。その詩を韓国の口承芸能「パンソリ」で公演したものを作者は観に行った。そのときの感動を詠んだものである。作者は公演に来ていた金氏の妻の容貌に着目する。これが夫の過酷な闘争を支えた妻だ。歴史の表に出る存在を支えた同伴者の存在がある。ドラマは往々にしてその視点から描くことで中心人物がより鮮明になる。龍馬の愛人、啄木の妻、子規の妹、周恩来の妻等々。内助の功などという世俗的な括りを超えて、社会正義への信念から自己犠牲をも厭わない存在に賭ける存在。それもまた自己犠牲の覚悟に基づいている。しかしその顔は険しい顔ではなく、円満な額を持つ顔であった。そこに作者の驚きと安堵がある。『髪膚』(2002)所収。(今井 聖)


January 1512010

 蓮田出る脚こんなにも長きこと

                           今瀬剛一

根堀りが、泥に足を取られてなかなか動けず難儀している状態を詠んだ句。「こんなにも重きこと」だと句の趣は一変する。足取りが重いというのは成句になるから平凡。「長きこと」と、重さを長さに転じたところに発見とウィットがある。蓮田を見ているとあんなところに入って蓮根を採るのは大変というか割の合わない仕事に見えるが、それなりに採算が合っているからつづけているのだろう。田の仕事などが機械化した中で、蓮根堀りも今は機械の仕事になっているのだろうか。以前のままなのだろうか。同じ作者に「着ぶくれし身をつらぬいて足二本」もある。こちらの方はモコモコに膨らんだ体を支えている足を客観視している。『花神現代俳句・今瀬剛一』所収(1996)所収。(今井 聖)


January 2212010

 冬服や鏨のいろの坂に入る

                           進藤一考

(たがね)は石や鉄を削る工具。多くは棒状で握る部分は黒く、先に刃がついている。鏨のいろとはこの黒い色を言うのだろう。坂が鏨のいろというのは、冬季の路面に対する印象。これはむき出しの土の色ではなく、舗装路の色かもしれぬ。そこを着ぶくれた冬の装いをした人が上っていく。冬服の本意は和装かもしれないが、舗装路で洋装ととらないとこれはいつの時代の話かわからなくなる。鏨の比喩でモノクロームな色合の冬の寒さが表現されている。もうひとつ、冬服やという置き方は最近の句には珍しいかたち。冬服が下句の動作の主語になる古典的な「や」である。『貌鳥』所収(1994)所収。(今井 聖)


January 2912010

 降り切つて雪のあけぼのおのづから

                           蝦名石藏

雪の地の感慨が出ている。雪がこれでもかと連日降り続いてようやく止む。まさに「おのづから」止む体である。そして朝日が顔を出す。冬来りなば春遠からじ。朝の来ない夜はない。人生の寓意の類にどこかで転じていく働きもある。「氷結の上上雪の降り積もる」山口誓子はこの自作の色紙を企業経営者などに請われることが多いと自解に書いていた。ちりも積もれば山となるを肝に銘ぜよと社員に示すためだろう。そういう鑑賞が悪いとか良いとかいうのは当たらない。ただ、現実描写、即物把握の意図があってこその、結果としての寓意だとこういう句を見て思う。『遠望』(2009)所収。(今井 聖)


February 0522010

 散り敷きて雪に蒼みし霰かな

                           高島 茂

句の風景描写を服装のコーディネイトのごとく思うことがよくある。Yシャツは何色、上着は、ズボンは。ベルトは靴の色に合わせ、全体が暗い感じの色合いならネクタイは思い切って赤で行こうとか。いや、最近はみんな赤だから俺は緑でいこうとか。雪の上の霰を描くのは同系色の合わせ方だ。作者は白の上に白を置いてその二色を識別させる。霰の方にやや蒼い色をつけたのだ。見たこと、感じたことの経験も俳句と服は似ている。持っているものしか使えないから、それを用いるしかないが、その中でのセンスが問われるのである。『ぼるが』(2000)所収。(今井 聖)


February 1222010

 弾道や静かに暮るる松の花

                           秋山牧車

車はぼくしゃ。戦後すぐ「寒雷」の編集長。その後、長く同人会長を勤めた。昭和17年に加藤楸邨に師事。陸軍中佐。大本営陸軍部報道部員として「大本営発表」に関わる。戦後加藤楸邨は中村草田男から、軍高官を自誌に置いて便宜を図ってもらったと非難を受ける。いわゆる戦争責任の追及である。しかもその高官を戦後も同人として遇しているのは何故かとの問であった。高官とは秋山牧車とその兄本田功中佐、及び、清水清山(せいざん)中将。軍人高官だからといって側に置いて便宜を図ったもらったことはないと楸邨は反論。(当時「寒雷」にはさまざまな職業、主義主張を持った人々がいた。例えば赤城さかえ、古澤太穂などのコミュニストもいた)その言葉を裏付けるように、楸邨は戦後もこの三人を「寒雷」の仲間として他の同人、会員と同様に扱った。これには楸邨の意地も感じる。この句は大戦末期、敗色濃いマニラに陸軍報道部長として派遣され、後に処刑される山下奉文大将と山中に立てこもった折の句。「弾道や」の危機感と中七下五の静謐な自然との対照が武人としての「胆」を感じさせる。『山岳州』(1974)所収。(今井 聖)


February 1922010

 親雀巣を出て遠く志す

                           山口誓子

子の句は句の立姿が美しい。僕にはそう見える。どんなにきちんと音律が整っていても類型的な情緒が盛られていては、ああ、また諷詠ですか、古いモダンですかと思ってしまう。作者としてのあなたはほんとうにそれで新しい自分がその一句に刻印されていると思うのですかと読者としての僕が問うとき誓子の句の多くはこれが私の考えている俳句ですと返してくれる。僕はそれに納得がいき、その返答を誓子の型の中にみる。そのとき美しいと思うのだ。親雀は子育ての本能からか、餌を求めて遠くまで行動範囲を広げる。校庭のような広いところでいつも餌をやっているとわかる。パン屑を咥えては巣のある一定方向にとび、しばらくしてまた帰ってくる。子育てのときの距離が長いのは、同じ雀が帰ってくる時間でわかる。見える事柄の「写生」から入って、次に妻子をもってこそ一人前だというような寓意に入る。最初から寓意や批評性を意図する作品と、結果的に寓意に到る作品。その順序は俳人の品位と才能にかかっている。『遠星』(1945)所収。(今井 聖)


February 2622010

 幽霊が写って通るステンレス 

                           池田澄子

々に何々が映る、或いは写るのは俳句の骨法のひとつ。物をして語らしめるということ、その手段として物と物との関係をあらしめることが、短い形を生かす方法であるとしてこの形が多用されてきた。その場合は被写体とそれが写る場所(素材)の関係が「詩」の全てとなる。水面や窓などの常套的な「場所」に対して作者はステンレスというこれまでの情緒にない素材を用いた。そして、その光る白い色彩に「幽霊」を喩えた。幽霊のごとき色彩であるから、これは直喩の句。見た感じをそのまま書いた「写生句」である。「写生」とは見たまま感じたまま、そのままを詠うこと。それが子規の「写生」であったはずなのに、いつからか「写生」が俳句的情緒を必要条件とするようになった。こういう句が「写生」の原点を教えてくれる。この句が無季の句であるか、「幽霊」が季語になるのか、季感をもつのか、そんなことは末梢のこと。『ゆく船』(2000)所収。(今井 聖)


March 0532010

 山桜の家で児を産み銅色

                           たむらちせい

にはあかがねのルビあり。山桜が咲いている山間の家で児を産んで銅色の肉体をしている女。そういう設定である。山桜が咲いている家だからといって山間に在るとは限らないが作者の思いの中にはおそらくそういう土着の生活がある。銅色を、生まれてきた赤子の色と取る読み方もあろうが、そうすると、銅色の肌をして生まれてきた赤子には別の物語を被せなくてはならなくなる。赤子にとっては異様な色だからだ。産んだ側が銅色なら、それは日焼け、労働焼けの逞しさということで一般性を基盤に置いて考えることができる。リアルのためには一般性も大事なのだ。近似するテーマを持つ句として例えば金子兜太の「怒気の早さで飯食う一番鶏の土間」がある。山桜のある家で児を産んで育てている銅色の肌をした逞しい女が早朝どんぶりに山盛りに盛った飯を、その女の亭主が怒気を孕むかのような食いっぷりでがっついているという物語を考えてみれば、この二句の世界の共通性に納得がいく。俳誌「青群」(2010年春号)所載。(今井 聖)


March 1232010

 口笛や沈む木に蝌蚪のりてゐし

                           田中裕明

むは進行形ではなくて沈んでいる状態。水底にある木におたまじゃくしが乗っている。中七下五は的確な写生。伝統俳句と呼ばれる範疇での通常の作りかたは、この的確な写生の部分を壊さぬように、上五には、下部を援護する表現をもってくるのが普通であろう。春の水中が見えるにふさわしい光とか時間とか、空の色とか、風とか。しかし、それをやると風景構成としての辻褄が合い、絵としてのバランスはとれるが、破綻のない代わりに露店で売る掛軸のようなべたべたの類型的風景になりがちである。裕明さんの師波多野爽波さんはその危惧を熟知していたから、そのときその瞬間に偶然そこに在った(ような)事物を入れる。(巻尺を伸ばしていけば源五郎)のごとく。これをやると現実の生き生きとした瞬間が出るが、まったく作品としての統一感のない、なんのこっちゃというような「大はずれ」も生ずる。しかしべたべたの類型的風景を描くのを潔しとせず、「大はずれ」の危険性を冒して討って出るわけである。この句の口笛がそう。さらに口笛やの「や」も。意外なものを持ってきた上に「や」を付けてわざと読者の側に放り投げる。どんと置かれた「口笛や」が下句に対して効果的あるかどうか。さあ、どうや、と匕首のように読者はつきつけられている。『青新人會作品集』(1987)所収。(今井 聖)


March 1932010

 蘂だけの梅猛猛し風の中

                           高橋睦郎

句は草冠の無い「しべ」。命あるものの盛りが過ぎて崩れていく途中のかたちの美しさを愛でるのは日本的美意識特有のものだろう。「猛々しさ」も命の肯定。滅びゆく肉体を意識しつつ想念はさらに燃え盛る人間という比喩にすんなりと入っていける。こんな句は自分の命の果てが実感できない年齢の頃は詠えない。「美しさ」は思いつくかも知れないが。「猛猛しさ」はそれを憧憬するような年齢になって初めて詠える言葉である。『遊行』(2006)所収。(今井 聖)


March 2632010

 鼻さきにたんぽぽ むかし 匍匐の兵

                           伊丹三樹彦

の野に寝転び鼻先にたんぽぽを見る安らぎの中にいて、記憶は突如フラッシュバック。いきなり匍匐前進中の兵隊である我に飛ぶ。銃弾飛び交う状況である。この句を見て思い出す映画がある。スピルバーグ監督、トム・ハンクス主演の映画「プライベート・ライアン」は何千基と林立する戦没者の墓の一つを探し当ててよろよろと駆け寄る老人のシーンから始まる。命の恩人の墓を見出した老人の感激の表情から、シーンは突然数十年前の激戦のシーンに飛ぶ。この句とその映画の冒頭は同じ構造を持つ。何かをきっかけにむかしを思い出すのはよくあること。懐メロなんかはそのためにすたれない。いい記憶ならいいが、悪い記憶に戻る「鍵」などないほうがいい。戦闘機乗りの話をどこかで読んだ。広い広い穏やかな海と青空のほんの一角で空戦や艦爆が行われている。攻撃機はその平安の中を飛んで、わざわざ殺し合いの状況下へ入っていくわけだ。静かな美しい自然の中の醜悪な小さな小さな空間の中へ。この句、たんぽぽがあるから救われる。「兵」が人間らしさを保つよすがとなっている。『伊丹三樹彦集』(1986)所収。(今井 聖)


April 0242010

 文弱の兄また兄に残花かな

                           藤原月彦

者は1952年生まれ。文弱という言葉を「詩語」として使える狭い範囲の世代である。戦前なら「文弱」は使用頻度の高い日常語。50年生まれの僕も父に「文学部なんか嫁入り道具、男が行くもんじゃない」と言われた。高校の頃、祖母に俳句が趣味だと言ったら呆れた顔をして、あとで「あの子は道楽もんのおじいさんの血を継いだこてね」と親戚中に嘆いてまわった。文弱という語を見つけたときは、父や祖母の時代の言葉だと思いつつ、その意味するところに新鮮な感じをもったものだ。高度成長期に就職期を迎えた世代から「文弱」は完全な死語になった。文学部は花嫁道具ではなくなった。「女の腐ったような」も「文弱」もその時代の状況や雰囲気を映し出す。月彦さんも僕も、かろうじて「文弱」が自覚できる世代。敢えて文弱になる決意をした最後の世代である。「俳句研究」(1975年11月号)所載。(今井 聖)


April 0942010

 骸骨ふたつ 紅茶も花も今朝のまま

                           室生幸太郎

の句、1979年の作品なので、なんとなくモダニズムふうな仕立ての意図だろうと思うが、孤独死、虐待死が日常的な今日においては世相そのものである。モダンなイメージに現実が追いついたのだ。毎年、日露戦争の死者の数を超える自殺があると聞くと、映画でみたあの二百三高地の累々たる死者のありさまを想像しておぞましい気持になる。この作者の傾向からいって「花」は桜ではないだろう。机の上の花瓶に生けられた一般的な花だ。「俳句研究」(1979年10月号)所載。(今井 聖)


April 1642010

 車座も少しかたむく春の丘

                           長岡裕一郎

見だろうか。丘で車座になることなどそれ以外にはあまりない。車座全体がやや傾いているというふうに思える感覚がある。平地を歩いているつもりがいつしか上り坂になっていたり、眩暈かなと思ったら小さな地震だったりする。違和感といっていいのだろうか。違和感とは不安のことだ。日常に慣れ親しんだ惰性の感覚に、どこか違ったものが入り込むのは不安であって、それこそが生の実感なのにちがいない。それは「知」で得られるものではなくて肉体を通して感じられるものである。「詩」もそこに存する。「俳壇」(1986年8月号)所載。(今井 聖)


April 2342010

 いまだ名のつかざる男の子あたたかし

                           小澤 實

前をつけられ、名前で呼ばれ、言葉を教えられ、ものの名を教えられて人は常識を身に着ける。法に沿って常識は権力に都合のいいように書き換えられ規定される。右にも左にも上にも下にもはみださぬように設定された中での、倫理観やら反骨などはガス抜きに過ぎない。名前のつく前の裸の赤子に無限の可能性が詰まっている。もっとも弱きものの中にもっとも強固な変革の核がある。「俳句」(2009年5月号)所載。(今井 聖)


April 3042010

 鴉子離れからからの上天気

                           廣瀬直人

の子別れは夏の季語。古くからある季語だが、あまり用いた句を知らない。鴉の情愛の濃さは格別である。春、雌が巣籠りして卵を温めている間は、巣を離れらない雌のために雄が餌を運び、雌の嘴の中に入れてやる。生まれた子は飛べるようになってもしばらくは親について回り、大きく嘴を開き羽ばたいて餌をねだる。しかし、夏が近づいてくるころ、親はついてくる子鴉を威嚇して追い払う。自分のテリトリーを自分でみつけるよううながすのである。親に近づくとつつかれるようになった子鴉が、少し離れたところから親を見つめている姿は哀れを催す。そのうち子鴉はどこかに消える。親が子を突き放す日。日差しの強い、どこまでも青い空が広がっている。「俳句」(2009年6月号)所載。(今井 聖)


May 0752010

 祭前お化けの小屋の木組建つ

                           橋詰沙尋

霊屋敷の木組ができあがる。木組に壁が貼られ、屋根で覆われ、その中に人間が扮した幽霊が配置され、それを観に善男善女が訪れる。木組のかたちを基点にしてやがて木組の目的や意図へ読者の思いがいたるときすっと作者の批評意識が見えてくる。この順序が要諦なのだ。皮肉も揶揄も箴言も象徴もその意図が初めから前面に出ると「詩」も「文学」もどこかに行ってしまう。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」に優れたポエジーがあると思う人はあまりいないだろう。ものに見入って、そのままを写す。そこからかたちならざる観念に到れるか否か、それは詩神に委ねるしかない。「俳句研究」(1975年11月号)所載。(今井 聖)


May 1452010

 素老人新老人やかき氷

                           村上喜代子

老人とは言えても素老人とはなかなか言えない言葉。もちろん素浪人とかけている。近所の公園は朝五時ごろから老人天国。老人に占拠されたような状態である。犬の散歩、野良猫に餌をやる人、運動をする人。運動する人はいくつかに分類できる。自分で体操する人、みんなでラジオ体操する人、走りまわる人、歩きまわる人。その中にゴミを拾っている人も見かける。女性も男性も全部老人ばかりである。町が本当に占拠されることはないのだろうか。怒りの老人が老人解放戦線を組織して立ち上がる。老人が保守だと誰が決めたのだ。老人という言葉に定義はない。自分が老人だと思えば老人であり、自分から見て老人だと思える人は自分にとっては老人である。僕は今年還暦になる。まぎれもなく老人である。季語かき氷はまことに巧みな斡旋だが、すぐ崩れるようで切ない。「俳句」(2009年9月号)所載。(今井 聖)


May 2152010

 治水碑に抱きついてをり裸の子

                           原 拓也

ぜこの子は治水碑に抱きつくのだろうと思う人は先入観にアタマを支配されている。抱きつくには抱きつく理由があるのはもちろんだが、それを一句の中でなるほどと思わせる必要はない。治水碑という意味を優先させれば、感慨深げにその碑文に見入ったり、治水工事以前の民衆の苦しみを思ったり、それを作るにあたっての作業の苦労に思いを馳せたりするのは作品としては陳腐。もちろんそれは言わずともその思いを置いて渡り鳥なんかを飛ばしたりするのも同罪である。そこには常識はあっても「詩」はない。ようするに月並みである。現実は単純明快。その辺で泳いでいた子がふざけて治水碑に抱きつくこともあろう。現実は何だって起こり得るのだ。その意外感と現実感が新鮮。こういう句は、花鳥諷詠的に定番情緒の再現を狙っていてはできないし、言葉のバランスを計って「詩」を狙う作り方でもできない。意味を剥ぎ取られたひとつの「もの」を見つめる目、すなわち、自分の中の先入観を否定してまっさらなる「自分」を求める志向が必要である。「知」よりも「五感」を優先させる志向が。「俳句」(2008年10月号)所載。(今井 聖)


May 2852010

 西日つよくて猪首坑夫の弔辞吃る

                           野宮猛夫

首(いくび)のリアル。吃る(どもる)のリアル。ここまで書くのかと思ってしまう。俳句はここまで書ける詩なのだ。俳句はおかしみ、俳句は打座即刻。俳句は風土。俳句は観照。そんな言葉がどうも嘘臭く思えるのは僕の品性の問題かもしれない。諧謔も観照も風土も或いは花鳥も、人生の喜怒哀楽やリアルを包含する概念だと言われるとああそうですかねとは言ってみてもどうも心の底からは納得しない。風流韻事としての熟達の「芸」を見せられてもそれが何なのだ。坑夫の弔辞であるから、炭鉱事故がすぐ浮ぶ。猪首と吃るでこの坑夫の人柄も体躯もまざと浮んでくる。作品の中の「私」は必ずしも実際の「私」とイコールでなくてもいい。その通りだ。ならば、こんなリアル、こんな「私」を言葉で創作してみろよと言いたい。ここまで「創る」ことができれば一流の脚本家になれる。『地吹雪』(1959)所収。(今井 聖)


June 0462010

 耳も眼も歯も借り物の涼しさよ

                           兼谷木実子

は補聴器、眼は眼鏡、歯は入れ歯。どれも借り物の恩恵を受けている。クローンの研究も進んでいて、そのうち、肝臓も心臓も、五臓六腑が借り物で、脳まで借り物の時代がくるかも知れない。不自由であることや老化の象徴を「涼しさ」とみなすことは「俳諧」の「諧」の伝統。涼しさよの「よ」まで含めて伝統的嗜好を踏んだつくりであると言えよう。「俳句」(2008年11月号)所載。(今井 聖)


June 1162010

 空梅雨の黒々とくる夜空かな

                           中村夕衣

という字がふたつあり、一方は「から」一方は「そら」。雨は空からくるものだから梅雨と空はイメージが重なる。夜は暗いものだから黒々と夜は重なる。全部で13文字のあちこちで意味や背景や色の印象が重なり、ふつうなら欠点となるその重複感が逆に圧倒的な天空の黒の量感を出している。意図しても得られない世界というと作者にとってうれしい評言かどうかはわからぬが、言葉のイメージの足し算引き算に長けた人にはこんな句はできない。計算づくでは得られない世界をどうやって計算して出すか。古典への造詣などを知的背景として蓄えたあげくに童心に戻ることができるか。それは芭蕉が心に置いたことでもあった。「俳句」(2009年9月号)所載。(今井 聖)


June 1862010

 新緑やまなこつむれば紫に

                           片山由美子

をつむったときに見える色や形がある。あれは何だろう。今眼をつむるとまっくらな空間に明るい方形のかたちがみえる。泡のようなものが通り過ぎていくこともある。作者は、新緑の中で眼をつむったその「視界」が紫に見えた。外の緑と内なる紫が美しい調和になっている。これは思念ではないからむしろ即物写生の句である。「俳句」(2009年7月号)所載。(今井 聖)


June 2562010

 母が泣く厨のマッチ火星へ発つ

                           土居獏秋

建的な夫、または婚家の姑や小姑にいびられている母が厨で煮炊きのマッチをする。点火したマッチはそのままロケットになって火星へ旅立つ。初版1965年の金子兜太著に載っている作品だから少なくともそれ以前の作。厨で泣くという設定がいかにも古い時代の「母」の典型を思わせるが、その母の手元からマッチがロケットになって火星に飛んでいくという発想はどこか泥臭くて、いびられている女の現実離脱願望が出ていてリアルだ。その現実から半世紀近く経った今は、誰がどこで泣いていて、そこで何を夢想するのだろう。泣かされているのは老人か、幼児虐待の幼児か、引きこもりの青年か、ニートの群れか。『今日の俳句』(1965・光文社)所載。(今井 聖)




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