January 042010
獅子頭ぬぎてはにかむ美青年
片山澄子
獅子舞の句には、獅子頭をぬいだときのものが結構ある。舞そのものを詠んだ句は非常に少ない。つまり獅子舞は鑑賞する芸ではないのかもしれない。しかし皮肉なことに、舞う人の多くはそう思ってはいない。だから「はにかむ」のだ。学生時代の終りごろに、よく京都・千本中立売の安酒場に出入りした。このあたりは、かつては水上勉の『五番町夕霧楼』でも知られる西陣界隈の大きな色町・盛り場だった。私が通ったのは売春禁止法が施行された少しあとだったので、街は衰退期に入っていたのだけれど、それでもまだ色濃く名残りは残っていて、行く度にドキドキするような雰囲気があった。獅子舞の青年と知りあったのは、そんな安酒場の一つだった。句にあるような美青年ではなかったけれど、この時期になると獅子頭を抱えて街を流していて、ときどき一服するために店に入ってくるのだった。カウンターの奥にそっと商売道具を置き、コップ酒をあおる彼の姿は、それこそドキドキするほど格好が良かった。いつしか口をきくようになり、ほとんど同じ年頃だったが、彼の全国放浪の話を聞くにつけ「大人だなあ」と感心することばかり。句の青年は由緒正しい獅子舞の伝統を踏まえた芸人の卵であることがうかがわれ、微笑ましい限りだけれど、彼のほうは芸人というよりもチンピラヤクザに近かったのであって、芸もへったくれもなかったのではなかろうか。でも、そんな裏街道を行く彼の生き方に共感を覚え、彼が好きだったのは、あながち若年のゆえだけとは言えない何かがあったからだと思う。その後の私が社会人としてのまっとうな職業を外れた背景には、彼に象徴される裏通り特有の人生観にも影響されたところがあったような気がする。もうすっかり名前も忘れてしまったけれど、彼のほうはその後どう生きただろうか。新年早々掲句を読んで、そんなことをほろ苦く思い出したのだった。最近は、飲み屋街で獅子舞を見かけることもなくなった。もう商売としては時代遅れなのだ。往時茫々である。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)
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