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January 0512010

 セーターに猫の毛付けしまま帰す

                           西澤みず季

謡にある通り、猫は寒がりであるから、冬ともなれば人間の膝の上だろうが、うっかり脱ぎ捨てた洋服の中だろうがお構いなしに、より暖かい場所を探し求める。というわけで猫を飼っていると、どんなに注意していてもどこかしらに猫の毛が付いているものである。電車のなかで居眠りした友人がはっと目をさましたとき「隣の人がなにしてたと思う?」と言う。愛らしい女性がもたれかかってきたのだから喜んでいたのかと思いきや、「すごく嫌そうに、わたしのコートから移動した猫の毛を一本一本取ってたの」だそうだ。猫の毛は細くてなかなか取りにくい。だからこそ、家庭内に不穏な騒動を持ち込む原因にもなりかねない。掲句の女心がちょっぴりのいたずらなのか、はたまた浮気な男へのきつい一撃なのか、どちらにしてもその後が気になる一句である。猫を飼っている人としか付き合わないから大丈夫、などとゆめゆめ油断めされるな。かの友人は「うちの猫の毛じゃない」ということもすぐに分かると言っていた。〈雪渓を見上ぐる鳥の顔をして〉〈極月の万の携帯万の飢餓〉『ミステリーツアー』(2009)所収。(土肥あき子)


January 1212010

 建付けのそこここ軋む寒さかな

                           行方克巳

書に「芙美子旧居」とあり、新宿区中井に残る林芙美子の屋敷での一句。芙美子の終の住処となった四ノ坂の日本家屋は、数百冊といわれる書物を読み研究するのに六年、イメージを伝えるために設計者や職人を京都に連れていくなどで建築に二年を費やしたという、こだわり尽くした家である。彼女は心血を注いだわが子のような家に暮らし、夏になれば開け放った家に吹き抜ける風を楽しみ、冬になれば出てくるあちこちの軋みも、また愛しい子どもの癖のように慈しんでいたように思う。掲句の「寒さ」は、体感するそれだけではなく、主を失った家が引き出す「寒さ」でもあろう。深い愛情をもって吹き込まれた長い命が、取り残された悲しみにたてる泣き声のような軋みに、作者は耳を傾けている。残された家とは、ともに呼吸してきた家族の記憶であり、移り変わる家族の顔を見続けてきた悲しい器だ。芙美子の家は今も東西南北からの風を気持ち良く通し、彼女の理想を守っている。〈うすらひや天地もまた浮けるもの〉〈夜桜の大きな繭の中にゐる〉『阿修羅』(2010)所収。(土肥あき子)


January 1912010

 松活けて御前がかりの土俵入

                           中沢城子

半戦となり、いよいよ白熱してきた初場所である。「御前掛り(ごぜんがかり)」とは、天皇が観戦する天覧相撲において特別に行われる土俵入りのことをいう。今年は初日の10日が天覧相撲だったが、幕の途中からの観戦だったため御前掛りは行われなかった。御前掛りの土俵入りは、力士全員が正面を向いて整列し、一礼して降りていくことで、貴賓席にお尻を向けない進行になっているのだが、やはり絢爛たる化粧回しが丸い土俵をぐるりと囲む普段の土俵入りの方が美しいと思う。とはいえ、掲句は初場所の特別な日であることの高揚に輝く力士たちが浮かび、青々とした松とのコントラストとともに、神事としての相撲の姿も鮮やかに描いている。昨年、国技館で大相撲を見る機会があったが、目の前で見る力士の若々しい肌と、ぶつかったり投げられたりする際の大きな音にことのほか驚いた。土俵に投げられた力士の肌がみるみる紅潮していくのは、痛さより悔しさからであることが伝わり、取り組みごとの大きなどよめきに巻き込まれるように、思わぬ歓声をあげていた。国技館にある御製記念碑には昭和天皇の〈ひさしくも みざりしすまひ ひとびとと てをたたきつつ みるがたのしさ〉と記されている。満場の一体感こそ、スポーツ観戦の醍醐味なのであろう。タイトルの「明荷(あけに)」とは力士が場所入りや巡業の時に使用する大きな長方形の物入れで、ここに化粧回しや座布団、草履などが入っているという。「明荷は十両以上の関取のみが使用することができるため、力士にとっては憧れと夢のトランクである」とあとがきには書かれている。〈猟犬の臥せば一山息をのむ〉〈女手に打つ釘まがる十二月〉『明荷』(2010)所収。(土肥あき子)


January 2612010

 雪だるま手足出さうな日和なり

                           大沼遊魚

を明けてからの天気予報の日本地図にはずらりと雪だるまのマークが並んでいるが、日は確実に伸びてきた。日常に雪の降る生活をほとんど経験していないことから、雪だるまを作ることは憧れのひとつでもある。「雪だるまの作り方」なるマニュアルによれば「まず手のひらで雪玉を作り、やわらかい雪の上で転がす。まんべんなく雪が付くように転がしていくと、雪玉はどんどん大きくなるので、ほどよい大きさを二つ作り、ひとつにもうひとつを重ねる。」のだそうだ。手のひらほどの雪玉が、みるみる大きくなっていくことが醍醐味のこの遊び、日本でどれほど昔から親しまれていたのかと調べてみると、源氏物語と江戸期の浮世絵に見つけることができた。源氏物語では「朝顔」の段に「童女を庭へおろして雪まろげをさせた」とあり、「雪まろげ」とは雪玉を転がし大きくする遊びとあるから、雪だるまの原形と考えてもよさそうだ。浮世絵は鈴木春信の「雪転がし」で、こちらは三人の男の子が着物の裾をからげて(一人はなんと素足である)、寒さをものともせず大きな雪玉を転がしている。掲句にも、また遊びの本質を見届ける視線がある。雪だるまが次第に溶け、形がなくなってしまうことへの悲しみや切なさという従来の詠みぶりを捨て、最後まで明るくとらえていることに注目した。ところで歌川広重『江戸名所道戯尽』の「廿二御蔵前の雪」では、正真正銘の達磨さんを模したものが描かれており、これにぬっと手足が出たらちょっと怖い。〈雪原の吾を一片の芥とも〉〈山眠る熱きマグマを懐に〉『倭彩』(2009)所収。(土肥あき子)


February 0222010

 人間を信じて冬を静かな象

                           小久保佳世子

という動物はどうしてこうも詩的なのだろうか。地上最大の身体を持ちながら、草食動物特有のやさしげな面差しのせいだろうか。もし、「人間にだまされたあげく、やたら疑い深くなり、最後には暴れる」という大型動物の寓話があるとしたら、主役には虎や熊といったところが採用され、どうしたって象には無理だろう。ついてこいと命令すれば、どんなときでもついてくる賢く、従順で温和というのが象に付けられたイメージだ。掲句は「冬を」で唐突に切れて、「静かな象」へと続く。この不意の静けさが、安らかとも穏やかとも違う感情を引き出している。ここには、あきらめに通じる覚悟や、悟ったような厳粛さはなく、ただひたすらそこにいる動物の姿がある。食べることをやめた象はわずか一日で死に至るのだそうだ。今日も象は人間を信じて黙々と食べ、不慣れな冬を過ごしている。〈太陽は血の色億年後の冬も〉〈また梅が咲いてざらめは綿菓子に〉『アングル』(2010)所収。(土肥あき子)


February 0922010

 切断されし指を感ずる木々芽吹く

                           ドゥーグル・J・リンズィー

春を過ぎ、光りが存分にあふれる頃になると、あちらこちらの梢の先がほの赤く染まっているのを意識する。木々の芽吹きを思うと、亀が手足を出すにも似て、もそもそっとくすぐったい心地となる。葉を落し、ふたたび芽吹く木の循環。幹を身体にたとえれば、払い落した指の場所からまた指先が生えてくるようだと、言われてみれば確かにそうで、前述の亀の想像よりずっと実感を伴う感触に襲われる。海洋学者でもある作者は、切断されたのち、いともたやすく再生することができるタコやヒトデなどの海洋生物と向き合っており、木々もまたそれほど遠くない生きものに映っているのかもしれない。引きかえ、ほとんど再生不能な人間が苦しいほど不器用に生きているように見えてくる。〈胎盤の出来るころなり薄ごほり〉には第二子懐妊の前書がある。日々の多くを海の上(というか深海)で過ごしている作者の遠隔地からの季感の訴えには、妻や子の暮らす地上への強い思いとともにあるようだ。〈我が船の水脈を鯨が乱しけり〉『出航』(2008)所収。(土肥あき子)


February 1622010

 北窓を開きて船の旅恋ふる

                           西川知世

港地と洋上を繰り返し進む船旅は、地球をまんべんなくたどるという醍醐味をしっかり味わうことができる旅だろう。雲の上をひとっ飛びして目的地へ到着する時短の旅とは違う贅沢な豊かさがある。冬の間締め切ったままにしてあった北窓を開き、船の旅を恋うという掲句には、招き入れた春の光りのなかに開放的になった自身の心のありようを重ねている。船の小さい窓から波の向こうに隠れている未知の地を思い描くおだやかな興奮が、これから春らしさを増す未知なる日々への期待に似て胸を高鳴らせているのだ。深く沈んだような北向きの部屋が、明るい日差しのなかでひとつひとつを浮かびあがらせ、きらきらと光るほこりの粒さえ、新鮮な喜びに輝いて見えるものだ。そして、そんな幸せに囲まれたときほど、どこか遠くへの旅を無性に恋うものなのである。〈母に客あり春の燈のまだ消えず〉〈硝子屋の出払つてゐる夏の昼〉『母に客』(2010)所収。(土肥あき子)


February 2322010

 仕事仕事梅に咲かれてしまひけり

                           加藤かな文

分だ八分だと大騒ぎの態の桜と違い、梅はいたって静かにほころびる。掲句は通勤途中のものか、あるいはもっと身近な庭の一本かもしれず、それほど梅はふっと咲くものだ。そろそろ冬のコートを脱ごうかと見回した視線でみつけたものか、ともかく「咲かれてしまった…」とつぶやく胸のうちは、自覚していた時間との落差が突如現れたような途方に暮れた感がある。まだ本年という年号にも馴染まぬうちに、もうすっかり春になろうとしているのだ。作者は四十代の男性。世にいう働き盛りの毎日は、小さな時間のブロックを乗り越えていくうちに、またたく間に月日が過ぎてしまうものである。そして、その無念さはどの花でもなく梅でこそ、ぽつんと取り残された心地が表現できたのだと思う。ちなみに都内では「せたがや梅まつり」は2/28、「湯島天神梅まつり」は3/8まで。清らかな梅の香りを楽しむ時間は、もう少し残されている。『家』(2009)所収。(土肥あき子)


March 0232010

 芽柳や声やはらかく遊びをり

                           遠藤千鶴羽

先のお約束、あらゆる芽が出てくるなかで「柳は緑、花は紅」といわれるように、ことに美しさを極めるのは柳の芽であろう。万葉集に収められた大伴坂上郎女の「うちのぼる佐保の川原の青柳は今は春へとなりにけるかも」(佐保川沿いの柳が青々と芽吹き、もう春がくるのですね)にも見られる通り、古くから柳の美しさは詠み継がれている。掲句では中七の「声やはらかく」で柳の枝のしなやかさと若々しさがひと際明瞭になり、また上五の「芽柳」によって遊んでいるのは小さな女の子たちだろうと想像させ、両者が可憐な美を引き立て合っている。少女たちの声が、遊んでいるとわずかに分かる程度に、はっきり聞こえるでもなく、この世の言葉ではないような、まるで小鳥がさえずるかのごとく降りそそぐ。声がやわらかであるという、遠いとか小さいとかの距離でもなく音量でもない形容によって、声を持つ人間の存在を曖昧にさせ、より茫洋とした春の様子を浮かびあがらせているのだろう。そういえば、鈴を転がすような声、という言葉があるが、芽柳が風に吹かれる風情にも鈴が鳴るような華やぎがあると思うのだった。〈暗がりへ続く階段雛かざり〉〈巣作りの一部始終の見ゆる窓〉『暁』(2009)所収。(土肥あき子)


March 0932010

 枯るる草よりも冷たく草萌ゆる

                           金原知紀

読してはっとさせる俳句がある。掲句はまず「枯れ」を意識させたあとで、「草萌え」を見せる。そして光りを跳ね返すような生命感あふれる若草が冷たいというのだ。振り返って比較すれば、たしかにやわらかに日を吸う枯れ草の方がふっくらとあたたかいだろう。ありのままでありながら、その揺さぶりに読者は立ちすくむ。そして、発見の手柄にのみ満足してしまいがちであるなかで、掲句には春とはおしなべてあたたかなものであるという図式をみごとにひっくり返しながら、なおかつ鋭い草の力強い芽吹きが見えるという、ものごとの本質を言い得ていることが俳句として成立させる力となっている。春の息吹きにある健やかな成長とは、滑らかで温もりあるものにばかり目がいきがちだが、他者を押しのけるようなごつごつと冷たい乱暴な一面も、たしかにこの季節にはある。春という節目を通り過ぎた者だけが分かる、懐かしく甘酸っぱい冷たさなのかもしれない。集中の〈割るるとき追ひつく重み寒卵〉にも、発見とともに納得の実感がある。『白色』(2009)所収。(土肥あき子)


March 1632010

 にんげんを洗って干して春一番

                           川島由紀子

うやく春を確信できる陽気になった……のだろうか、今年の春はまだ安心できない。ともあれ、春一番は既に済み、春分の日も間近である。花粉情報は「強」と知りつつ、あたたかな風のなかにいると、きれいな水で身体中、内側から外側まですっきり洗って、ベランダに干しておきたくなるのものだ。ワンピースを着替えるように、冬の間縮こまっていた身体をつるりと脱いですみずみを丹念に洗って伸ばして、春を迎える身体をふんわり乾かしておきたい。そう、ひらひらと乾く洗濯物にまじって白いオバケ服がならんでいた大原家の庭みたいに。オバケのQ太郎は、確かに着替えや洗濯をしていたはずだ。Q太郎といえば、真っ白で頭に毛が三本と思っていたのが、中身が別にあることに気づかされた子供心に衝撃的な洗濯物だった。よく見るとオバケ服の下からちらっと見える足は黒くて、すると中身は真っ黒なオバケ、というか、足があるんならオバケでもないんじゃないの、と想像はとめどなくふくらんでいく。うららかな春の日差しのなかで、洗濯物が乾くのを待っているオバQの姿を思いながら、掲句を口ずさむのがなんと楽しいこと。〈菜の花や湖底に青く魚たち〉〈さよならは言わないつもり揚雲雀〉『スモークツリー』(2010)所収。(土肥あき子)


March 2332010

 薄目して見ゆるものあり昼蛙

                           伊藤卓也

視ではなく、薄目でなければ見えないものがあるのだろう。坐禅でいわれる半眼は1メートルくらい先に目を落し「外界を見つつ、内側を見る眼」とあり、なにやらむずかしそうになるが、そこは「昼蛙」の手柄で、すらっとのんきに落ち着かせている。蛙という愛嬌のある生きものは、どことなく思慮深そうで、哀愁も併せ持つ。雀や蛙は、里や田んぼがある場所に生息するものとして、人間のいとなみに深く密着している。ペットとはまた違った人との関係を古くから持つ生きものたちである。そのうえ鳥獣戯画の昔から、人気アニメ「ケロロ軍曹」の現代まで、蛙はつねに擬人化され続け、「水辺の友人」という明確な性格を持った。こうして掲句の薄目で見えてくるものは、やわらかな水のヴェールに包まれた「あれやこれ」という曖昧な答えを導きだし、それこそが春の昼にふさわしく、また蛙だけが知っているもっとも深淵なる真実を投げかけているようにも思う。他にも〈蛍を入れたる籠の軽さかな〉〈見つめをり金魚の言葉分かるまで〉など、小さな生きものを詠む作品にことに心を動かされた。『春の星』(2009)所収。(土肥あき子)


March 3032010

 目の前をよぎりし蝶のもう遥か

                           星野高士

に付けられる副詞の定番は「ひらひら」。意外なところで「ぱたぱた」。また旧仮名の「てふてふ」も平安時代には文字通り「tefu-tefu」と発音していたというから、これこそ蝶の羽の動きそのものを表していたのだろう。しかし、実際の蝶は、モンシロチョウで時速9キロ出すというから、どちらかというと「すーっ」に近い。最速の蝶タイムを見るとタイワンアオバセセリという種が時速30キロとあって、これは原付の制限速度と同じ。あきらかに「ぴゅーっ」であろう。ところで、ある雑誌に「時速9キロでジョギングすると脳が活性化されさまざまな機能がアップし、さらに心の安定も得られる速度」という記事を見かけた。それでは、モンシロチョウに付いていけば、この効能が得られるのかと思うと、なんだか究極のダイエットとして紹介してみたくなる。というように、思わずロマンチック路線へと誘導されてしまいがちの蝶だが、実は相当たくましく、海上を1000キロも休まず飛行する強者もいる。たしかに以前クチナシの木についた芋虫を育てたことがあるが、その食欲ときたら凄まじいもので、さらにサナギになれば体内では想像もつかないバージョンアップをしてのける。掲句では下五「もう遥か」のスピード感とともに、句全体から漂う得体の知れない不安のようなものは、従来の蝶に植え付けられたイメージと実体との落差であるように思うのだ。『顔』(2010)所収。(土肥あき子)


April 0642010

 荒使ふ修正液や桜の夜

                           吉田明子

正液は短期間にずいぶん進化したもののひとつだろう。現在の主流は、つるつるっと貼るテープ状のものと、カチカチっと振って使うペンタッチタイプのようだ。どちらもすぐに文字が書けるところがポイントで、以前の液体タイプは乾くまでしばらく待たなければならなかった。昭和52年の発売当初はマニキュアボトルのような刷毛型で、しばらく使うと刷毛がガチガチに固まり、それはもう厄介であったと聞く。修正液の上に慌てて文字を書こうとすれば、よれてしまったり、にじんでしまったり、またぞろ上から修正することにもなる。そうこうするうちに、その部分だけやけに立体的になってしまう。間違ってしまったという気持ちの萎えと、一刻も早く正しく訂正しようという焦りが失敗を生み続け、今日の修正液の改善へとつながっているのだろう。掲句にある「荒使ふ」は、荒っぽくじゃんじゃん使うという意だが、下五の「桜の夜」の効果によって、単なる文字の書き間違いというより、心の逡巡を感じさせる。ところどころに桜の花が散ったような書面を思うと、修正前の言葉を憶測して透かしてみたりしてしまうだろう。修正跡には揺れ動く作者の一瞬前の時間が封印されている。〈校庭に白線あまた春をはる〉〈ペコちゃんもポコちゃんもけふ更衣〉『羽音』(2010)所収。(土肥あき子)


April 1342010

 橋の裏まで菜の花の水明り

                           鳥井保和

色のなかで一番明るい黄色は、もっとも目を引く色として救助用具にも採用される。堤一面の菜の花が川面を染め、橋の裏にまで映えているという掲句に、春の持つ圧倒的な迫力を感じる。これからの季節、菜の花を始め、山吹、れんぎょう、たんぽぽと黄色の花が咲き続く。蜜や花粉を採取する昆虫の色覚が、黄色を捉えやすいからということらしいが、長い冬から解放された大地が、まず一斉に黄色の花を咲かせることが、生への渇望のようにも見え、頼もしくも身じろぐような凄みもある。「橋の裏」という普段ひんやりと薄暗いところまで光りを届けるような菜の花を、作者は牧歌的に美しいというより、積極的に攻める色として見ているのではないだろうか。山村暮鳥の「いちめんのなのはな」にも文字を連ねることで鬼気迫る感覚を引き出しているが、掲句にも大地が明るすぎる黄色に染まるこの季節の、おだやかな狂気が詠まれているように思うのだった。〈樹齢等しく満開の花並木〉〈水を飲む頸まで浸けて羽抜鶏〉『吃水』(2010)所収。(土肥あき子)


April 2042010

 天上にちちはは磯巾着ひらく

                           鳥居真里子

と磯巾着とは一体なにものなのだろう、と考えてみた。貝殻のない貝なのか、固定された魚なのか。調べてみると刺胞動物門虫綱六放サンゴ亜綱イソギンチャク目に属する動物だというから、食虫植物的珊瑚というのが正しい認識のようだ。そして、続く記述にさらに驚いた。磯巾着とは、どれも岩に固定しているわけではなく、時速数センチという速度で移動できるのだという。また、英名では「海のアネモネ」、独名では「海の薔薇」と呼ばれるのだから、あの極彩色の触手を天に向かって揺らめかせる様子を花と見立てて「咲く」と表現することももっともなことなのだ。しかし、一面の磯巾着をただ極楽のように美しいとだけ捕えるのは難しいだろう。あの触手にからめ取られるものがあることは容易に想像ができるのだから。触手に触れたものは、一体どこに運ばれていくのだろうか。海中に咲く磯巾着の花束を見おろしながら、作者もまた異界へと誘われているのだろう。『鼬の姉妹』(2002)所収。(土肥あき子)


April 2742010

 春の夜や朽ちてゆくとは匂ふこと

                           ふけとしこ

だやかな日が三日続かないのが春のならいとはいえ、今年は20度を超える日があったり、雪が積もるような朝があったり、ほんとうに妙な具合だった。しかし、いつしか季節はしっかりとあたたかさを増し、鍋に入れたままのカレーや、冷蔵庫に入れ損なった苺などを一晩でだめにしてしまうようになる。ことに果物は、最後の瞬間こそ自分の存在を主張するのだともいいたげに、痛んだときにもっとも香りが立つものだ。おそらく外の世界でも、木が朽ちるとき、鉄骨が錆びるとき、それぞれが持つもっとも強い匂いを発するのではないか。春の夜にゆっくり痛んでいくあれこれのなかには、もちろん我が身も含まれる。人間はどんな匂いになっていくのだろうか。そういえば傍らの飼い猫も九歳となり、猫界では高齢の域に入る。首のあたりに鼻を寄せ思いっきり深呼吸してみると、乾いた藁塚のようなふっくらいい匂いがした。『インコを肩に』(2009)所収。(土肥あき子)


May 0452010

 お早うと言ふはつなつのひびきなり

                           奥坂まや

成19年からは今日が「みどりの日」。先月29日の「昭和の日」となった元「みどりの日」には、なんだか人間の都合で移動していただいた感もあるが、ともあれ日本列島はGWのまっただ中。心地よい陽気に連なったお休みで、羽を伸ばしている方も多いだろう。「おはよう」には、「お早くから○○ですね」の前半が残された挨拶であるという。業種によっては、昼過ぎや夜間になっても「おはよう」の挨拶を交わすところがあるが、これも自分より早くから働いている人へのねぎらいとともに、スタートの意欲や意気込みが含まれるのだと思うと納得がいく。また、英語の「Good morning」にはたいてい最後に名前を付けて、その人へ、と向けられるが、日本語の「おはよう」には窓を開いて朝の光りに、若葉を満たした街路樹に、道ゆく猫に、と投げかけられ、万象から活気をもらうおまじないのような効用も感じられる。明日は立夏。暑いさなかの立秋や、こごえる立春など、少々やせがまんを強いられるような節気のなかで、唯一気温と言葉が一致する気分の良い節目である。「初夏(はつなつ)」のはつらつと清々しい季節にむかって、今朝は「おはよう」を言ってみる。『縄文』(2005)所収。(土肥あき子)


May 1152010

 横顔は猛禽のもの青葉木菟

                           茨木和生

葉木菟は初夏にやってきて、秋に帰る梟科の鳥である。夜行性だが、青葉のなかで時折その姿を見ることもある。丸顔に収まった大きな目で小首を傾げる様子など、なんとも愛くるしいが、大型昆虫類を捕食する彼らはまた立派な猛禽類なのだ。数年前になるが、明治神宮を散歩していたときのこと。この木の上に青葉木菟のすみかがあると教えてもらった。「声も姿もしないのにどうしてわかるのだろう」と不思議だったが、木の根本を見て了解した。そこには腹だけもがれた蝉の死骸が散らばっていたのだ。可愛らしい丸顔に収まったくちばしは、正面から見る限り小さく存在感が薄いものだが、横向きになれば見事に湾曲したそれは、肉を引きちぎったり、掻き出したりすることに特化した鷹や鷲に通じるかたちがはっきりわかる。まだ羽を震わせているような蝉の残骸に、青葉木菟の横顔をしかと見た思いであった。〈雲の湧くところにも家栗の花〉〈青空の極みはくらし日雷〉『山椒魚』(2010)所収。(土肥あき子)


May 1852010

 夏帽子研修生と書かれたる

                           杉田菜穂

年度の四月一日から一ヵ月が過ぎたこの時期、新しい環境にそろそろ慣れるか、はたまた五月病と呼ばれる暗がりに落ち込んでしまうかは、大きな分かれ道である。見回せば木々の青葉は噴き出すような勢いで茂り、ジャスミンやバラなど香りの強い花が主張し、太陽はストレートに肌を射してくる。過激な自然を味方につけ一層元気になる人もいれば、ストレスを積み重ねている人にとっては圧倒され萎縮してしまう陽気なのかもしれない。研修や実習を経てから、本格的に就業する職場はさまざまだが、どれも特定した分野での必要な知識が磨かれる期間であり、初めての経験は緊張と高揚が繰り返されていることだろう。「研修生」とあることで、多少の失敗も「まぁ、しょうがないか」で済ませてもらえることもあるが、一人前までの道のりは遠くけわしいものだ。掲句は「夏帽子」の効果で、明るさが際立ち、若々しくのびのびとした肢体が描かれた。まばゆい夏の日差しのなかで、初々しい研修生たちの声が明るく響き、生涯のなかでもっともエキサイティングな一時期が過ぎてゆく。〈好き嫌い好き嫌い好き葡萄食ぶ〉〈クリスマスツリーの電気消す係〉『夏帽子』(2010)所収。(土肥あき子)


May 2552010

 そのあとの籐椅子海へ向きしまま

                           荒井千佐代

集のなかで「父の死後」と前書のある作品群の一句なので、「そのあと」とは父がこの世にない現在という意であることは明白なのだが、籐椅子の存在がぽっかりと口を開けたような悲しみを言うともなく引き出し、「そのあと」がどのあとであるかの含みや余韻を深くしている。密に編まれた籐椅子は、徐々に身体のかたちに馴染み、うっすらと凹凸が刻まれる。その窪みは、そこに座っていた者の等身大の輪郭である。あるじの重みをそのままかたちに残している籐椅子は、作者にとっていつまでも海を見ている父の姿そのものなのだろう。夏の季語である籐椅子は、夏の時期に涼を得るために使用されるものだが、この籐椅子はこれよりきっと通年そのままにされることだろう。そして、たまには懐かしむようにその窪みに収まり、以前父がしていたように海に目をやり、耳を傾けたり、家族がかわるがわる身体を預けることだろう。それはもう椅子というより、父の分身であるように思えてくる。〈炎天の産着は胸に取り込みぬ〉〈十字架のイエスが踏絵ふめといふ〉『祝婚歌』(2010)所収。(土肥あき子)


June 0162010

 苦しむか苦しまざるか蛇の衣

                           杉原祐之

間が抱く感情の好悪は別として、蛇が伝承や神話などに取り上げられる頻度は世界でトップといえるだろう。姿かたちや生態など、もっとも人間から離れているからこそ、怖れ、また尊ばれてきたのだと思う。また、脱皮を繰り返すことから豊穣と不滅の象徴とされ、その脱ぎ捨てた皮でさえ、財布に入れておくと金運が高まると信じられている。掲句では、残された抜け殻の見事さと裏腹に、手も足もなく、口先さえも不自由であろう現実の蛇の肢体に思いを馳せつつ、背景に持つ神話性によって再生や復活の神秘をも匂わせる。以前抜け殻は、乱暴に脱いだ靴下のように裏返しになっていると聞いたことがあったが、この機会に調べてみようとGoogleで検索してみるとそのものズバリのタイトルがYouTubeでヒットした。おそるおそるクリックし、今回初めて脱皮の過程をつぶさに見た。もう一度見る勇気はないが、顔面から尻尾へと、薄くくぐもった皮膚からつやつやと輝く肢体への変貌は、肌を粟立たせながらも目を離すことができないという不思議な引力を味わった。はたして彼らはいともたやすく衣を脱ぎ捨てていたのだった。〈雲の峰近づいて来てねずみ色〉〈蜻蛉の目覚めの翅の重さかな〉『先つぽへ』(2010)所収。
蛇の脱皮映像をご覧になりたい方はこちらから(4分/音無し)。いきなり登場しますので、苦手な方はくれぐれもご注意くださいm(_ _)m(土肥あき子)


June 0862010

 薔薇園の薔薇の醜態見てしまふ

                           嶋崎茂子

薇には愛や幸福という定番の花言葉のほかに、花の色や大きさによってそれぞれ意味を持っているらしい。小輪の白薔薇は「恋をするには若すぎる」、中輪の黄薔薇は「あなたには誠意がない」、大輪のピンクの薔薇にいたっては「赤ちゃんができました」といささか意味深長である。ユーモア小説で著名なドナルド・オグデン・ステュワートの『冠婚騒災入門』には「求婚」の項があり、「決して間違った花を贈らないよう」と書かれている。そこに並んだ花言葉、たとえば「サボテン:ひげを剃りに行く」「水仙:土曜日、地下鉄十四丁目駅で待つ」などはもちろんでたらめだが、この薔薇に付けられたてんでな花言葉を見ていると、あながち突飛な冗談とも言えないように思えてくる。これほどまで愛の象徴とされ、贈りものの定番となった薔薇の、整然と花びらが打ち重なる姿には、たしかに永遠の美が備わっているように見える。だからこそ満開を一日でも過ぎると、開ききった花によぎるくたびれが目についてしまうのだろう。美を認める感覚はまた、価値を比較する人間の必要以上に厳しい視線でもある。20代の頃に薔薇の花束をもらったその夜のうちに、ドライフラワーにするべくあっさり逆さ吊りにしたことがある。美しい姿をそのまま維持するにはこれが一番と聞いたからだ。半ば蕾みのままの状態でなんという残酷なことをしたのだろう、と40代のわたしは思うようになった。掲句の視線も、醜態という言葉のなかに、完璧から解放された薔薇への慈しみが見られ、40代半ばあたりの自然体の薔薇が浮かぶのだった。『ひたすら』(2010)所収。(土肥あき子)


June 1562010

 受付に人のとぎれし水中花

                           高木聰輔

まで気づかなかった水中花のボトルが見えた瞬間に、さきほどまでの混雑ぶりがあらわになる。現在を描くことで過去を連想させている。水中花が感じさせる無機質な冷たさと、ゆったりともひしめくとも見える生々しい感触は、通り過ぎた時間をそのまま封じ込めているようで、どこかこころもとなく眺めている作者の視線を感じさせる。「受付」とはまたその中に座る人の存在を予感させるものでもある。入口から始まるスムーズな動線は、来訪者をまっすぐに受付へ導き、さらに希望の場所へとさばいていく。分岐の現場はなかなか定石通りにはいかず、臨機応変や当意即妙という豊かな経験からくる対応が求められながら、「受付嬢」というきらびやかな言葉が残るように、若さや美しさも同時に要求されるのも事実であろう。容姿端麗で礼儀正しく、忙しいときでも暇なときでも常ににっこりと座っていなければならないことを思うと、水中花のわずかなゆらぎが受付嬢の屈託のようにも見えてくる。『籠枕』(2010)所収。(土肥あき子)


June 2262010

 夏雲や赤子の口を乳あふれ

                           安部元気

雨さなかとはいえ、時折の晴れ間はまごうことなき夏の日差しになっている。掲句は、もくもくとした夏雲の形態が、赤ん坊の放出する生のエネルギーに重なり、ますますふくれあがっていくようだ。さらに生まれたての小さな口を溢れさせるほどの、ほとばしる乳を与える母の像も背景におさえ、圧倒的な健やかさを募らせている。いまさら母乳の味を覚えているはずもないが、ふいに口中になつかしい感触もわいてくるように思い、見回してみれば世の中にあふれる「ミルク味」たるものの多さに驚いた。アイスクリーム、キャンディーなどの菓子類はともかく、サイダーやカップ麺にまで出現している。これほどの多様さを見るとき、ふと生きる糧そのものであった乳の、あの白色を慕い、ねっとりとしたほの甘さを、今もなお求めているのだとも思えるのである。〈船虫や潮にながされつつ進み〉〈昼寝より覚めれば父も母もゐず〉『一座』(2010)所収。(土肥あき子)


June 2962010

 瓜食んで子どもら日照雨見てゐたり

                           足立和信

照雨(そばえ)は細照雨とも書き、太陽が出ているのに降る小雨のこと。掲句では、きらきらと明るい降雨が、子どもたちの遊びのちょっとした休憩となって、縁側あたりに並んで雨があがるのを待っている。子どもにとって苦手な雨や、退屈な待ち時間でありながら、がっかりした様子が見えないのは、彼らにもこれがすぐ止むことが分かっているからなのだろう。「そばえ」には戯れたり甘えたりする意味もあるというから、子どもたちには一層親しい雨である。外の遊びを半ばで中断されたために体中にまとわりついている熱気が、瓜で冷やされていく様子は、無尽蔵のパワーメモリがみるみる補充されていくかのようだ。本句集の序文で森澄雄氏は掲句を取りあげ、山上憶良の「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ いづくより来りしものぞ まなかひにもとなかかりて安眠し寝さぬ」の子を思う歌が敷かれていると書く。そして、この万葉集の長歌に続く反歌こそ、ことによく知られた「銀(しろがね)も金(こがね)も玉も何せむに まされる宝 子にしかめやも」である。とりたてて特別でない日常の風景が、親にも子にも忘れがたい一瞬となって、それぞれの記憶に刻印される。『初島』(2010)所収。(土肥あき子)




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