横浜の俳句イベントに参加するつもりが家の事情でできず。やれやれ。(哲




2010ソスN1ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1012010

 歌留多会廊下の冷えてゐたりけり

                           岡本 眸

象そのものを鋭く詠うためには、正面から向かうのではなく、その裏へまわらなければならないと、創作の秘密を教えてくれているような句です。それにしても、歌留多会を詠おうとしているのに、廊下の冷たさに目が行くなんて、なんてすごい感性なんだろうと、あらためて驚かされます。あるいは作者の目は、はじめから冷え冷えと伸びた廊下のほうにあって、扉を隔てた向こう側の遊びのざわめきを、別世界のものとして聞いているのかもしれません。身体はここにあっても、心はつねにそれを俯瞰するような場所にある。ものを作る才能とは、つまりはそういうものなのかもしれません。歌留多といえば百人一首。思い出すのは、今は亡き私の父親が、子供の頃にカルタが得意で、よく賞品をせしめて家に持ち帰ったという話を聞かされたことです。老年にいたるまで、常に口数が少なく物静かな人でしたが、酒に酔うとときたま、この話を自慢げにしていました。貧しい時代に、家族のために賞品のみかんを手に、わくわくするような思いで家路をたどる少年の頃の父親の姿を、だからわたしも酔うと、想像するのです。『新日本大歳時記』(2000・講談社)所載。(松下育男)


January 0912010

 味噌たれてくる大根の厚みかな

                           辻 桃子

句なしに美味しそう。〈大根は一本お揚げ鶏その他〉の句と並んでいるが、いずれもとにかく美味しそうだ。この句の場合、味噌たれてくる大根、ときて、煮込んだ大根に味噌がかかっているのはわかるけれどまだそれだけで、厚みかな、としっかりした下五であらためてとろっと味噌がたれる。その絶妙の感覚が、こういう美味しそうな俳句の、写真にも文章にも真似のできない味わいだろう。じっくりこっくり煮込んだ大根に箸をゆっくり入れる。その断面にたれてくる味噌の香りと大根の匂いや湯気までが、それぞれの読み手の頭の中に映像として結ばれて、そのうちの何人かは、あ〜今日は大根煮よう、と思うのだ。この作者の、これまで増俳に登場した句には〈秋風やカレー一鍋すぐに空〉〈アジフライにじゃぶとソースや麦の秋〉などがあり、料理上手な作者が思われる。「津軽」(2009)所収。(今井肖子)


January 0812010

 冬灯金芝河の妻のまろき額

                           山下知津子

書きに、金芝河(キム・ジハ)初来日記念公演 パンソリ「五賊」、とある。「五賊」は金氏が1970年に当時の韓国の朴正熙大統領を風刺して書いた長編詩。金氏はこの詩がもとで反共法分子として逮捕される。その後も一貫して反政府運動をつづけ、一時は死刑判決を受けるが屈せず国際的な政府非難の中で釈放を勝ち取る。その詩を韓国の口承芸能「パンソリ」で公演したものを作者は観に行った。そのときの感動を詠んだものである。作者は公演に来ていた金氏の妻の容貌に着目する。これが夫の過酷な闘争を支えた妻だ。歴史の表に出る存在を支えた同伴者の存在がある。ドラマは往々にしてその視点から描くことで中心人物がより鮮明になる。龍馬の愛人、啄木の妻、子規の妹、周恩来の妻等々。内助の功などという世俗的な括りを超えて、社会正義への信念から自己犠牲をも厭わない存在に賭ける存在。それもまた自己犠牲の覚悟に基づいている。しかしその顔は険しい顔ではなく、円満な額を持つ顔であった。そこに作者の驚きと安堵がある。『髪膚』(2002)所収。(今井 聖)




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