カメラのさくらや全店閉鎖。人よりも会社が大事が露骨になってきた。(哲




2010蟷エ1譛14譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

January 1412010

 屋根のびてきて屋根の雪落ちにけり

                           しなだしん

が珍しい瀬戸内海と太平洋岸の冬しかしらないので、一年の三分の一を雪に封じ込められる生活は想像するしかない。豪雪地帯である新潟県上越地方を舞台にした鈴木牧之の『北越雪譜』には以下のような記述がある。「雪ふること盛んなるときは積もる雪家をうづめて雪と屋根と等しく平らになり、明りのとるべき処なく、昼も暗夜のごとく燈火を照して家の内は夜昼をわかたず」雪囲いをしてほとんど塞いでしまった窓からは灰色に垂れこめた空と軒の黒い影しか見えないだろう。その影がすうっと伸びる心地がして、雪が滑り落ちる。そんな情景を外から見れば「屋根のびてきて」ということになろうか。「リアル」とは自分の内側の体験を掴みとって、他の誰もが出来ない表現で読み手に感銘を呼び起こすことだとすれば、雪国での生活経験のない私にもその瞬間がいきいきと想像される一句である。『夜明』(2008)所収。 (三宅やよい)


January 1312010

 手を打つて死神笑ふ河豚汁

                           矢田挿雲

はしかるべき店で河豚を食べる分には、ほとんど危険はなくなった。むしろ河豚をおそるおそる食べた時代が何となく懐かしい――とさえ言っていいかもしれない。それにしても死神が「手を打つて」笑うとは、じつに不気味で怖い設定である。あそこに一人、こちらに一人という河豚の犠牲者に、死神が思わず手を打って笑い喜んだ時代が確かにあった。あるいはなかなか河豚にあたる確率が低くなったから、たまにあたった人が出ると、死神が思わず手を打って「ありがてえ!」と喜んだのかもしれない。落語の「らくだ」は、長屋で乱暴者で嫌われ者のらくだという男が、ふぐにあたってふぐ(すぐ)死んでしまったところから噺が始まる。同じく落語の「死神」は、延命してあげた男にだまされる、そんな間抜けな死神が登場する。アジャラカモクレンキューライス、テケレッツノパー。芭蕉にはよく知られた「あら何ともなや昨日は過ぎて河豚汁」と胸をなぜおろした句がある。西東三鬼には「河豚鍋や愛憎の憎煮えたぎり」という、いかにも三鬼らしい傑作があるし、吉井勇には「極道に生れて河豚のうまさかな」という傑作があって頷ける。強がりか否かは知らないけれど、河豚の毒を前にして人はさまざまである。挿雲は正岡子規の門下だった。大正八年に俳誌「俳句と批評」を創刊し、俳人として活躍した時期があった。ほかに「河豚食はぬ前こそ命惜みけれ」という句もある。平井照敏編『新歳時記』(1989)所載。(八木忠栄)


January 1212010

 建付けのそこここ軋む寒さかな

                           行方克巳

書に「芙美子旧居」とあり、新宿区中井に残る林芙美子の屋敷での一句。芙美子の終の住処となった四ノ坂の日本家屋は、数百冊といわれる書物を読み研究するのに六年、イメージを伝えるために設計者や職人を京都に連れていくなどで建築に二年を費やしたという、こだわり尽くした家である。彼女は心血を注いだわが子のような家に暮らし、夏になれば開け放った家に吹き抜ける風を楽しみ、冬になれば出てくるあちこちの軋みも、また愛しい子どもの癖のように慈しんでいたように思う。掲句の「寒さ」は、体感するそれだけではなく、主を失った家が引き出す「寒さ」でもあろう。深い愛情をもって吹き込まれた長い命が、取り残された悲しみにたてる泣き声のような軋みに、作者は耳を傾けている。残された家とは、ともに呼吸してきた家族の記憶であり、移り変わる家族の顔を見続けてきた悲しい器だ。芙美子の家は今も東西南北からの風を気持ち良く通し、彼女の理想を守っている。〈うすらひや天地もまた浮けるもの〉〈夜桜の大きな繭の中にゐる〉『阿修羅』(2010)所収。(土肥あき子)




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