更生会社にいた体験から言うと社員の士気は必ず低下する。それが人情。(哲




2010ソスN1ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2112010

 着ぶくれて動物園へ泣きに行く

                           西澤みず季

月も下旬となり寒さも極まるとダウンジャケットやコートに身を固め、毛糸帽を目深かにかぶった人の姿が増えてくる。電車の中も押し合いへしあい嵩を増した者同士、身動きもとれないありさまで運ばれてゆく。そんな格好をしていると一番不似合いなのが優雅に恋愛することかもしれない。寄り添うにしてもごそごそと腕も組めやしない!それに比べ悲しみと着ぶくれは似つかわしく通じるところがありそう。だけどこの句では泣きにゆくのが動物園というところが意表を突いている。人に見られたくないので動物園を選んだのならラマやカモシカ、といったあまり人が集まっていない動物の前にあるベンチを選べばゆっくりと泣けそうだ。着ぶくれて泣いている様子を不思議そうに眺めている柵の中の動物の表情を想像するとなんだかおかしい。期せずして誘い出す笑いがせつなく明るくて、私も泣くために着ぶくれて動物園へ行きたくなった。『ミステリーツアー』(2009)所収。(三宅やよい)


January 2012010

 どの墓も××家とある寒さかな

                           正津 勉

の暮に墓掃除に行ったり、正月にお参りに出かけることはあっても、一般に寒い時期に墓を訪れる人はなかなかいないだろう。それでなくとも、墓地までは距離があったりして、寒い折に出かけるのはよほどの用がないかぎり、億劫になってしまいがちである。ご先祖様には申しわけないけれど。それにしても墓地は、だいたいどこやら寂しいし寒々しいもの。掲出句にあるごとく、まこと大抵の墓には、宗旨にもよるが「××家」とか「先祖代々之墓」などと刻まれている。「××家」累代の歴史に、束の間の幸せや悲劇があったにせよ、刻まれた文字からは、雪があるないにかかわらず深閑として、冬場には厳しい寒さがいっそう漂う。「公苑墓地」などと称していても、寒いことにかわりはない。家によって一律ではないにしても、墓の姿や刻まれた文字が一様に寒々しく感じられてしまうのは仕方がない。時候の「寒さ」と心理的な「寒さ」とが、下五で重なりあっている。同時に威儀を正しているような凛としたものさえ感じられる句である。この句と同時に「あばら家の明け渡し迫る空つ風」という句がならんでいる。句誌「ににん」に、勉は「歩く人・碧梧桐」を連載している。「ににん」37号(2010)所載。(八木忠栄)


January 1912010

 松活けて御前がかりの土俵入

                           中沢城子

半戦となり、いよいよ白熱してきた初場所である。「御前掛り(ごぜんがかり)」とは、天皇が観戦する天覧相撲において特別に行われる土俵入りのことをいう。今年は初日の10日が天覧相撲だったが、幕の途中からの観戦だったため御前掛りは行われなかった。御前掛りの土俵入りは、力士全員が正面を向いて整列し、一礼して降りていくことで、貴賓席にお尻を向けない進行になっているのだが、やはり絢爛たる化粧回しが丸い土俵をぐるりと囲む普段の土俵入りの方が美しいと思う。とはいえ、掲句は初場所の特別な日であることの高揚に輝く力士たちが浮かび、青々とした松とのコントラストとともに、神事としての相撲の姿も鮮やかに描いている。昨年、国技館で大相撲を見る機会があったが、目の前で見る力士の若々しい肌と、ぶつかったり投げられたりする際の大きな音にことのほか驚いた。土俵に投げられた力士の肌がみるみる紅潮していくのは、痛さより悔しさからであることが伝わり、取り組みごとの大きなどよめきに巻き込まれるように、思わぬ歓声をあげていた。国技館にある御製記念碑には昭和天皇の〈ひさしくも みざりしすまひ ひとびとと てをたたきつつ みるがたのしさ〉と記されている。満場の一体感こそ、スポーツ観戦の醍醐味なのであろう。タイトルの「明荷(あけに)」とは力士が場所入りや巡業の時に使用する大きな長方形の物入れで、ここに化粧回しや座布団、草履などが入っているという。「明荷は十両以上の関取のみが使用することができるため、力士にとっては憧れと夢のトランクである」とあとがきには書かれている。〈猟犬の臥せば一山息をのむ〉〈女手に打つ釘まがる十二月〉『明荷』(2010)所収。(土肥あき子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます