譚台ク企梟蠖ヲ縺ョ句

January 2312010

 ガラス戸の遠き夜火事に触れにけり

                           村上鞆彦

事は一年中起きてしまうものだが、空気が乾燥して風が強い冬に多いということで冬季。とはいえ、火事そのものは惨事であり、兼題に出たりすると、火事がどこかであったかしら、と思うのもなにやら後ろめたく、また季感もうすい。「この句はいかにも火事らしい」などと言っても言われても、なんだかなあという気も。その点この句にはまず冬の匂いがある。ひんやりと黒いガラス戸の向こうに見える小さく赤い炎に、思わず指を重ねたのだろうか。平凡な沈黙を破るかのような一点の火。見慣れた夜景が生々しく動きだし、その中に急に人の息づかいを感じてしまう。そして、ガラスから伝わってくる冷たさを指先で共有する時、読み手はまた作者の内なる熱さに触れるような心持ちになるのかもしれない。他に〈コート払ふ手の肌色の動きけり〉〈浮寝鳥よりも静かに画架置かれ〉など、衒わず新鮮な印象。「新撰21」(2009・邑書林)所載。(今井肖子)


May 0652010

 初夏の木々それぞれの名の眩し

                           村上鞆彦

緑の美しい季節になった。連休の2日目、陣馬山から景信山へ渡る尾根道から山の斜面を見下ろすと、古葉を落としみずみずしく生まれ変わる薄緑の若葉の茂りがはっきりと見て取れた。椎、樫、楠、欅、それぞれ樹皮の模様から枝ぶりまで多種多様で、ひとつひとつの名前を確かめながら、森や山をめぐるのは連休の楽しみのひとつ。イタリアのブルーノ・ムナーリの『木をかこう』という絵本にカシワの葉を良く見ると葉脈がカシワの木と同じかたちをしていると書かれている。樹形が葉脈に映し出されるなんて驚きだ。空へ大きく広げた枝を折りたたみ、折りたたみまとめるとその幹の太さになるとも。五月の光をいっぱいに受けながら茂りゆく木々にある不思議な法則。萌黄色の若葉を透かす眩しさに木の名前をだぶらせてその特徴ある樹形を、幹の手触りをいとおしみたい。『新撰21』(2009)所載。(三宅やよい)


July 1172013

 暗算の途中風鈴鳴りにけり

                           村上鞆彦

の頃は町中を散歩していても風鈴の音を聞かない。風鈴を釣る縁側の軒先もなくなり、風鈴の音がうるさいと苦情が来そうで窓にぶら下げるにも気を遣う。風鈴の音を楽しめるのは隣近所まで距離のある一軒家に限られるかもしれぬ。気を散らさぬよう暗算に集中している途中、風鈴がちりんと鳴る。ほとんど無意識のうちに見過ごしてしまう些細な出来事を書き留められるのは俳句ならではの働き。宿題を広げた座敷机、むんむんと気温が上がり続ける夏の午後、かすかな微風に鳴る風鈴の音にはっと顔を上げて軒先に広がる夏空を見上げる。掲句を読んで昔むかし小学生だった自分と、宿題に悩まされつつ過ごした夏休みの日々を久しぶり思い出した。『新撰21』(2009)所載。(三宅やよい)


December 18122014

 コート払ふ手の肌色の動きけり

                           村上鞆彦

か紺色が深い色のコートの袖から出ている手の動きが生々しく感じられる。「コート払う」とあるので肩や裾あたりを手で払う動作が想像されるが、冬物の濃いコートの色を背景に遠くからでもその動きは目立つことだろう。句の着目はあくまでも手の「肌色」である。クレオンの肌色という色がオレンジベージュという言葉に変わったというニュースを聞いた。確かに人種によって「肌色」は違うし、あくまで黄色人種の日本人の示す範囲の概念だからだろう。この句で連想させる色もその肌色なのだけど、「肌色の動きけり」と即物的に書かれているだけに、コートからむき出しになっている手の動きと、その手がさらされている冷たい空気を想像させる。防寒用のコートや外套そのものを句の中心に置いた句を多いが、コートから露出した手でコートの色や質感を際立たせるような掲句の視点は新鮮に思える。『新撰21』(2009)所載。(三宅やよい)


May 1252015

 初夏の木々それぞれの名の眩し

                           村上鞆彦

夏の日差しは、新緑を健やかに育み、木々は喜びに輝いているかのように光りを放つ。日に透けるような頼りない若葉たちも、日ごとに緑を深め、すっかりそれらしいかたちを得て、力強い影を落としている。掲句に触れ、街路樹に並ぶ初夏の木の名を確認しながら歩いてみた。鈴懸(すずかけ)、欅(けやき)、花水木(はなみずき)。鈴懸は鈴玉のような実をつけることから付いた名。秋には空にたくさんの鈴を降らせる。欅の「けや」は際立って美しいの意の「けやけし」に通じている。花水木は、根から水を吸い上げる力が強いことから水木。どの名も人間との深い付き合いから付けられたものだ。その名に胸を張るように木々を渡る風が薫る。『遅日の岸』(2015)所収。(土肥あき子)


July 1672015

 空はまだ薄目を開けて蚊喰鳥

                           村上鞆彦

の夕暮れは長い。日差しが傾き、炎熱に抑えられていた風が心地よく吹き始め、戸外で夕涼みをするには一番の時間帯だ。夕焼雲と藍色がかった空がグラデーションを描く。暗くなりそうでならない、薄明の暮時でもある。その様子を「空はまだ薄目を開けて」と言い取ったところが魅力的だ。蚊喰鳥、こうもりが飛び始めるのもそんな時間帯。「薄目」はほとんど見えているかどうかわからないこうもりの目の表情も連想させる。この頃めっきりこうもりを見なくなったと思っていたが、先月琵琶湖畔に盛んに飛び回っているのを見た。かはほりは「川守」に通じるというので、水辺に多いのだろうか。飛び交う蝙蝠と暮れていく夏の宵を存分に楽しんだ、そのことが掲句を読んで鮮やかに蘇った。『遅日の岸』(2015)所収。(三宅やよい)


March 0532016

 鳩は歩み雀は跳ねて草萌ゆる

                           村上鞆彦

われてみれば確かに、鳩は首を前後に動かしバランスをとりながら歩いているが、雀はふくらんだ小さな体ごと両脚をそろえて跳ねている。鳥は大きさや生活エリアによってウォーキング派とホッピング派に分かれるというが、なるほどホップすると大きい鳥は体力を消耗しそうだし雀のよちよち歩きは見ていても危なっかしい。そんないつでもどこにでもいる鳥の動きの違いに気づくのも、気づいてすこしほっこりするのも早春ならではだろう。草萌、によって見える青が、鳥たちの動きを引き立てている。今日は啓蟄、空も風も大地もその色をゆるめつつあるが、目覚めたあれこれが這い出して来るのはもう少し先かもしれない。『遅日の岸』(2015)所収。(今井肖子)


April 0742016

 クローバーに置く制服の上着かな

                           村上鞆彦

日、明日あたり入学式の学校が多いのではないか。真新しい制服に身を包みなじみのない集団に身を投じての学校生活が始まる。この頃はつらいニュースも多いけど思っても見なかった出会いもあり心弾ませて毎日を過ごしてほしいものだ。さて掲載句は新しく萌え出たクローバーの上に腰を下して制服の上着を脱いで置くという簡単なものだが、そこに春の明るい日差しと暖かさ、おそらくは上着を脱いで友と語らう若い人の快活な様子も想像されて好ましい。クローバーはシロツメグサとも言い春になると萌え出る柔らかい若葉が嬉しい。幸せが約束されると四葉のクローバーを探したり、もう少し季節が進むと白い花を摘んでせっせと花冠や首飾りなど編んだ。校庭や野原で外遊びする子供のいい遊び相手であり、初々しい人たちに似合いの植物だ。『遅日の岸』(2015)所収。(三宅やよい)


June 0362016

 葭切や葭まつさをに道隠す

                           村上鞆彦

切、特にオオヨシキリは夏場九州以北の低地から山地のヨシ原に渡来し、海岸や河口の広いヨシ原では多く見られる。おすは葭の茎に体を立ててとまり、ギョッギヨッシ、ギョッギヨッシと騒がしく囀る。その鳴き声から行行子(ぎょうぎょうし)の別名がある。ふと命の出し惜しみをして生きている吾身を反省する。最後に精一杯叫んだのは何時の事か記憶にない。甲高い鳴き声に一歩葭原に踏み入れてみても道は隠され、茂みの深さの為に中々営巣には近付けない。ただまつさをな葭原の只中に耳を聳てて聞き入るばかりである。因みにコヨシキリは丈の高い草原にすみ細い声で囀る。他に<花の上に押し寄せてゐる夜空かな><投げ出して足遠くある暮春かな><枯蟷螂人間をなつかしく見る>などあり。「俳句」(2013年8月号)所載。(藤嶋 務)




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