父は快方へ向かっているが認知症が進んだ模様。一難去ってまた一難。(哲




2010ソスN1ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2712010

 大雪となりて果てたる楽屋口

                           安藤鶴夫

席が始まる頃から、すでに雪は降っていたのだろう。番組が進んで最後のトリが終わる頃には、すっかり大雪になってしまった。楽屋に詰めていた鶴夫は、帰ろうとした楽屋口で雪に驚いているのだ。出演者たちは出番が終われば、それぞれすぐに楽屋を出て帰って行く。いっぽう木戸口から帰りを急ぐ客たちも、大雪になってしまったことに慌てながら散って行く。その表の様子には一切ふれていないにもかかわらず、句の裏にはその様子もはっきり見えている。今はなき人形町末広か、新宿末広亭あたりだろうか。いずれにせよ東京にある寄席での大雪である。東京では10cmも降れば大雪。これから贔屓の落語家と、近所の居酒屋へ雪見酒としゃれこもうとしているのかもしれない。からっぽになった客席も楽屋も、冷えこんできて寂しさがいや増す。寄席では、雪の日は高座に雪の噺がかかったりする。雪を舞台にした落語には「鰍沢」「夢金」「除夜の雪」「雪てん」……などがあるが、多くはない。癖の強かった「アンツル」こと安藤鶴夫の業績はすばらしかったけれど、敵も少なくなかったことで知られる。多くの演芸評論だけでなく、小説『巷談本牧亭』で直木賞を受賞した。久保田万太郎に師事した。ほかに「とどのつまりは電車に乗って日短か」の句がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


January 2612010

 雪だるま手足出さうな日和なり

                           大沼遊魚

を明けてからの天気予報の日本地図にはずらりと雪だるまのマークが並んでいるが、日は確実に伸びてきた。日常に雪の降る生活をほとんど経験していないことから、雪だるまを作ることは憧れのひとつでもある。「雪だるまの作り方」なるマニュアルによれば「まず手のひらで雪玉を作り、やわらかい雪の上で転がす。まんべんなく雪が付くように転がしていくと、雪玉はどんどん大きくなるので、ほどよい大きさを二つ作り、ひとつにもうひとつを重ねる。」のだそうだ。手のひらほどの雪玉が、みるみる大きくなっていくことが醍醐味のこの遊び、日本でどれほど昔から親しまれていたのかと調べてみると、源氏物語と江戸期の浮世絵に見つけることができた。源氏物語では「朝顔」の段に「童女を庭へおろして雪まろげをさせた」とあり、「雪まろげ」とは雪玉を転がし大きくする遊びとあるから、雪だるまの原形と考えてもよさそうだ。浮世絵は鈴木春信の「雪転がし」で、こちらは三人の男の子が着物の裾をからげて(一人はなんと素足である)、寒さをものともせず大きな雪玉を転がしている。掲句にも、また遊びの本質を見届ける視線がある。雪だるまが次第に溶け、形がなくなってしまうことへの悲しみや切なさという従来の詠みぶりを捨て、最後まで明るくとらえていることに注目した。ところで歌川広重『江戸名所道戯尽』の「廿二御蔵前の雪」では、正真正銘の達磨さんを模したものが描かれており、これにぬっと手足が出たらちょっと怖い。〈雪原の吾を一片の芥とも〉〈山眠る熱きマグマを懐に〉『倭彩』(2009)所収。(土肥あき子)


January 2512010

 年老いて火を焚いてをるひとりかな

                           橋上 暁

のダイオキシン騒動以後、住宅地などでの焚火はまったく見られなくなってしまった。昔は朝方や夕暮れ近くには、あちこちの民家の庭先から、落葉やゴミを燃やす細い煙が上がっていたものだった。近づくと、特有のいい匂いがした。その時代の句だろう。焚火をしている人は他人とも解釈できるけれど、私は作者当人と解しておきたい。つまり「年老いて」を実感としたほうが、より孤独の相が深まるからである。この焚火は、盛大なものじゃない。火の勢いも強くはない。ぼそぼそと、少しずつ紙くずなんかを燃やしている。燃やしながらチロチロとした炎や燃えかすを見ているうちに、脈絡もなくさまざまな思いがわいてくる。こうした焚火は遊び気分とは縁のない一種のルーティン・ワークだから、あまり弾むような気持ちは起きてこない。「ああ、オレも年をとったなあ」などと、気分はどうしても内向的になる。呟きのようにわいてくるこうした気分を反芻していると、不意に人間はしょせん「ひとり」なんだという、それこそ実感の穴に転げ落ちてゆく。この「一人」は一人暮らしのそれであってもよいのだが、むしろ家族と同居しているなかでの「ひとり」感としたほうが味わい深い。たそがれどき、むらさきの煙を上げている焚火を見つめながら、このような孤独感に胸を塞がれた人たちも多かったろう。焚火の時間はまた内省の時間でもあったのだ。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)




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