螳芽陸鮓エ螟ォ縺ョ句

January 2712010

 大雪となりて果てたる楽屋口

                           安藤鶴夫

席が始まる頃から、すでに雪は降っていたのだろう。番組が進んで最後のトリが終わる頃には、すっかり大雪になってしまった。楽屋に詰めていた鶴夫は、帰ろうとした楽屋口で雪に驚いているのだ。出演者たちは出番が終われば、それぞれすぐに楽屋を出て帰って行く。いっぽう木戸口から帰りを急ぐ客たちも、大雪になってしまったことに慌てながら散って行く。その表の様子には一切ふれていないにもかかわらず、句の裏にはその様子もはっきり見えている。今はなき人形町末広か、新宿末広亭あたりだろうか。いずれにせよ東京にある寄席での大雪である。東京では10cmも降れば大雪。これから贔屓の落語家と、近所の居酒屋へ雪見酒としゃれこもうとしているのかもしれない。からっぽになった客席も楽屋も、冷えこんできて寂しさがいや増す。寄席では、雪の日は高座に雪の噺がかかったりする。雪を舞台にした落語には「鰍沢」「夢金」「除夜の雪」「雪てん」……などがあるが、多くはない。癖の強かった「アンツル」こと安藤鶴夫の業績はすばらしかったけれど、敵も少なくなかったことで知られる。多くの演芸評論だけでなく、小説『巷談本牧亭』で直木賞を受賞した。久保田万太郎に師事した。ほかに「とどのつまりは電車に乗って日短か」の句がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


September 1892013

 いささかのしあわせにゐて秋燈

                           安藤鶴夫

月中旬くらいまでは残暑がつづく。これは酷暑の連続だった今年に限ったことではなく、例年のことであると言っていい。歳時記では「秋燈(あきともし)」とならんで「燈火親しむ」がある。同じあかりでも、大気が澄んできて少々涼しさが感じられてくる秋は、あたりの静けさも増して、ようやく心地よい季節である。秋燈はホッとできるあかりである。掲句の場合、身に余るような大袈裟な「しあわせ」ではなく、庶民にふさわしい「いささか=ちょいとばかり」だが、うれしい幸せ感なのであろう。その幸せの中身は何であれ、秋のあかりのもとにいると、どことなくうれしさが感じられるということであろう。『巷談本牧亭』(直木賞受賞)や『寄席紳士録』などの名著のある“あんつる”さんの仕事を、江國滋は「含羞の文学」と評し、「詩人である」とも指摘していた。掲出句はいかにもそう呼ばれた作家にふさわしい、ほのぼのとした一句ではないか。他に「とりとめしいのちをけふは草の市」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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