やっと暖かくなってきた。このまま春に突っ走ってくださいな。(哲




2010ソスN2ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2122010

 菜の花や小学校の昼餉時

                           正岡子規

めばそのままに、広々とした風景が目の前に現れてくるようです。木造の校舎を、校庭のこちら側から見つめているようです。かわいらしく咲き乱れている菜の花と、教室内でお昼ご飯を食べている、これまたかわいらしい小学生の姿が、遠景によい具合につりあっています。今は静かなこの校庭にも、もうすぐご飯を食べ終わった子供たちが飛び出してきて、ひどくやかましい時間が訪れることでしょう。あっちこっちから走ってくる子供たちの姿を、ぶつかりやしないかと心配しながら、菜の花の群れが優しいまなざしで見つめています。とにかく句全体に、鮮やかに花が咲き乱れているようです。こんな句を読めた日には、わざわざいやなことなどを考えずに、ゆったりといちにちを過ごしてみようかな。『俳句大観』(1971・明治書院)所載。(松下育男)


February 2022010

 待てば来る三月も又幸せも

                           川口咲子

京は二月に入って雪続き。余寒どころではない寒さだけれど、春の雪はすぐ日差しに吸われて消えていく。二月の学校は、中学入試に始まって学年末の慌ただしさに新年度の準備の開始、高三の入試結果の悲喜こもごもと忙しない。三月は別れの季節であり、まだまだ冷えこむことも多いけれど、一日ごとに空の色が変わっていくのを確かめながら花を待つ毎日は、心楽しいものだ。春は必ず来る、と言われても、私には春は来ない、なんて気持ちになることがある。でも、三月は確かに、必ず待てば来る。三月も、で一呼吸入れて読んでみると、自分自身に言いきかせているような、かみしめるような、幸せ、ということばが、三月、の具体性によって、向こうからにこにこ近づいてきてくれそうな気がしてくる。句集名の『花日和』(2001)も、幸せを感じさせる言葉だ。(今井肖子)


February 1922010

 親雀巣を出て遠く志す

                           山口誓子

子の句は句の立姿が美しい。僕にはそう見える。どんなにきちんと音律が整っていても類型的な情緒が盛られていては、ああ、また諷詠ですか、古いモダンですかと思ってしまう。作者としてのあなたはほんとうにそれで新しい自分がその一句に刻印されていると思うのですかと読者としての僕が問うとき誓子の句の多くはこれが私の考えている俳句ですと返してくれる。僕はそれに納得がいき、その返答を誓子の型の中にみる。そのとき美しいと思うのだ。親雀は子育ての本能からか、餌を求めて遠くまで行動範囲を広げる。校庭のような広いところでいつも餌をやっているとわかる。パン屑を咥えては巣のある一定方向にとび、しばらくしてまた帰ってくる。子育てのときの距離が長いのは、同じ雀が帰ってくる時間でわかる。見える事柄の「写生」から入って、次に妻子をもってこそ一人前だというような寓意に入る。最初から寓意や批評性を意図する作品と、結果的に寓意に到る作品。その順序は俳人の品位と才能にかかっている。『遠星』(1945)所収。(今井 聖)




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