読む時間もないのに、つい余計な本をかりてしまう。衝動借りである。(哲




2010ソスN2ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2222010

 ふるさとの味噌焼にのせ蕗の薹

                           武原はん女

田汀史さんから送っていただいた『汀史雑文集』(2010)は、味わい深い一冊である。地元徳島への愛情が随所に滲み出ている。そのなかに、徳島出身の地唄舞の名手であった武原はん(俳号・はん女)について書かれた短文がある(「おはん恋しや」)。掲句はそのなかで引かれている句であるが、彼女は虚子直門で多くの秀句を残した。「焼味噌」がどういうものなのか、私は知らないけれど、阿波の人なら知らない人はいないほどの名物らしい。汀史さんによれば「赤子のてのひら程の、素焼の器に生味噌を入れて炭火で焼いた」ものだという。想像するだに酒のつまみに良く合いそうだ。作者は長いこと「ふるさと」を離れ暮らしているのだが、あるとき故郷から味噌焼が送られて来、その懐かしい味をより楽しむために、早春の香り「蕗の薹(ふきのとう)」を添えたというのである。いかにも美味しそうであり、それ以上に、句は望郷の念をさりげなくも深く表現していて見事だ。「早春の季節感と共に、望郷の念たちのぼるごとき秀品」と、汀史さんは書いている。ひるがえって、私が育った地元には何か名物があるかと考えてみたが、何もない。山口県の文字通りの寒村で、いまは一応萩市の一角ということにはなっているけれど、バスの便だって一日三回くらいしかないほどなのだから、昔の状況は推して知るべし。ついでに言えば民謡もない。したがって、食べ物を前に望郷の念を抱くこともできない。だからこそなのだろう。こういう句にとても惹かれてしまうのは。(清水哲男)


February 2122010

 菜の花や小学校の昼餉時

                           正岡子規

めばそのままに、広々とした風景が目の前に現れてくるようです。木造の校舎を、校庭のこちら側から見つめているようです。かわいらしく咲き乱れている菜の花と、教室内でお昼ご飯を食べている、これまたかわいらしい小学生の姿が、遠景によい具合につりあっています。今は静かなこの校庭にも、もうすぐご飯を食べ終わった子供たちが飛び出してきて、ひどくやかましい時間が訪れることでしょう。あっちこっちから走ってくる子供たちの姿を、ぶつかりやしないかと心配しながら、菜の花の群れが優しいまなざしで見つめています。とにかく句全体に、鮮やかに花が咲き乱れているようです。こんな句を読めた日には、わざわざいやなことなどを考えずに、ゆったりといちにちを過ごしてみようかな。『俳句大観』(1971・明治書院)所載。(松下育男)


February 2022010

 待てば来る三月も又幸せも

                           川口咲子

京は二月に入って雪続き。余寒どころではない寒さだけれど、春の雪はすぐ日差しに吸われて消えていく。二月の学校は、中学入試に始まって学年末の慌ただしさに新年度の準備の開始、高三の入試結果の悲喜こもごもと忙しない。三月は別れの季節であり、まだまだ冷えこむことも多いけれど、一日ごとに空の色が変わっていくのを確かめながら花を待つ毎日は、心楽しいものだ。春は必ず来る、と言われても、私には春は来ない、なんて気持ちになることがある。でも、三月は確かに、必ず待てば来る。三月も、で一呼吸入れて読んでみると、自分自身に言いきかせているような、かみしめるような、幸せ、ということばが、三月、の具体性によって、向こうからにこにこ近づいてきてくれそうな気がしてくる。句集名の『花日和』(2001)も、幸せを感じさせる言葉だ。(今井肖子)




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