地方選、民主に逆風。旧自民のツケがこんな形で回ってこようとはね。(哲




2010ソスN2ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 2322010

 仕事仕事梅に咲かれてしまひけり

                           加藤かな文

分だ八分だと大騒ぎの態の桜と違い、梅はいたって静かにほころびる。掲句は通勤途中のものか、あるいはもっと身近な庭の一本かもしれず、それほど梅はふっと咲くものだ。そろそろ冬のコートを脱ごうかと見回した視線でみつけたものか、ともかく「咲かれてしまった…」とつぶやく胸のうちは、自覚していた時間との落差が突如現れたような途方に暮れた感がある。まだ本年という年号にも馴染まぬうちに、もうすっかり春になろうとしているのだ。作者は四十代の男性。世にいう働き盛りの毎日は、小さな時間のブロックを乗り越えていくうちに、またたく間に月日が過ぎてしまうものである。そして、その無念さはどの花でもなく梅でこそ、ぽつんと取り残された心地が表現できたのだと思う。ちなみに都内では「せたがや梅まつり」は2/28、「湯島天神梅まつり」は3/8まで。清らかな梅の香りを楽しむ時間は、もう少し残されている。『家』(2009)所収。(土肥あき子)


February 2222010

 ふるさとの味噌焼にのせ蕗の薹

                           武原はん女

田汀史さんから送っていただいた『汀史雑文集』(2010)は、味わい深い一冊である。地元徳島への愛情が随所に滲み出ている。そのなかに、徳島出身の地唄舞の名手であった武原はん(俳号・はん女)について書かれた短文がある(「おはん恋しや」)。掲句はそのなかで引かれている句であるが、彼女は虚子直門で多くの秀句を残した。「焼味噌」がどういうものなのか、私は知らないけれど、阿波の人なら知らない人はいないほどの名物らしい。汀史さんによれば「赤子のてのひら程の、素焼の器に生味噌を入れて炭火で焼いた」ものだという。想像するだに酒のつまみに良く合いそうだ。作者は長いこと「ふるさと」を離れ暮らしているのだが、あるとき故郷から味噌焼が送られて来、その懐かしい味をより楽しむために、早春の香り「蕗の薹(ふきのとう)」を添えたというのである。いかにも美味しそうであり、それ以上に、句は望郷の念をさりげなくも深く表現していて見事だ。「早春の季節感と共に、望郷の念たちのぼるごとき秀品」と、汀史さんは書いている。ひるがえって、私が育った地元には何か名物があるかと考えてみたが、何もない。山口県の文字通りの寒村で、いまは一応萩市の一角ということにはなっているけれど、バスの便だって一日三回くらいしかないほどなのだから、昔の状況は推して知るべし。ついでに言えば民謡もない。したがって、食べ物を前に望郷の念を抱くこともできない。だからこそなのだろう。こういう句にとても惹かれてしまうのは。(清水哲男)


February 2122010

 菜の花や小学校の昼餉時

                           正岡子規

めばそのままに、広々とした風景が目の前に現れてくるようです。木造の校舎を、校庭のこちら側から見つめているようです。かわいらしく咲き乱れている菜の花と、教室内でお昼ご飯を食べている、これまたかわいらしい小学生の姿が、遠景によい具合につりあっています。今は静かなこの校庭にも、もうすぐご飯を食べ終わった子供たちが飛び出してきて、ひどくやかましい時間が訪れることでしょう。あっちこっちから走ってくる子供たちの姿を、ぶつかりやしないかと心配しながら、菜の花の群れが優しいまなざしで見つめています。とにかく句全体に、鮮やかに花が咲き乱れているようです。こんな句を読めた日には、わざわざいやなことなどを考えずに、ゆったりといちにちを過ごしてみようかな。『俳句大観』(1971・明治書院)所載。(松下育男)




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