March 232010
薄目して見ゆるものあり昼蛙
伊藤卓也
凝視ではなく、薄目でなければ見えないものがあるのだろう。坐禅でいわれる半眼は1メートルくらい先に目を落し「外界を見つつ、内側を見る眼」とあり、なにやらむずかしそうになるが、そこは「昼蛙」の手柄で、すらっとのんきに落ち着かせている。蛙という愛嬌のある生きものは、どことなく思慮深そうで、哀愁も併せ持つ。雀や蛙は、里や田んぼがある場所に生息するものとして、人間のいとなみに深く密着している。ペットとはまた違った人との関係を古くから持つ生きものたちである。そのうえ鳥獣戯画の昔から、人気アニメ「ケロロ軍曹」の現代まで、蛙はつねに擬人化され続け、「水辺の友人」という明確な性格を持った。こうして掲句の薄目で見えてくるものは、やわらかな水のヴェールに包まれた「あれやこれ」という曖昧な答えを導きだし、それこそが春の昼にふさわしく、また蛙だけが知っているもっとも深淵なる真実を投げかけているようにも思う。他にも〈蛍を入れたる籠の軽さかな〉〈見つめをり金魚の言葉分かるまで〉など、小さな生きものを詠む作品にことに心を動かされた。『春の星』(2009)所収。(土肥あき子)
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