「学費未納は卒業認めず、7県16校の私立高」。哀しい見出しです。(哲




2010ソスN3ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2332010

 薄目して見ゆるものあり昼蛙

                           伊藤卓也

視ではなく、薄目でなければ見えないものがあるのだろう。坐禅でいわれる半眼は1メートルくらい先に目を落し「外界を見つつ、内側を見る眼」とあり、なにやらむずかしそうになるが、そこは「昼蛙」の手柄で、すらっとのんきに落ち着かせている。蛙という愛嬌のある生きものは、どことなく思慮深そうで、哀愁も併せ持つ。雀や蛙は、里や田んぼがある場所に生息するものとして、人間のいとなみに深く密着している。ペットとはまた違った人との関係を古くから持つ生きものたちである。そのうえ鳥獣戯画の昔から、人気アニメ「ケロロ軍曹」の現代まで、蛙はつねに擬人化され続け、「水辺の友人」という明確な性格を持った。こうして掲句の薄目で見えてくるものは、やわらかな水のヴェールに包まれた「あれやこれ」という曖昧な答えを導きだし、それこそが春の昼にふさわしく、また蛙だけが知っているもっとも深淵なる真実を投げかけているようにも思う。他にも〈蛍を入れたる籠の軽さかな〉〈見つめをり金魚の言葉分かるまで〉など、小さな生きものを詠む作品にことに心を動かされた。『春の星』(2009)所収。(土肥あき子)


March 2232010

 月花ヲ医ス閑素幽栖の野巫の子有り

                           宝井其角

角が江戸に出てきたばかりの芭蕉に入門したのは、十四歳のときだったという。べつに早熟というには当たらないけれど、下町生まれの其角が、なぜ芭蕉を選んだのかは気にかかる。掲句は二十歳ころの作だが、もはや十分に世をすねている。医者だった父親の影響で医学や儒学を学び、俳諧の手ほどきも父に受けた。が、医者を開業することもなく、掲句のとおり、オレはちっぽけなな家に住む野巫(やぶ)の子で、風雅に遊ぶばかりだから、人間サマ相手ではなく「月花」の診察をしているようなものさと嘯(うそぶ)いている。この人生態度は生涯変わらず、芭蕉の目指したいわば純正な詩情にはほど遠い世界だ。なのに、なぜ其角は芭蕉を師と仰いだのだろうか。芭蕉の側から其角を見れば、こんな風狂児もまた面白しですむ話かもしれないが、逆に其角が芭蕉に何を求めたのかは判然としない。今日でも其角に人気があるのは、俗を恐れず俗にまみれ、しかも「てやんでえ」と世間に背を向けた近代的な孤立を思わせるスタイルからだろう。彼が芭蕉から学んだことははたして何だったのか。「日の春をさすがに鶴の歩みかな」と、この「鶴」を芭蕉に見たのかしらん。それにしても、私には謎だと言っておくしかないのである。『桃青門弟独吟二十歌仙』(1680)所載。(清水哲男)


March 2132010

 旅立ちの朝の玄関冴返る

                           布能民雄

語は「冴返る」。歳時記には、「冴え」(冬)が返って(帰って)来るという意味で、「寒戻る」などと同じ、とあります。ただ、普通に「冴返る」と聞けば、光や音のあざやかに感じられる様を思い浮かべます。朝日新聞の朝刊でこの句が目に付いたときには、まさに後者の意味でした。この句で詠まれている旅立ちが、どれほど重大なものなのかはわかりませんが、たしかに自分の経験を思い出してみても、遠い地への出張の朝など、玄関で靴を履くときには、いつもと違った改まった気持ちになるものです。どこか玄関が、よそよそしく感じられるものです。靴を履く行為そのものも、不思議に儀式めいてくるとともに、玄関が、日常の時間からずれたところある特別な空間にも感じられてきます。季節がら、4月からの新しい人生に関係した旅なのでしょうか。あるいは友人との気楽な海外旅行ででもあるのでしょうか。旅の理由はともあれ、身を引き締めるほどの冴えが、扉をあけた人の背中を、そっと押してくれているのでしょう。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2010年3月15日付)所載。(松下育男)




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