いつまで続く花冷えぞ。今日は休日の混雑を避けての花見会だが…。(哲




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March 2932010

 吹越や伐り出されたる柩の木

                           請関くにとし

語として使われている「吹越」は群馬県北部地方の方言で、「風花」のことだそうだ。風花は冬の季語とされるが、どうかするとこの時期にも、どこからか風に乗ってきた雪がちらつくことがある。小津安二郎だったか木下惠介だったかの映画にも、火葬場近くでのそんなシーンがあった。「吹越」は「ふっこし」と読ませるが、なかなかに趣きのある言葉だ。赤城などの山々を吹き越してくる雪片の意だろうか。それとも遠く新潟など越の国から吹き込んでくることからの命名だろうか。どちらにしても、群馬ならではと思わせる言葉である。ヒノキやキリなど、柩にするための木々が伐採されている情景のなかに、ちらちらと舞いはじめた吹越。伐られたばかりの木々にはまだ生気がみなぎっているけれど、やがてこれらの木々がそれぞれに死者を覆い火中に投ぜられることを思えば、折からの吹越は天からの哀惜の念のようにも感じられる……。切なくも美しい詠みぶりである。掲句は、文學の森が募集した第二回「全国方言俳句」の上位入選作。「俳句界」(2010年3月号)所載。(清水哲男)


March 2832010

 紙だけの重さのやうな種袋

                           中川萩坊子

語は「種袋」、春です。薄っぺらで、すぐに手で破くことのできる、だれでもが知っている袋のことです。ところで、現代詩を書いているものならば、店先に並んでいる「種袋」のことをわざわざ作品に書こうなどとは、めったに思いません。そう言った意味では、創作者の目は、俳句においてのほうが明らかに、日々の隅々にまできちんと行き届いているようです。「種袋」と言われて思い浮かぶものといえば、表面に印刷された植物や野菜のきれいな写真なのでしょうが、この作者がとりあげたのは、袋の軽さでした。その軽さを、「紙だけの重さ」のようだと表現しています。力の抜けた、実に見事な感性です。種に入っているのは、これから先の時間の集まりです。こんなに小さくて軽いものから、そのうち世界のアチコチが美しく形作られてゆくわけです。いつか大木になるかもしれない種を、このてのひらに乗せているのだと思えば、なんだか急に、鋭い重さを感じ始めます。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2010年3月22日付)所載。(松下育男)


March 2732010

 すみれ踏みしなやかに行く牛の足

                           秋元不死男

みれに可憐なイメージがあるのは、ちょっとうつむき加減の咲き具合と、その名前の音のせいだと思っていたら、由来は「墨入れ」と聞いて、へえそうなのかと。ともかく生命力が強いことは間違いなく、我が家の門の前に始まって、駅までの歩道の割れ目にいくつも咲いている。「日本は世界有数のスミレ大国」と、この句の載っている『季寄せ 草木花』(1981・朝日新聞社)にある。スミレ大国とはのどかな響き、この句のように、れんげも咲きすみれも咲きいろいろ混ざり合った草の匂いがする春田が思われる。牛の歩みはゆっくりと、春泥を沈めながら続いており、踏まれてもまたそこに咲くであろうすみれも、しなやかである。(今井肖子)




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