どんどん低下する内閣支持率。参院選の受け皿政党はどこになるのか。(哲




2010ソスN3ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 3032010

 目の前をよぎりし蝶のもう遥か

                           星野高士

に付けられる副詞の定番は「ひらひら」。意外なところで「ぱたぱた」。また旧仮名の「てふてふ」も平安時代には文字通り「tefu-tefu」と発音していたというから、これこそ蝶の羽の動きそのものを表していたのだろう。しかし、実際の蝶は、モンシロチョウで時速9キロ出すというから、どちらかというと「すーっ」に近い。最速の蝶タイムを見るとタイワンアオバセセリという種が時速30キロとあって、これは原付の制限速度と同じ。あきらかに「ぴゅーっ」であろう。ところで、ある雑誌に「時速9キロでジョギングすると脳が活性化されさまざまな機能がアップし、さらに心の安定も得られる速度」という記事を見かけた。それでは、モンシロチョウに付いていけば、この効能が得られるのかと思うと、なんだか究極のダイエットとして紹介してみたくなる。というように、思わずロマンチック路線へと誘導されてしまいがちの蝶だが、実は相当たくましく、海上を1000キロも休まず飛行する強者もいる。たしかに以前クチナシの木についた芋虫を育てたことがあるが、その食欲ときたら凄まじいもので、さらにサナギになれば体内では想像もつかないバージョンアップをしてのける。掲句では下五「もう遥か」のスピード感とともに、句全体から漂う得体の知れない不安のようなものは、従来の蝶に植え付けられたイメージと実体との落差であるように思うのだ。『顔』(2010)所収。(土肥あき子)


March 2932010

 吹越や伐り出されたる柩の木

                           請関くにとし

語として使われている「吹越」は群馬県北部地方の方言で、「風花」のことだそうだ。風花は冬の季語とされるが、どうかするとこの時期にも、どこからか風に乗ってきた雪がちらつくことがある。小津安二郎だったか木下惠介だったかの映画にも、火葬場近くでのそんなシーンがあった。「吹越」は「ふっこし」と読ませるが、なかなかに趣きのある言葉だ。赤城などの山々を吹き越してくる雪片の意だろうか。それとも遠く新潟など越の国から吹き込んでくることからの命名だろうか。どちらにしても、群馬ならではと思わせる言葉である。ヒノキやキリなど、柩にするための木々が伐採されている情景のなかに、ちらちらと舞いはじめた吹越。伐られたばかりの木々にはまだ生気がみなぎっているけれど、やがてこれらの木々がそれぞれに死者を覆い火中に投ぜられることを思えば、折からの吹越は天からの哀惜の念のようにも感じられる……。切なくも美しい詠みぶりである。掲句は、文學の森が募集した第二回「全国方言俳句」の上位入選作。「俳句界」(2010年3月号)所載。(清水哲男)


March 2832010

 紙だけの重さのやうな種袋

                           中川萩坊子

語は「種袋」、春です。薄っぺらで、すぐに手で破くことのできる、だれでもが知っている袋のことです。ところで、現代詩を書いているものならば、店先に並んでいる「種袋」のことをわざわざ作品に書こうなどとは、めったに思いません。そう言った意味では、創作者の目は、俳句においてのほうが明らかに、日々の隅々にまできちんと行き届いているようです。「種袋」と言われて思い浮かぶものといえば、表面に印刷された植物や野菜のきれいな写真なのでしょうが、この作者がとりあげたのは、袋の軽さでした。その軽さを、「紙だけの重さ」のようだと表現しています。力の抜けた、実に見事な感性です。種に入っているのは、これから先の時間の集まりです。こんなに小さくて軽いものから、そのうち世界のアチコチが美しく形作られてゆくわけです。いつか大木になるかもしれない種を、このてのひらに乗せているのだと思えば、なんだか急に、鋭い重さを感じ始めます。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2010年3月22日付)所載。(松下育男)




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